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第12話

第12話

 翌土曜日に、美愛は待ち合わせの最寄駅にやってくると、そこには既に春巻幸平の姿があった。

 律儀に約束の時間前に来ているところを見ると、生真面目な性格をしていると見える。

 彼は右手にサンプル品のコピー用紙の包みが入った袋を持ち、ショルダーバッグを肩から下げていた。


 今日は休日なので、いつものような親衛隊の取り巻きはいない。

 プライバシーを尊重して、私生活には関わらずに、あくまでも通学路だけのサポートなのだ。

 それなので、昨日のように困った場面でフォローが入ってくることもない。


 それでも危険はないであろう。幸平の言うとおりであれば、相手は公的機関なのだ。


 目的の場所は、3つ先の駅だった。幸平につれだって、美愛もオフィス街を歩いて行く。

 学生たちには休日でも、土曜日は出勤している企業が多いようで、オフィス街は混雑していた。

 そんな中で、5階建ての小さなビルの前で幸平は立ち止る。


「住所から行くと、このビルのようだ。

 1階部分がエヌジェイとなっているけど、実際は5階分丸ごと一つの機関だろう。

 うまく行けば、夢幻のいる場所が突き止められる可能性だってある。」

 幸平は自分のタブレットのメールから、相手の住所を確認してビルのエントランスを見つめた。


「じゃあ、入りましょう。」

 美愛は気合が入っていた。業者を装うため、布製のつなぎを着ているのだ。


 父のワゴン車を洗車する時の為に購入した作業着だが、思わぬところで役に立った。

 対する幸平は、ブレザーにスラックスで営業マンを決めていた。


「君はサンプルの説明をしながら時間を稼いでくれ。」

 幸平はそういうと、持っていたコピー用紙を手渡した。

 見ると中身は、何の変哲もない普通のコピー用紙の包みだ。


「えっ?幸平さんが説明してくれるんじゃないの?

 あたしなんか、商品の説明は出来そうもないけど……。」

 美愛は突然の申し出に、戸惑いを隠せなかった。


「最初の商品説明は僕がするつもりだったけど、この顔じゃあ……。」

 幸平は大きく腫れた左ほほを指さした。

 唇の左端は切れて、今でも血がにじんでいる。


「あなたが悪いんでしょう?いきなり後ろから抱き付いてくるものだから……。」

 昨日から頼りがいのある素振りをする幸平を見直して、つい油断をして隙を見せたという事もあった。


 駅からの道すがら人通りが途切れたあたりで、腰のラインがはっきりとした、つなぎ姿に我慢できずに幸平が思わず背後から抱き付いたのである。

 美愛は反射的に左ひじを幸平の顔面に喰らわせたのだ。


「いやあ、昨日は君の家だったから恥ずかしがっていたんじゃないかと思って、外なら大丈夫かと思ったんだが、違ったようだねえ。

 実際の商談に入ったら、後は君に任せて席を立つつもりでいたのだけど、最初から君に任せるよ。


 僕はオフィスにあるネットワーク用のハブにLANケーブルを刺してアクセスを試みるから、風邪を引いて熱があるので距離を置いているとでも言っておいてくれ。」

 幸平はそういいながら、頬の腫れを目立たなくするための使い捨てマスクをつけた。


「今はどこも無線LANじゃないの?

 それだったら、少し離れていてもアクセスできるでしょう?せめて隣にいてよ。」


「いや、無線LANはセキュリティが厳しい。暗号キーを解読するのは相当に大変だ。

 直接ネットワークにアクセスする方がいい……5分でいいから時間を稼いでくれ。」

 幸平は先ほどまでとは違い、真剣な眼差しで美愛を見つめた。


「判ったわ……何とかしてみる。要は、時間を稼げばいいのね?」

 幸平の言葉に、美愛はゆっくりと頷いた。


「こんにちはー、春風商会です。ご注文のコピー用紙のサンプルをお届けに上がりました。」

 元気よく美愛がドアを開けるとともに、大きな声で挨拶をした。


 幸平の家が経営する商社名は、既に聞いていたのだ。

 すぐにカウンターの奥から、応対をする若い女性がやってきた。

 後に続いて入室した幸平は、慎重に辺りを見回してネットワークへのアクセスポイントを探しているようだ。


「私は只のアルバイトなので、社長の名刺をお渡しいたします。」

 差し出された名刺に恐縮しながら、これも幸平から受け取っておいた、幸平の父の名刺を相手に渡す。

 勿論、美愛にコピー用紙に関しての知識がある訳はない。それでも、相手に商品説明をしなければならないのだ。


「このコピー用紙は、蛍光塗料を使っていないので環境にやさしく、また長期にわたって保存できる中性紙となっています。」

 美愛は学校で使っているコピー用紙と同一のものであったことを感謝しながら、先生が自慢げに説明していた内容を披露して行った。


 商談相手の女性は包みを開封して用紙に触りながら、美愛の説明の都度、ほーっと感心の吐息を漏らす。

 事務所の中には、そのほかに男性職員が2名いるのだが、こちらは美愛たちの事を気にも留めない様子で、自分の目の前のパソコン画面を見つめている。


 幸平は相手の注意が自分に注がれていないことを幸いに、カウンター越しに一番近い席のパソコン背部からネットワークケーブルを抜き取り、自分のタブレットに繋げ、相手のネットワークに侵入を試みた。


 と言ってもアクセスするのはタブレット上のプログラムであり、彼は怪しまれないように自分のタブレットをカウンターより低く保持して相手に見えないよう注意しながら、自社のアルバイトを心配するかのように、美愛たちの方を向いて居た。


 しばらくしてアクセスが通ったのか、彼はさりげなく左手に持ったタブレットの画面を盗み見ながら、左手だけで器用に操作して行った。


「少し余計に時間がかかったが何とか成功。こ……、これは。」

 幸平がタブレットを見つめていた目を、美愛たちに戻した時、美愛も幸平の方を見つめていた。

 どうやら説明することに尽きた様子だ。


 幸平は思いつめた目をして、そのまま美愛たちの方に近づいてきた。

 手にはタブレットを持ったままであり、そのタブレットには、このオフィスのLANケーブルが接続されたままだ。


(まずい!)

 美愛は思わず目をつぶった。


 幸平は自分に注目が集まっていることに気が付いていないのか?

 美愛が相手をしていた女性だけではなく、動き出した幸平には、他の2名の男性職員も注目しているのが美愛には判っている。


 それでも幸平は落ち着いたまま、それどころか手に持ったタブレットをひけらかすように大きくかざしながら立ち止った。


「この部屋は、このビルの中の1室ですか?彼はどうしてここに?」


 幸平が指示したタブレット画面には映像が映し出されていて、そこはどこかの部屋のようであった。

 ベッドと机が置かれていて、一見すると夢幻の部屋だが、どこか違和感がある。

 その事よりも、その部屋の中にいる人物には見覚えがある、それは探している夢幻の姿であった。


「お……、お兄ちゃん。」

 美愛はそのタブレットを幸平から受け取り、思わず抱きしめてしまった。


 先ほどまで美愛が相手をしていた女性職員が、困ったような顔をして他の男性職員の顔を窺うと、一人の男性職員が内線電話でどこかと連絡を取っているようだ。


 しばらくすると上の階からどたどたと階段を下りてくる音がして、数人の黒スーツ姿の男性が奥のドアからやってきた。

 どの人も角刈りで、いかつい雰囲気の人ばかりである。

 美愛も幸平もそのまま捕えられて、海にでも沈められてしまうのではないかと思えるほどの恐怖で、背筋が寒くなってきた。


「あ、あの……ここに来るにあたって、僕はネット上に中継基地を作りました。

 ここへ来る道中と、ここへ入った今現在も映像を常に送信しています。

 勿論ライブで流してはしていませんが、このまま僕たちが戻らなければ、自動的に本日の夜に公開されます。


 更に、今ここで収集した情報も同時に公開されます……そうなればすぐにあなたたちは捕まります。

 無駄な抵抗は止めて、彼を返してください。


 僕たちは雫志多夢幻の家族と友人です……彼を返していただければ、それ以上の要求はありません。」

 さすがにビビったのか、幸平は震えながらも、それでも何とか踏ん張って交渉を開始した。

 無事に帰れるかどうかは、最早彼の交渉次第と感じられた。

 ところが自体は急変する。


「す……、済まなかった。」

 幸平たちの目の前に来ていた大柄な男が、深々と頭を下げたのである。

 これには幸平も美愛も唖然として言葉がなかった。


「あ……、あの……一体どういった事ですか?」

 美愛が幸平の影に隠れながら、恐る恐る尋ねる。


「夢幻君には、この星の重大危機だと言って、ここへ来てもらった……快く承諾してくれたのだ。

 そうして少し検査をして適正度を測ったら、すぐに家へと帰すつもりだった。

 ところが、彼はちっとも眠ろうとしないものだから……。」

 目の前の男は、その大柄な体には似合わず、ほとほと困り果てたと言わんばかりに神妙な面持ちでうなだれた。


「お兄ちゃんは、お気に入りのパジャマと枕がなければ眠れないのよ。

 それに、ああ見えて神経が細いから、家以外では家族か知り合いがいるような安心できる場所じゃないと、寝ようとしないわ。」

 美愛は、相手の態度が意外と柔らかい事に安心しながら答える。


「そうだったのか……道理で、催眠術師がすぐに眠る様に何度も暗示を与えようとしても、暗示には掛かるのだが一向に寝付かない。

 術者に言わせると、体のどこかで眠ることを拒んでいるようだというのだ。

 お気に入りのパジャマねえ……。あの熊さんのか?」


「そう、それと、熊さんの枕ね。」

 美愛は依然として幸平の影から答える。


「どちらも、ここにはあるなあ……あれを渡せば、よかったのか。」

 男は上方を見上げながら、ポンと手を打った。


「それだけじゃ駄目よ。すぐに安心して寝るには、私たちが居なくっちゃ。

 それよりも、お兄ちゃんに会わせて。」

 美愛はようやく幸平の影から、男の目の前に出てきた。


「ああ、いいだろう。私は、神大寺剛三というものだ……こう見えても国家公務員・・ああっと……いや、ただの民間人……だ。」


「私は夢幻の妹の雫志多美愛です。」


「ぼ、僕は夢幻の友人の春巻幸平と言います。

 国家公務員って……見た目は軍人さんのように感じますが、もしかしてエヌジェイって……?」


「いやいやいや・・今のことは忘れてくれ……我々はただの民間人だ……会社の名前がエヌジェイというだけ。」

 神大寺は顔を真っ赤に染めながら、汗だくで否定する。


「普通の人は、自分のことをただの民間人なんて言ったりはしないと思いますよ……、恐らくは日本の軍隊というような機関の……という事なのでしょうが……何か理由があって秘密なのですよね?

 だったらそれはそれでも構いませんが……、夢幻に合わせてください。」

 幸平は神大寺が必死で取り繕おうとしていることを理解したのか、正体を暴こうとはしなかった。


「あ……ああ……、別に隠しているわけでもなんでもない……こっちへ来てくれ……。」

 幸平の態度を見て少し安心したのか、そういうと神大寺は美愛たちを先ほど自分たちが出てきた、部屋の奥のドアへと導いた。


 その先はすぐに階段になっていて、階段を上がった先の通路を進んで右手のドアを開けると、そこは夢幻の部屋そっくりに作られていた。

 いや、よく見ると壁の棚などはペイントしてあり、それが映像でも違和感をもたらしていたのであろう。


「いやあ、急遽作ったのだが、小道具が間に合わなくてなあ。

 準備できなかった部分は写真ではすぐにばれてしまうから、特撮チームにそれらしく映る様に依頼して描いてもらったんだ。」

 神大寺は恥ずかしそうに頭を掻きながら、ドアを開いた。


「お兄ちゃん……。」

 部屋の奥のベッドには、制服姿の夢幻が腰掛けている。

 ようやく、夢幻が美愛の前に姿を見せたのだ。美愛は感極まって、涙がこぼれ落ちそうになっていた。


「やったあ、夢幻を見つけ出した、ご褒美のチューを……。」

 幸平が背後から美愛を半回転させて自分の方に向かせると、いきなり顔を近づけてきた。


 美愛は反射的に、幸平の抱きかかえてくる両手を振りほどいて前蹴りを放った。

 ゆっくりと崩れ落ちた幸平の顔面には、美愛の靴底の形がくっきりと浮かび上がる。

 これには部屋へ案内してきた神大寺たちエヌジェイの面々も、絶句した様子だ。


「だ……大丈夫かい?」

 神大寺が心配そうに倒れている幸平に声を掛ける。

「だ……大丈夫です……打たれ強い方ですから……それに、痛みにも慣れてきて、段々と快感に……。」

 幸平は、滴り落ちる鼻血をハンカチで拭い取りながら答える。


「ああ、お前か……。」

 ところが夢幻は幸平には目もくれずに、普段通りに美愛に話しかけてきた。



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