第10話
第10話
「雫志多は今日の午後一の授業を終えた後、急用が出来たので帰宅すると言ってとっくに帰ったらしい。
美愛ちゃんには、そんな用事の連絡は入っていなかったの?」
夢幻のクラスの様子を聞いてきた親衛隊員が、戻ってきて逆に美愛に質問してきた。
「いえ、私の所には、家から急用の連絡など入って来ていませんよ。」
美愛は念のためポケットからスマホを取出し、着信履歴やメールを確認しながら答えた。
勿論、学校に居る間はスマホは使用できず電源を切って居なければならない為、連絡が入って来ていても気づかない可能性もあるので念のための確認だ。
しかし留守電も着信履歴も夢幻からのものは入っていなかったようだ。一同、不思議な静寂に包まれた。
「わ、私、急いで家に帰って見ます。何かいい情報があったのかも知れないし……。」
美愛は駆け出していた。親衛隊も遅れまいと付いて行く。
美愛を家まで安全に送り届けるまでが、親衛隊の役割なのだ。
「お兄ちゃーん、お兄ちゃん帰ってるの?」
美愛は家に着くなり靴を脱ぎ棄てて、ドタドタと階段を昇って行った。
そうして兄の部屋を数回ノックした後、返事がないままドアを開ける。
しかし、その部屋には誰もいなかった。
そのまま美愛は急いで階段を下りてきて、1人居間でくつろいでいる母に尋ねる。
「お兄ちゃん、帰ってきているの?今日、急用で帰ってくるように呼び寄せた?」
「……。」
突然帰宅した娘からの質問に、母の目が点になってしまった。
美愛が居間中を見渡しても、夢幻の姿は見られない。
美愛がきょろきょろと辺りを見回す姿を見て、ようやく母が口を開いた。
「夢幻はまだ帰っていないわよ。一緒に帰って来たんじゃないの?大体、急用って何の事?」
家の事に一切タッチしないマイペースな母が、夢幻の病状の情報に関して、関わっているはずもないのであった。
美愛はもう一度学校へ戻って、早退時の様子を詳しく聞こうかと考えた。
すると、ポケットに入れたスマホに着信を告げるアラームが鳴った。
スマホを取り出すと、それは1通のメールであった。
>嘘の画像を投稿して世間を騒がせてしまいました。
テレビで取り上げられるような、大騒動になるとは考えていませんでした。お許しください。
少しの間反省の旅に出ます。探さないでください、私は元気です。<
差出人は夢幻のアドレスになっている。間違いなく夢幻の携帯から送信されたメールだ。
「ちょっと、どういう事?嘘の画像って?あの画像は、私が撮影した正真正銘の真実映像じゃない。
お兄ちゃん、どうしちゃったの?」
美愛が事態の急変に驚いていると、暫くして玄関のチャイムが鳴った。
「美愛、出てちょうだい。」
別にこれと言って何をしている訳でもないのだが、家の事を一切しようともしない母は、兄からのメールを必死に見つめている美愛に命じた。
美愛が玄関へ向かってドアを開けると、家の外には昨日同様に人垣が出来ていて、更にテレビ局の中継車まで来て、アナウンサーらしき人が報道の原稿を読み上げていた。
そうして目の前には、一人の制服姿の男子生徒が立っていた。彼がチャイムを押したようだ。
「どなたですか?」
美愛はドアを開け、初対面の相手に問いかける。
「美愛ちゃんだね、俺は夢幻の友達の春巻幸平だ。夢幻はいるかい?」
「春巻さん……、えーと兄との会話で今月に入ってからでも既に20回登場している、親友ともいえる近しい間柄の人ですね、合格です……お入りください。
残念ながら兄は居ません……今日の午後に早退したらしいのですが、帰って来ていませんでした。
それに、こんなメールまで……。」
美愛は玄関へ幸平を招き入れると、今受け取ったばかりの兄からのメールを見せた。
「何が合格なのか判らんが……。」
幸平が美愛の手にあるスマホ画面を覗き込む。
社長業が忙しい幸平は、夢幻の家まで遊びに来たことはなく、もちろん美愛とも初対面だ。
「ふん、やはりな。このメールは、テレビ局各社に向けて夢幻の携帯から発信されたメールだ。
宛先にはなかったが、B.C.C.で家族にも送信しているのではないかと思っていたが、その様だね。」
幸平の言葉に、美愛が急いでメールの送信情報を確認すると、確かに送信先にはテレビ局らしいアドレスだけが表示されている。
「夢幻が急用で早退したのは知っていたが、帰宅後にたまたまテレビを見ていたら、昨日同様夢幻の事が報道されていた。
ところが、昨日とは内容ががらりと変わっていたわけだ……おかしいと思い、夢幻の様子を見に来たのだが……。」
「おかしいって、どういう事ですか?」
美愛が幸平の言葉に反応して問いかける。
「ああ、テレビをつければ分るよ。今もまだ報道しているだろう。
俺も、上がらせてもらうよ……お邪魔します。」
幸平と共に美愛は居間に引き返して、母が見ている昼メロからリモコンを奪い取って、報道チャンネルに切り替えた。そこには、昨日同様雫志多家が映し出されていた。
先ほど玄関を開けた時に見えた報道陣であろう。
そうして、報道のアナウンサーが色々とコメントを述べているのだが、字幕のテロップが信じられない内容であった。
[やはり捏造。あまりにも騒動が大きくなり、反省。……睡眠時空中浮遊の少年]
「どういう事よ、あんなメールだけで、あの画像をインチキだと決めつけているの?
画像を加工した痕跡は見えないって言っていたじゃない。
大体お兄ちゃんもお兄ちゃんよ、どうしてあんなこと……。」
美愛は右手に持つテレビのリモコンを、折れんばかりに力を込めて握りしめた。
「あのメールは、夢幻のアドレスから発信されたことは確かだが、夢幻自身により送付されたかどうかは疑問が残るね。
更に、この映像も夢幻とは思えない……投稿サイトに新たに追加された映像だ。」
幸平はテレビ画面に映し出される、映像を指さした。
それは熊さんのプリントの入ったパジャマを着た男性が、ベッドに横たわるシーンから映し出されている。
勿論顔の部分は、ぼかしが入れてある。
一見して美愛が撮影して投稿した画像のように感じられるが、青年の体の肉付きから言って、夢幻とは思えない。
もう少し小太りで、肌の色も浅黒いように感じられた。
その青年は水素と書かれたボンベの口元に風船を付けてコックを開け、風船を膨らませては、その口を縛った紐を自分のパジャマに結び付けて行った。
しばらくすると、10個ほどの風船が仰向けになった青年のパジャマを持ち上げて浮いていた。
「このように水素ガスで充填した風船で、体を持ち上げました。
その後、風船のない体の画像とうまく重ね合わせて、空中浮遊の映像を作成したものです。
お騒がせしました、ごめんなさい。」
画像の中の青年が、仰向けになりながらベッドの上でコメントをしている。
その声も夢幻の声に似せてはいるが、別人のもののように感じられた。
「嘘よ、そんなことしていないもの……それに、この人お兄ちゃんじゃない。」
美愛は、両手で両頬を覆いながら、プルプルと小刻みに震えていた。相当に興奮しているようだ。
「そうだろう。大体、いくら水素を詰めたと言っても、高々10個ほどの風船で体が持ち上がるわけがない。
恐らくこの程度の大きさの風船なら百個以上必要だろう。
そうじゃないと祭りなどでヘリウムガスを詰めた風船売りのおじさんは、すぐに屋台ごと大空高く舞い上がってしまうよ。
そうして、狭い部屋の中でそんなに沢山の風船を括りつけたら、天井に貼り付くような形になるはずがない。
実際にこの映像で体が浮いているのは、細いワイヤーで天井から吊り下げて、それをウインチか何かで機械的に持ち上げているからだ。
この画像の体の左右に処理をした痕跡が伺える。」
幸平は冷静に映し出される映像を分析している。
「そんなあ、うちではお兄ちゃんの体を吊り上げるようなこともしていないわ……第一、ウインチって何ですか?」
「ウインチと言うのは、ワイヤーを自動的に巻き上げる装置だ……一般家庭にあるような装置ではない。
その為、一般家庭らしくみせようとしようとして、水素ガスの風船を使ったことにしたのだろう。
この映像を撮影した場所は、相当大がかりな機材を設置したスタジオか何かだろうね。
更に、水素ガスは引火性があり危険だから絶対に真似しないでくださいなんて、テロップまで流す念の入れようだ。
大体、水素ガス自体が一般人に簡単に手に入る代物とも思えないね。
水の電気分解で作ったと言い訳でもするのだろうかね。」
確かに、テレビ画面には水素ガスは大変危険ですとのコメントが表示されている。
そうコメントする為に、わざわざヘリウムガスを使わずに、水素ガスを使用したことにしたのであろうか。
「どちらにしても、この映像もこのメールも夢幻のものにしてはおかしい。
そう感じたから、夢幻に詳細を確認しようと、急いできたのさ。
夢幻が行方不明という事は、厄介な事だぞ。」
「えーっ!厄介ってどういう事ですか?
お兄ちゃんが誰かに連れ去られちゃったってこと?相手の目的はなに?」
美愛は少し震えながら、幸平の顔を覗きこんだ。
「今の話を聞いている限り、あの投稿映像は真実と言うように感じられる。
実際に俺も画像の解析を行ったが、加工された痕跡は見いだせなかった。
つまり原因やいきさつは不明だが、夢幻の体は寝ている時に空中へ浮いてしまうというのは、真実なのだろう。
理由は判らないが、恐らくその能力に目を付けた機関が、夢幻を連れ去ったと考えるのが適切だろう。
ただ、それが夢幻の意志によるものかどうかは不明だがね……夢幻の部屋を見せてくれるかい?」
「はい、こちらです。」
美愛が幸平を階段へと案内しようとした瞬間に、居間のソファから声がした。
「もういいのかい?ドラマへチャンネルを切り替えても……。」
じっと二人の会話を聞くでもなく、おとなしくしていた母の言葉であった。
美愛は元見ていた昼メロのチャンネルに切り替えてから、リモコンをテーブルの上に置いて階段を昇って行った。
「何かこの部屋の中で、夢幻が大事にしているものが無くなったりしていないかい?」
幸平は夢幻の部屋に入るなり美愛に質問をする。
そういわれて美愛は、見慣れた兄の部屋をぐるりと見回した。
思春期とはいえ、仲のいい兄妹だ。いつも兄の部屋に入っている美愛にも、違和感はなかった。
「いえ、兄がお気に入りのフィギュアも棚に飾られたままですし、パジャマと枕もそのままベッドの上にあります。
少なくとも兄は、宿泊を考えてはいなかったのだと思います。」
「そうか、では夜になったら帰ってくることも考えられるな……帰ってきたら、僕の所に連絡するように言ってくれ。
その連絡がない限り、僕は僕なりに夢幻の行方を捜索してみるよ。
それはそうと、君はずいぶんとかわいらしいね。
男子生徒たちが夢幻の友人のふりをして、告白に詰めかけるというのが分る気がするよ。」
幸平はそういうと美愛の肩に手を回し、その体を自分の元へと引き寄せた。
“ガツン”次の瞬間、大きな音がして幸平はその場に崩れ落ちた。
「な……何もグーで殴らなくたって……。」
「今、チューしようとしたでしょ?
人の家に上がり込んで……、しかもお兄ちゃんが居なくなって困っているというのに……、なんて非常識な……。」
美愛は固く握りしめた握り拳を胸元に構え、両手で左頬を押さえて涙ぐむ幸平を厳しい目つきで見下ろしていた。
「い……いやあ、余りにもかわいくて、つい……。」
「何が、つい……よ。もう一発食らいたいの?」
美愛は拳骨にハーと息を吹きかけた。
「い……、いえ、これで失礼します。」
幸平はそういうと、ふらつきながら階段を下りて玄関へと向かった。
「お邪魔しました、また来ます。」
居間の奥にいる母に声を掛けるように挨拶すると、そのまま逃げるように帰って行った。




