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「ったく…足下見やがってあのヒキコモリ…」
ドンは相当に顔が広いと言えるが、イベリスもまた多方面にネットワークを広げている人間である。部隊員は同一の目的の為に連携し、互いの命を預ける関係であるが、それぞれ別の顔というものがあるので、仕事以外で何をしているのかなど分からないし干渉しないのが暗黙の了解となっている。イベリスによる"お使い"は、知り合った経緯がまるで想像出来ないような人間に会う事であり、内容もまた珍妙なのである。というより内容など無いと言った方が正しいだろう。なぜなら会ってアレをしろコレをしろと言うものではなく、ただ会うだけでいいというものだからだ。実は過去に2度顔を合わしたことがある。その時の印象は樹木のように動かない老人で、息絶えるのを待つ解放主義者のようだった。
奇妙に思いつつもリナリアは渋々と件の人物が住みついている刑務所へとたどり着いた。本来面会は親族や再審請求か民事訴訟の委託を受けた弁護士などの関係者のみとなっているので少しばかり心配していたが、イベリスから渡された封書を渡すと何事も無かったかのように懐に入れ、身分証明と必要書類への記述を求められた。こうした原始的な手続きと老朽化した施設を見るとノスタルジーというよりもむしろ哀れに感じる。
「住み心地はどうだ?」
「悪くないね、用事がある時にいちいち大声を出さなきゃいかんのが性に合わんが、だからなるべく用事が無いように過ごしたいんだがね」
以前は顔を隠すように生えていた髭も髪も無いので誰だか分からなかったが、話し声は当時のままだった。
「ふん、こっちだってこんな所まで来てわざわざお前の顔見たいわけじゃねーさ」
「イベリスは元気か?」
「あぁ元気だね、クソ暑い中空港行きのバスに乗ってシンガポールまでひとっ飛びするくらいには元気だ」
「梅雨雲に揺れる籠は方向を見失う、その時に重要なのは待つ事だ、やがて雲は形を変え光が刺さる。なれば、己の行く道を照らすだろう」
「ムショで牧師にでもなったか?」
「ここは心を洗う場所だ、監視られ続ける事で秩序を求む無数の目を意識する、極めて原始的な目だ。だが原始的な目には隙がある、無いように見えてこちらからしっかり見ると穴が見つかる。箱庭を見下ろし飛ぶ鳥のようにな」