6
現在ケニアは中国の大幅なインフラ整備の効果により雇用が増え、犯罪率が低下している。
しかしナイロビから北東に位置する隣国、ソマリアに近づく程治安は悪くなるという地域格差が拡大している。密猟者や強盗団、イスラム過激派のテロ組織などが活動しているため、やはり北東部の警戒レベルは現在も高いままなのである。
3人はジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着し、ケニヤッタ国際会議場に近いホテルで身体を休めた。
浦安は生まれて初めてプール付きのホテルに泊まったらしい。新鮮な体験に高揚したが、費用を米国から負担してもらっている事を思い出し、海外滞在を楽しむことに罪悪感を感じた。あくまでも国家が関わる重要な仕事であり、明日にはナイロビから北の方向へひたすら車を走らせ、アーノルド氏が滞在していると思われるナムニャク野生生物保護区近辺の村に向かうのだ。
ホテルには観光客が多くいて、様々な人種が携帯端末や一眼レフカメラなどを、あちこちに向けて幸せそうに笑っている。
周辺にはカフェテラスも豊富に構えていて、適当に入った店でウガリやニャマチョマなどを堪能した。
リーシュは席を空けて1人、ドンと浦安は近くのテーブルで食事している。
しばらくするとリーシュの向かい席に男が座った。
「暑い日を乗り切るのにカチュンバリは最高だよ、ウガリに乗せて食べるとなお良い」
「わざわざすみません、米大使館はその後どうですか」
「北東部からの反米の声は以前変わらないが、その声が簡易爆弾の叫声にならないだけ有難いさ」
「内戦の傷が深いんでしょう。アーノルドさんが行っていれば皆が憧れ英語を覚え、ケニアへ亡命し、グリーンカード抽選に応募し神に祈るでしょう」
「なんだいそりゃ…あぁ、わかった。"アーノルド違い"だろ?」
「ははは、愉快でしょう」
「いやくだらないね、だがくだらない事は愉快だ。愉快であることもくだらない」
なにやら意気投合しているが浦安には伝わらないし、ドンはセンスの無いジョークを背中から聞かされてうんざりしていた。
そして2人は当該のアーノルド氏についての話を始めた。
「彼はナイロビにも定期的に滞在しているみたいだよ、通訳派遣会社や、彼と部門が似てそうな工科大学の教授なんかに声をかけてみたらヒットした。ネット環境もこちらの方が良いし設備も揃ってるから、物資補給やメンテナンスの為に何度も訪れてるらしい。彼の事をラフィキと言っていたよ」
それから短いながらもいろんな話をしてウジーを飲み干し彼は去っていった。彼の働きが無かったら、細かな場所の特定は出来なかっただろう。最後に彼は「そこの2人にもよろしく」と言っていた。
砂煙が舞い、大地震のように揺れる旅路は結構な負担だ、何度か天井に頭を打ちそうになりながらもSUV車は元気よく北部へと向かっている。
保護区が近づくとケニア野生生物公社のレンジャーがライフルを持ちこちらを見ている。彼らは密猟者から野生動物を守る為に武装し見回りをしているのだ。
雇った大使館職員御用達の通訳兼運転手の現地民はレンジャーに無害だとアピールする為、積極的に話をかけている。
スワヒリ語は理解らないが、敵意が見られない事だけは伝わる。その対話の最中、レンジャーはなにやら指を指して説明していた。
どうやらアーノルド氏を知っているみたいで、活動している地域を教えてくれたようだった。「随分な有名人だな」とドンは呟いた。
その工程を何度か繰り返し、広い空と大地にポツンと建つ、一見すると農具倉庫のような家を見つけた。
アーノルド氏は「いらっしゃい」と快く迎え入れた。
家の中はシンプルで無駄なものが一切無かった。
奥の部屋からトレーに人数分のコーヒーカップを持ってきて「エチオピア産だよ」と言って並べた。一行とアーノルド氏はテーブルに着き話し始めた。
「すぐに特定されることは分かっていたよ、この世界は足跡を消せないからね」
「なぜアフリカに?」
「別に国際協力機構隊員としてきたわけじゃ無い。そうだなぁ、生活水準を向上させるために必要なものはなんだろう、と考えたんだ。例えば水を得るのに苦労する国なんかはそれだけでハンディキャップをかぶらなければならない。このスタート地点の差を埋めるために手早く改革しなければどんどん格差は広がっていく」
外を見ると運転手が積んでた携行タンクを卸し、給油を始めていた。
「しかし僕の思う改革とは単に水を与える事じゃない。知恵は財産だ、そして文化になる。授けるのは簡単だけどそれじゃあその土地に合った文化は構築されない。こんなに人がいるのに何故力を合わせないのか…人は知恵を集めれば必ずどんな苦境も乗り越えることが出来る、そう思ったんだ。だから力を合わせる事をサポートするALMを作った。ケニアは野生動物との共存においてうまくいかず苦労している。人が縄張りを侵攻してしまっているんだ。目先の利益ではなくもっと俯瞰して、客観視して共存出来る術を模索したいとおもったんだ」
「それで会社を辞め、日本を出てケニアに?」
「いいところだよ、人々も皆他者を想う事を動機に生きている」
「あなたは手紙にこう書かれています。間違いを犯した、と」
「えぇ、ALMの根幹は元を辿れば人間の脳です、なにかに影響され簡単に進路を見失う。操作された人々の思想を吸い出し、権力者の有利に事が運ぶようにする為の道具となる。単なる心理ゲームの道具にしかすぎない…私達はこんなことの為に彼を生み出したんじゃない。三権制度を考え出し、そして選んだのは会社に携わる者全てなんだ思わされていたんです。全ては青樹々さんの掌の上だった…青樹々さんはグローバル特区を支配したいんです…alma社は現在重要なポストに位置しているといっても良いですから」
そういうと彼は物悲しそうに端末を見つめた。
「なにがグローバル特区だ…愚昧な民衆どもが。だがもうすぐだ」
グローバル特区内の高層マンションの上階から、街を眺める青樹々は渾身の力で空虚を握った。
「テクノクリーン社、頼元重工、エンター・ザ・ステイツ、ミツビシネクサスステーション。ふん…高いビルなど不要なものをチラつかせる、だがここでは私がトップだ」
ネクシズム党が主導する先進的企業特区の考案者は青樹々グループ代表の二郎であった。しかし政府はグローバル特区への改定を条件に可決させたのだ。
裏切りだった。
育てた土地と夢が奪い取られたのだ。
湧き上がる強い猛りを抑えようと、5錠の薬剤を服用し、ソファに腰を落ち着かせ目を閉じ瞑想を始めた。
リーシュはコーヒーを褒めると交渉を開始した。
「我々はあなたの敵ではないと自負しています、手厚く護衛することを約束致します、力を貸していただけませんか。」
彼はいくつかの条件を出し、快諾してくれた。
どこか寂しげな表情が印象的だった。
支度を終えたアーノルド氏と共に、ナイロビへ向けて出発する。またあの悪路を走るとなると気が重くなるが仕方がない。小休止を挟みながら、なんとか同ホテルにチェックインする事が出来て、重たい身体を休めた。
翌日、空港で4人は別れた。リーシュとアーノルド氏はアメリカへ行き、ドンと浦安は日本へ帰る。
浦安は少々ホームシックになってしまい、日本の地を踏むのが楽しみになっていた。ドンにはそういう心情にさせてくれる故郷があるのだろうか。いくら駐留部隊といえどたまには故郷に帰ってもバチはあたらない筈だ。そんな事を思いつつ機内の暇な時間を映画鑑賞に費やした。
数日後にアーノルド氏が会見に参加している様子をネットで見た。
システムには何重にも安全対策が施されている点を詳しく説明し、その責任を果たしたと思う。
そしてこれも推測の域を出ないということも述べていた。
「これでアーノルドは全てを失った」
「要らないものまで持たされてたんだ、いっそ全てを捨て去ったほうが楽さ」
「alma社は憤慨だろうな」
「夢を役割に変換し、逃れることも抗うことも出来ないまま、都合のいいように彼を利用した」
アーノルド氏を加えたチームによる監査を交え、あらゆる想定を実証した結果、システム自体に不備は見られず、事故が起こった車両のコンピュータも再検査したが基準レベルを従来より上げても合格品だった。つまり事故の原因は不明のままなのである。
アーノルド氏は帰国後2ヶ月滞在し、その後またアフリカへと旅立った。