いらっしゃいませ、貧乏神様
明と志乃は無言で店内の掃除をしていた。
まさかの酔っ払いサラリーマンによる店内で転倒、からのリバースにより想定外の床掃除をしていたのだ。
フラフラしながら来店し、ヘラヘラしているサラリーマンは陽気に酒が並ぶドリンク類が置かれている所に千鳥足で向かっていた。
他に客もおらず、自然とソレを目で追っていた二人はちょっと嫌な予感がしていた。
その予感が的中したのは突然ガラスに映る酔っ払い(自分)にゲラゲラ笑いながらガラスをバンバン叩いていた時だった。
「うっ」と俯いて────。
そのサラリーマンの奥さんがタイミングよく電話を掛けて来てくれたので、床で気持ちよく寝ていたサラリーマンを回収してくれたことだけが本日のラッキーであった。
「くせぇ……コレって、お部屋の消臭剤的なものをぶっかければニオイ消えるのかな」
「……女の子がくせぇはないと俺は思います」
「じゃあなんて言うの」
「うーん……そもそも言わないって選択肢は?」
「ニオイがしなければ言わない」
「そりゃそうだけど……あの、志乃さん、その物体を拭いたモップをコッチに向けないで欲しいんですけど!」
「え、嗅覚が死んでるのかと思って」
「え、それ、優しさ?」
「女子に夢を持ちすぎな明さん、何か?」
「いえ、あ、はい、ありません」
漸く一息着くことができた志乃と明は、ぼんやりとレジに立つ。
汚物掃除が終わり、ついでに陳列棚の入れ替えまでを終えて二人は少しばかり疲れていた。
「だるい」
「同じく」
「今日も来なければ、さっきの出来事は私の中でなかった事になるような気がする」
「そうだね」
「そしてそろそろ店長をどうにかしてやりたい」
「学生の金曜と土曜の夜を何だと思ってんだろうね。俺たち、最近このシフトしか入れられてないし」
「平日の学校が終わった後にしてほしい。二時間でいい、二時間がいい。給料欲しいケドいらない」
「右に同じ」
ひたすら店長のシフトの組み方について淡々と話し合っていると、来店者を告げる音楽が鳴る。
「いっらしゃ、うわぁ……」
「どうした志乃さ…………うわぉ……」
彼女の羽織る真っ青なストールにはダイヤが目映いばかりに散りばめられ、鍔の広い帽子には大きくて真っ赤な牡丹の花が飾られ、指と言う指にはエメラルドやルビーなどの高価な指輪が嵌められている。
マダムだ。
どこをどうとっても場違いな来店客は、顔の美醜が全く分からないほどに塗りたくられたかなり濃いめの化粧をして、お尻をふりふりしながら二人に近付いて来る。
すました顔がかなり二人の癪に障った。
何せ、さっきまで来るなと願っていたばかりだ。
先に口火を切ったのはいつもの如く志乃である。
「パリコレinコンビニ」
「自動ドアからレジまでの随分と短いランウェイだな」
「成金コレクション」
「ナリコレ?」
「ナリコレ」
二人は顔を見合わせると無表情でイエーイとハイタッチを決めた。
そしてクスクスとわざとらしく笑いながら来客を見る。そんな志乃たちに来客のこめかみには青筋が浮いている。
化粧で地肌すらも見えない筈の顔を真っ赤に染め上げて、吊り上った細い目で睨み付けた。
「聞こえてますわよ!」
「聞こえるように言ってるんだけど?」
「同じく」
「何ですの!私のこの美しさに、美貌に嫉妬ですの!?」
「美しさに嫉妬(笑)」
「美貌に嫉妬(笑)」
「かっこ笑は止めなさい!私にとり憑かれたいんですの!?」
「でた、伝家の宝刀。流石は貧乏神、貧困な学生からも搾り取ろうという悪魔の所業」
「志乃さん、あの人、一応神様、ただし貧乏」
「今日はいつにも増して口が悪いですわよ!私の何処が貧乏ですって!?」
今にも八十年代のドラマのように「キィーッ!」と言いそうな貧乏神に志乃たちは嘲笑を送った。
そして、ジロジロと貧乏神の服装を見る。
どれも高そうなのはいつも通りだ。コーディネイトが壊滅的なだけで。
彼女、貧乏神のプライドはエベレスト級であった。
貧乏神であった事が実はコンプレックスで、特に福の神には並々ならぬ対抗心があり、どこをどうしたら福の神に勝てるのかと考えに考えて行き着いた先が、憑りついた人間の散財したお金を元手に高級な品々で身を包むという手段だ。
仕組みは分からないが、散財したお金は貧乏神のモノになるらしい。
当然、貧乏神の憑いた家の家計は火の車だし、たまったものではないが、そう言う神様なのだからしょうがない。
それでも、この貧乏神にもポリシーがあった。
最終的には貧乏になるが、絶対にガチ貧乏な人間には憑かない。
というか、貧乏な人に憑いても出ていくお金がなければ意味がない。
だから、金を持っている人間に憑いてジャブジャブ金を使う。
でも、人から好かれたい。なんだったら崇め奉られてもいい。むしろ崇めろ。
結果、彼女の憑りつく人間は大手企業の嫌われている人間で、尚且つ金持ちなのである。
その憑りつく先々のマダム達のコーディネイトを取り入れた完成系が今の貧乏神成金ファッションだ。
「ふん、まあいいわ。私のこのハイセンスな着こなしが分からないお子様には何を言っても無駄でしょうからね」
「厚化粧ババア」
「……志乃、何かおっしゃって?」
「あ・つ・げ・しょ・う・ば・ば・あ」
「……発育不良の小娘が何をおっしゃってるのかしら」
「出た……志乃さんの煽っていくスタイル」
無言で睨み合う両者の間には何故か火花が見えるのは気のせいだろうか。
スパークを起こしながら彼女たちの背後には龍と虎が見える。
だが、なぜだか志乃が圧倒的有利に見える。
何せ今日の志乃は機嫌が悪い。主にサラリーマンのせいで。
学校での志乃さん、戻ってこい。
コンビニの外を眺めながら「今日は雨かな……」と明は現実逃避し始めた。
「志乃のような貧相な体では私のような着こなしは無理でしょうね」
「はぁ?頼まれてもお断りだわ」
「この美しい価値ある宝石、美しい私を飾るにふさわしい高級感」
「アンタの手にある事でオモチャにしか見えない。いや、オモチャに謝れ」
「この私を彩る衣装の素晴らしさ」
「ドぎつい黄色のタイトワンピースなんて着てきやがって。信号機、信号機の仕事してこい」
「私の美しさ……はぁ……」
「神様を受け入れてくれる病院に行け」
「怖い、女の子、怖い。というか、志乃さんが怖い。通じていない貧乏神も怖い」
何故だか急に自分に酔い始めた貧乏神を侮蔑の目で見やる志乃に明は誰か助けてくれと居もしない誰かに助けを求めた。
すると神は見放していなかったのか、新たな来店者が来た。
緩く結われた三つ編みに合っていないのかずり下がる眼鏡、大きな胸を隠すように羽織った白いカーディガン、淡い色合いを基調としたワンピースを着た女の子がヘニャリと笑みを浮かべて自動ドアを通って現れた。
「こんばんは~」
「……今一番来たらダメな人来ちゃったよ!」
「あら~、明さんではないですか。昨日ぶりです~」
「いや、来たのは先月ですよ」
「あらあら、時間って経つのが早いのね~」
「まぁ、貴女だったらそうかもしれないですね。体感時間的な意味で」
「それって、褒められてるのかしら」
「好きにとって下さい」
「それじゃあ、ありがとう。ところで、貧ちゃんは何をしているのかしら」
貧ちゃんとはもちろん、志乃と言い合っているあの貧乏神の事だ。
福の神曰く、「貧ちゃんと私はとっても仲良しなの~」である。
貧乏神曰く、「あの女と同じ空間に私は一緒にいたくないわ!」である。
避けに避けまくる貧乏神、避ければ避けるほど寄ってくる福の神。
嫌っているのに、避けているのに、寄って来られる貧乏神からしたらたまったものではない。
福の神のハートは鋼鉄製である。
「貧ちゃ~ん」
「…………」
可愛らしい声が耳に届いたのか、ピタッと貧乏神の動きと口が止まった。
恐る恐るといった感じで自動ドアの方へと目を動かし、顔を動かす。
「何その動き、キモイ、カメレオン?」
「志乃さん、口開くの止めようか」
「あ、あ、貴女っ!何しに来たのよ!」
「一緒にお出かけしましょうって約束したでしょ~?」
「し、してないわ!ちょっとコッチに来るんじゃないわよ!」
「なんで~?私たち友達でしょ~」
「違うわよ!馴れ馴れしくしない、っちょっ、くんなぁ~」
「あ、まって貧ちゃ~ん」
目に涙を浮かべて店内を走る貧乏神。それを笑顔で追いかける福の神。
スカートをたくし上げて本気で走る貧乏神はグルグルグルグルと店内を走り回る。
美しさ、どこ行った。必死過ぎだろ。どんだけ嫌いなんだよ。
志乃はしばらくソレを冷めた目で眺め、スッとレジから離れて自動ドアの前に立った。
音楽が流れて開いた扉に永遠に続きそうなエンドレス鬼ごっこの二人が走ってくる。
「おかえりはこちらです」
「志乃、覚えってらっしゃい!」
「貧ちゃん待って~」
「来んなぶりっ子ブス!」
「貧ちゃんひどいわ~」
貧乏神の罵倒が小さくなるまで自動ドアの前に立ち続けた志乃は何事もなかったかのようにレジに戻った。
それと同時に秒針が一秒進む。
新たなお客様はいつも栄養ドリンクを買いに来る人間の常連さんだ。
「志乃さん」
「何?」
「なんと言うか、さっきの突っ込み所は色々無視する方向ですか?」
「さっき?なんかあった?」
「……なるほど、了解しました」
貧乏神の口調崩壊や嫌われすぎな福の神、来たにも関わらず何も買わずに帰った両者をなかった事にするらしい志乃は死んだ魚のような目で栄養ドリンクをレジに通していた。