第七話『口は災いの元』
休日は栄養補給の日である。
破壊と殺戮の神ンディアナガルの化身にさせられた俺は、凄まじい膂力と耐久力を手に入れた訳だが……身体を動かせば、その分お腹が減るのは当然と言えば当然のことだった。
だけど、家でそのエネルギーを補うべく大量に食べるのは体裁が悪い……いや、むしろそれ以前に、親に変な心配されるのがオチだろう。
何しろ俺の食欲は既に人間の域を超えている……そんな自覚があるくらいなのだから。
尤も、過酷な世界での生活に慣れた所為か、自然と「食いだめ」も出来る体質になったので、人智を超えた大量摂取は週に一・二度くらいで十分なのだが。
「ああ、メニューのここからここまで三人前ずつ」
「……は、はぁ。
あの、おひとり様、です、よね?」
そんな俺が今日来たのは焼き肉バイキング。
オーダーをいちいちするのが面倒な店ではあるが、休日の昼間に1,980円で食べ放題ってのはなかなか粋なお店である。
幸いにして、ちょいと前にチンピラから奉納されたお布施が結構な額、懐に残っていたので……こうして今日は奮発して焼き肉なんて洒落こんでいる訳だ。
とは言え、流石に一人だけでの焼き肉ってのは世間的に珍しかったのか……店員は変な顔をしてそう尋ね返してきやがったのだが。
──おかしいな?
適当につけていたニュースで、最近「一人焼き肉」なるモノが流行っていると聞いたのだが……やはりニュースはニュース、信頼には値しないのだろうか。
「んでよぉ、俺っちの右ストレートが決まった訳よ?
したら、あの餓鬼、顔を押さえて泣き出しやがってよぉっ!」
「流石は、右道さんっ!
そりゃ、泣きますよ、アイツならっ!」
背後の座席では、昼間っぱらから酒が回っているのか、妙に大声で喚く馬鹿共が三人ほど群れていて、やかましいことこの上ない。
とは言え、今の俺にとっては正義よりも肉なのだ。
多少やかましい程度で正義の鉄槌を振り下ろすのもアレだろう。
「お、お待たせしまし、た」
そんな中、店員が大皿を何枚も重ねて持って来てくれた。
男女一組ずつの店員は、信じられないモノを見るかのように、俺と皿とを見比べていたものの……
「おいっ!
こっちのビールはまだ来ねぇのかぁっ!」
「てめぇ、舐めた態度取ってっとぶちくらわすぞ、くらぁっ!」
すぐさまチンピラ共の喚き声に注意を惹かれたのか、店員たちは俺から視線を逸らすと、ぎゃーぎゃー喚く五月蝿いゴミ共の対応に向かって行く。
──さて、焼くか。
俺は一人焼き肉……つまりが、四人前くらいの席を一人で占有しているのだ。
火力を最大にして一斉に焼くと、通常の四倍の速度で肉が喰えるという素晴らしい配置である。
油を多く含むカルビや、火が通りやすいウィンナーなどはあっさりと食べ頃を迎え、唾液を誘発する肉の焼ける匂いを周囲へと巻き散らし……
その匂いに耐えられなくなった俺は、さっさとトングを使って自分の皿に焼き上がった肉を引き上げる。
そのまま、肉を箸で掴むとタレにさっとくぐらせ、口へと運ぶ。
「……うむっ」
これぞ肉、これぞ料理。
最初にタレの甘みと辛みが通り過ぎ、その後に素朴ながらもしっかりとした肉の味と、油がじわりと舌の上に広がる感触が交互に襲い掛かってくる「まさに焼き肉」というその味に、俺は静かに一つ頷いてみせる。
──味に自信あり、というだけはある。
店の前に堂々と揚げられていた旗に書いてある文字を思い浮かべ、俺は内心でそう感心してみせる。
実際……店側が豪語するだけあって、コレで採算が取れているのかと心配してしまうほど、肉の質は良く、タレとの相性も良く、量もしっかりしているのだ。
こんな店で食べ放題とは、かなりの冒険……店側の経営を心配してしまうほどである。
「しかし、久々に贅沢した気分だなぁ」
俺がそう呟いた通り……俺はこの手の「贅沢な」料理に飢えていたのだ。
何しろ、異世界で食った肉料理と言えば、餓鬼の肉を煮込んだスープか、蟲の肉料理とか、ただの木の実とか、そういう有様で……贅沢とは程遠い代物である。
──考えるのは止そう。
食欲がなくなること、この上ない。
勿論、イナゴの佃煮とか蜂の子とか、食べられる虫料理があるのは重々承知しているし、世界には蟲とまでは言わずとも、ミミズを食べている国があるのも聞いたことがある。
ついでに言うと、古代中国では人肉が普通に振る舞われていたとか何とか……
だから別に、俺が異世界で食べたその手の料理が悪いモノだとは思わない。
思わないが……やはり文明人は文明人らしく、こうして美味い物をたらふく食べたいと思う訳だ。
ついでに言うと、うちで出て来るのは冷凍食品がかなりの確率を占めていて……
──さぁ、第二弾を……
そうして軽く肉を五切れほど腹の中に入れた俺が、次に食うべき品をトングで金網の上に置こうとした、その時だった。
「しかし、昨日の女、良かったよな?
ぎゃーぎゃー泣きわめいて、さ」
「ああ、最後まで抵抗していたのがウザかったが……
処女なだけあって、良い締め付けだった」
「写真に撮ったから、もう逆らえないだろ。
また味わおうとしようぜ」
背後から、そんな声が、聞こえてきた、のだ。
要するに……さっきからやかましい、俺の焼き肉タイムに水を差しまくってくれた、あのクソ共は、強姦魔の群れ、ということで。
──何だ。
──俺が躊躇う必要なんて……何処にもないんじゃないか。
いたいけな女性を食い物にする、クソ野郎が楽しそうに酒呑んで笑っている……そんなのを許しておける、訳がない。
……断じて、俺には彼女が出来ずに、一人身を持て余しているってのに、コイツらは女と好き勝手出来るのが許せない訳じゃないのだが。
「……よぉ」
そう結論付けた以上、俺が正義の執行を躊躇う訳がない。
気付けば俺は、手にトングを持ったまま、そのやかましい野郎どもの席の前に立ち、そう話しかけていた。
「何だぁ、てめぇ?」
「餓鬼が、俺たちに何の用だよ?」
大上段から話しかけた俺が気に入らなかったのだろう。
クソ共は顔を変に歪ませながら俺にそう罵声を浴びせかける。
とは言え、こちらは戦場帰り……命を賭けた戦場で、マジモノの刃がある武器を振り回し合う戦場に何度も足を運んでいるのだ。
この程度の、命のやり取りをした経験もないチンピラの変な顔如きにビビる筈もない。
「面白い話、してる、よなっ!」
そのまま俺は、手に持ったトングを眼前で顔を歪ませて威嚇している馬鹿の顔面へと突きつける。
「ぎぃゃああああがぁああああああああああああああっ!」
何というか、狙った訳じゃないものの……当たった場所が悪かった。
適当に突き出しただけだというのに、なり熱せられたトングの両端は二つある眼球の中にそれぞれ、絶妙の軌道を描いて見事に入り込んでしまったのだ。
要するにこの馬鹿は眼球を抉られ焼かれた訳だから、それはもうとてつもない激痛だったんだろう。
男は悲鳴と同時にその場で崩れ落ち、土下座したような恰好のまま、顔を押さえてびくんびくんと痙攣し、動かなくなってしまう。
ついでに尿でズボンを汚し始めたのは……恐らく激痛で意識がぶっ飛んだことにより、膀胱周辺の筋肉が緩んだ所為、だろう。
「て、てめぇ、いきなり、何をっ!」
俺の一撃を全く想定していなかったのだろう。
クズの一人が大怪我をした仲間を介抱しようともせず……いや、恐らく思いつきもしなかったのか、完全に恐怖に染まり、焦りを隠せない表情のままそう尋ねて来る。
だけど……こんなクズなんぞ、同情してやる価値も、情けをかけてやる価値もない。
「うるせぇ、クソがっ!」
そのまま俺は眼前の男の、「男」に向けて右膝を適当に突き出す。
流石にソレを全力で強打するのは、同じ男として少しばかり気が引けたのだ。
だけど……破壊と殺戮の神ンディアナガルの膂力は、その程度の気が引けた一撃でさえ、ソレを破壊するには必要にして十分すぎる威力を秘めていた。
「ぎ、ふぉっ?」
「うわぁああああっ!」
「ひぃいいいいいいっ?」
男は思いっきり股間への打撃で数メートルほど吹っ飛ぶと、そのまま別のテーブル……何の関係もない一般人がいるとこへ突っ込み、口から泡を、股間から血と尿と便を撒き散らしつつ痙攣していた。
よくよく見ると、両足が変な方向へと向いていて……恐らくは股間を膝で強打した衝撃により、睾丸どころか骨盤までもを完全に破壊してしまったらしい。
アレでは、もう二度とまっすぐ歩くことも叶わないだろう。
「て、てめぇ。
お、俺たちが、何をした、ってんだっ?」
「いや、お前らって、女をよってたかって犯すクズ共だろう?
つまり……弱い者いじめが好きなんだろう?」
残った最後の一人は、恐怖の余り腰が抜けたのか椅子に座り込んだまま、それでも必死に虚勢を張って、俺にそう怒鳴りつける。
だからこそ俺は、ゆっくりと微笑んでそう問いかけてやった。
「だからこそ……『弱いものになって』から、一度反省してみろよ?
……なぁっ?」
「みぎゃぁああああああああああああああああああっ!
腕っ、腕っ、腕がぁあああああああああああっ?」
俺はそう告げると、座ったままのソイツの片腕を握りへし折る。
ついでに膝を蹴って砕くと……ソイツの顔面を腕で掴み、その顔面の皮を引き千切ると。
「ほら、抵抗できないまま苦痛を味わい続ける感覚……
弱い者がいじめられる痛みと恐怖を……ゆっくり、味わいながら、反省しやがれっ!」
「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!」
テーブルのど真ん中、焼き肉を焼いていたそこに、皮膚が千切れたばかりの、男の顔面を押し付ける。
クズは悲鳴を上げ、暴れまわって逃げようとするものの……俺の膂力を人間の力如きでどうにか出来る訳もない。
圧倒的な暴力を前に、クズの必死の努力が報われる筈もなく……そのまま激痛で意識を失い、尿をまき散らして痙攣し始めた頃に、俺はようやくそのクズの顔面を焼けた金網から遠ざける。
周囲には焼けた肉の匂いが蔓延し……
「うげぇぁあああああああああああっ!」
「ぉぇええええええええっ!」
何故か周囲の、このクズ共と何の関係もなかった一般客が突如として吐き気を催したらしく、その辺りに嘔吐を始めていた。
──食中り、か。
やはりこれだけ美味い肉を安価で提供しただけあって……何らかの問題があったに違いない。
俺はその事実に思い当たると、その場から踵を返し、店から出ていくことにする。
──惜しかった、な。
前払いで料金は既に支払っているし、皿の上にはまだ焼いていない肉が残っていたのだが……流石にあんなゲロ臭い場所で焼き肉を食い続けられるほど、俺は図太くないつもりである。
俺はさっさと店を出ると……近くのコンビニで焼き肉おむすびを七つほど購入し、歩きながら口に入れることにしたのだった。
……三日後。
何となく通りかかった俺の目の前には、先日通った焼肉屋の、潰れたと思われる張り紙を正面に張り付けた、人気が消え失せた店舗があった。
やはり食中毒を出すってのは、飲食店では問題だったのだろう。
俺は手元の、返り血で黒ずんだままの『ことわざ辞典』を開くと……この状況に相応しいページを開く。
──口は、災いの元、か。
流石の俺でも、このことわざの意味くらいは知っている。
出来もしない大きなことを口に出すと、ろくな結果にならない、という意味だ。
この店はまさにそれを体現したのだろう。
「いや、違う、な」
確かそれは、体操言語とかいう、四字熟語の方じゃなかったか?
手元の本は、相変わらず返り血がどす黒くこびりついてしまっている所為で、真っ当に読むことも叶わないが……
だとすると、このことわざの意味は他にある、と考えるのが妥当だろう。
──考えるまでもない。
ちょっと流行っていたような飲食店が、たった三日で閉店に追い込まれたのだ。
この状況こそ、口は災いの元ということわざの意味を体現しているとしか思えない。
──口は災いの元……
つまり、口から入るものは、災いの元だから注意しましょう。
要するに……食中毒に気を付けましょう、という意味に違いない。
「……まぁ、仕方ない、か」
とは言え、焼き肉屋は他に幾らでもある。
流石のあの量・あの味をあの値段で出す店はないのだが……だからと言って食中毒になるような店で腹を膨らませるのは真っ平御免である。
俺は静かにため息を一つ吐くと……今日も何かを腹いっぱい食べるべく、街中をうろうろと歩き続けるのだった。
注:「口は災いの元」
迂闊な発言は、自分自身に災いを招く結果になることから、口にする言葉は十分に慎むべきだという戒めである。
出来もしない大きなことを言うのは、大言壮語という四字熟語であり……間違っても体操言語じゃないので要注意。




