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第六話『虎の尾を踏む』


「うらぁっ!

 死にやが……ぁ、ぁあ?」


 それは、日差しのうららかなある日のことだった。

 ここ数日間の日課となっている、「ことわざ集」を片手に帰り道を歩いていると……何故か突然、バットを持った頭のおかしいヤツが路地裏から飛び出して来たかと思うと、いきなりソレを俺の頭蓋へと叩きつけやがったのだ。

 とは言え、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能によって守られた俺が、今さらそんなスポーツ用品で殴られたところで……ダメージなどある筈もない。


「……何のつもりだ?」


 多少、衝突した際の金属音がやかましかったものの、ダメージ……痛みが欠片もなかった所為、だろうか。

 襲撃者に報復を……いつも通りの血祭りにしてやろうと、珍しく「思わなかった」俺は、頭蓋にぶつかったことで変形しているバットを軽く握り潰しながら、襲撃してきた男に向けて、静かにそう問いかけてみる。

 正直に言うと、普段ならこんな無礼者など、攻撃を受けた時点で反撃……骨の数本を粉砕骨折させ、生まれてきたことを後悔させてやるところではあるが、幸いにして今日は土曜日。

 半日の授業を終え、明日は休み……しかも、さっきコンビニ前で出くわした同じ学校の連中が奉納してくれた肉まんを喰って、空腹もおさまっている。

 腹が張っていて、しかも気持ちに余裕のある今の俺にとって、『金属バットで殴られた程度』は、怒る理由にすらならなかった。


「ま、マジで、噂通りの化け物、かよ。

 バットを、軽々と……」


 その襲撃者……黒い革ジャンを着た十代後半くらいの、髪を金色に染めてピアスで顔を飾った如何にも不良という感じのその男は、自分の武器が一瞬で使い物にならなくなったのを見て、ようやく「自分がどんな存在に攻撃を仕掛けたか」を理解したのだろう。

 さっきまで浮かべていた人様を嘲笑うような薄笑いを浮かべていたソイツの顔からは、徐々に血の気が引き始め……ほんの三秒後には、幽霊でも目の当たりにしたかのような、青褪めた顔色の不健康そうな男へとジョブチェンジを遂げている。

 俺はその不良の肩を右手で掴んで逃げられないようにすると……ゆっくりと握力を込めながら、再度問いを繰り返す。


「だから……何のつもりかと聞いているんだが?」


「す、すま、済まなかったっ。

 ち、チームの連中に舐められまいと……虎の尾を踏む、覚ぎゃぁあああああああああああああああああっ!」


 その不良の叫びは、いつしか悲鳴へと変わっていた。

 そうなった原因はあからさまで……俺がついうっかり、右手に力を入れ過ぎた所為、だろう。

 尤も、俺が「ほんの少し」力を込めただけで、男の肩は見事に砕け、内部から折れた骨が皮膚を突き破り、破れた皮膚からは血が噴き出していたのだから……まぁ、コイツ悲鳴を上げたのは、ある意味当然だったのかもしれないが。


 ──しくじった、な。

 ──今勉強している「ことわざ」を聞いたから、つい力が入り過ぎちまった。


 本当に、怪我をさせるつもりなんてなかった俺は、悲鳴を上げ続けている男から視線を逸らすと……周囲の注目を浴びる前に、さっさとその場を離れることにする。

 そうして早足で歩きながらも、手元の「ことわざ集」を開き、先ほどの聞いた「虎の尾を踏む」というページを開く。


「あった。

 けど……ああ、やっぱ読めない、か」


 そのページもやはり、いつぞやの不良の返り血が渇き固まったことによって、黒褐色で染まってしまい……どう頑張ったところで読めそうにはない。

 その困難を前に、数多の戦場を潜り抜け、咄嗟の判断力が鍛え上げられた俺の灰色の頭脳は……この事態を解決するための解をあっさりと導き出す。

 ……明日が休みということも、そして、最近は俺を崇めようとする不良共のお蔭で金に困っていなかったことも、その解を閃いた理由の一つかもしれない。

 兎に角、俺は思いついたのだ。


 ──なら、虎のいる動物園に行けば分かるんじゃね?


 ……そんな、当たり前と言えば当たり前な答えを。



 

 翌日の日曜日。

 JRに運ばれ、バスに揺られ、更に歩くこと合わせて数十分。

 千円にも満たない入場料を払ってゲートをくぐり、動物園へとやって来た俺だったが……すぐさま、遠出したことを後悔していた。


 ──くせぇ。

 ──と言うか、動物がいねぇ。


 園内を歩くこと十分ほど。

 動物の糞尿が饐えた匂い……あの腐泥に比べればマシではあるが、そんな中を歩き続ける俺を待っていたのは、空っぽの檻だった。

 ……いや、違う。

 動物がいない、訳じゃない。

 ただ……どの動物も、何かに怯えるかのように檻の片隅や、岩陰や、木の巣箱に入り込んでいて、姿が一切見えないのだ。


 ──何なんだ、この動物園。

 

 あからさまに調教失敗しているとしか思えないその園内の惨状に、俺は溜息を一つ吐く。

 実際、動物園なんて小学校以来だから、少しくらいは楽しいかもと期待をしていたのだが……こんな状況では、楽しむなんて不可能だろう。

 もしかしたら、俺が園内に入った途端に、鳥が一斉に飛び立ったことから察するに、タイミング悪く俺が園内に入るところで、マナーの悪い客が動物を脅かしやがったのかもしれないが。

 しょうがないので俺は、初志貫徹……この動物園に来た目的を達成して、さっさと帰ることにする。


「さて、虎は此処か」


 案内板を見れば、虎の檻へとたどり着くのはそう難しくなかった。

 とは言え、それは俺の方向感覚が良い訳ではなく……虎が大型の肉食獣である所為で、檻が他の比べても大きく、分かり易かったお蔭なのだが。


「って、コイツもか」


 尤も、だからと言って虎がその檻の中を元気よく走り回っている訳もなく……何故か、俺とは反対側の鉄格子にへばりつくように座っていて、しかも眠たいのか全身を丸めて眠っているようにも見える。


 ──虎って夜行性、だっけか?


 胸中にそんな疑問を抱きながらも、俺はもう少し近くで見ようと檻の外周をゆっくりと歩き……虎が丸まっている辺りへとゆっくりと足を進める。

 ……だけど。


「あ」


 俺がある程度近づいた途端、虎は突如走り去り……やはり俺とは反対側の鉄格子にへばりついてしまったのだ。

 その野良猫のような逃げっぷりに溜息を一つ吐いた俺は……一つの根源的な問題点に気付く。


「……と言うか、檻の中にいる虎の尾を、どうやって踏めば良いんだ?」

 

 その問題に少しだけ悩んだ俺だったが……すぐさま、その問題に悩む必要など欠片もないことに気付く。

 幸いにして、虎という生き物はあまり人気がないのか、周囲には他の客もおらず……


「お邪魔しま~すっと」


 俺は静かにそう呟くと……鋼鉄の鉄格子を腕力任せに歪め、虎の檻の中へと身体を滑らせていた。

 動物園を始めとする施設は、学生割などを活用するなど、学生の勉学に対しては大幅な優遇措置を設けている場合が多い。

 だから……多分、コレも許してくれるだろう。

 そんな打算を胸に抱きつつ、俺は歪めた鉄格子を力任せに元に戻すと、その檻の中をゆっくりと歩き……丸まっている虎の方へと近づいていく。


「……動きやしねぇ」


 だけど、俺が近づいても夜行性の虎はやはり丸まっているばかりで……いや、こうして近づいて見ると、ガタガタと酷く震えているのが分かる。

 恐らく、ここ等辺の気候と、この虎が生きていた場所の気候が違い過ぎて……コイツは哀れにも病気になりかけているのではないだろうか?


「……ここ、経営難かもなぁ」


 暖房くらいつけてやれよと内心で思いながらも、俺はこの動物園に来た本来の目的を達成しようと、虎の毛皮を掴み、そのまま力任せにひっくり返す。

 ぶちぶちぶちと毛がかなり抜けたものの……虎の体重は近所の猫と大して変わらない程度しかなく、あっさりと片手の力だけでひっくり返すことが出来た。


「あれ?」

 

 だが、やはりこの虎は病気なのだろう。

 そうして力任せにひっくり返したというのに、ピクリとも動こうともせず……ただ目を閉じ、手足を軽く曲げ、身じろぎ一つせずに固まったままなのだから、かなり重症である。


「……よっと」


 そんな中、俺はその尾を軽く踏んでみたものの……虎はビクッと動いた程度で、そのポーズのまま動こうとはしなかった。

 つまり、この状況から考えられることわざの意味は……


「虎の尾を踏んでも、虎は動こうとしない。

 つまり……見た目は怖そうでも、実は大したことない、って意味か」


 何か突拍子もないことが起きるかもと少しだけ期待していた俺は、期待外れのその結論に小さくため息を吐くと……近くの鉄格子を力任せにこじ開け、そのままさっさと檻の外へ出る。

 と言うか、虎の檻の中でうんこを踏んづけてしまったらしく、さっきから嫌な臭いが漂っていて……俺は、さっさと靴を洗ってしまおうと近くの蛇口を探して歩き始めたのだった。

 何故か、背後の方で大きな悲鳴が上がり、それは徐々に遠ざかり始めたのを耳にして……もしかして、あの元気のない虎はそのまま亡くなったのかもしれない、なんて考えながら。


 檻から脱走した虎が、十数人を喰い殺し、その日の内に射殺されたというニュースを俺が見たのは……その日の晩のことだった。




注:「虎の尾を踏む」

 噛み殺されるかもしれない恐ろしい虎の尾を踏みつけるという意味から、極めて危険なこと、もしくはとてつもなく危険な行動を敢えて行う、という意味。


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