第一話 『出る杭は打たれる』
「……ったく、面倒くせぇ」
通学路の最中、俺はほんの十分ほど前に手渡された「ことわざ集」とやらを眺めながら、そう呟いていた。
適当に好奇心から本を開くと……中には訳の分からない日本語の羅列で満たされていて、はっきり言って訳が分からない。
──何で、破壊と殺戮の神ンディアナガルと呼ばれたこの俺が、こんなこと勉強しなきゃならないんだよ。
……そう。
異世界を旅し、破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能を得た俺は、もはや常人とは言えない力を得ている。
刃は身体を通さないし、矢は皮膚で弾き返し、握力だけで人間の頭蓋を潰すことも可能な、言わば人間を遥かに超越した存在となっているのだ。
そんな俺が、勉強なんざ……とは思うものの、それでも学生の本分は勉強である。
異世界に出かけていた分、出席日数は厳しくなり、出席しなかった所為で授業には置いていかれる。
それが……この現代日本で、無敵の権能を持つ俺の『現実』だった。
「ったく、こんなの、何の役に立つんだか……」
俺は手元の「ことわざ集」で顔を扇ぎながら嘆息する。
そもそもこの『何の役に立つかもよく分からない本』を手渡されたことの発端は、今日の五時間目……国語の授業が終わった時のことだった。
正直に言って、五時間目の国語の授業というモノは、睡魔との戦いが必至である。
幾ら無敵の権能を持つこの俺であっても……満腹中枢を刺激された状態では、国語の授業中全てを睡魔に抗うことなど容易ではない。
……いや、むしろ『不可能』と言っても過言ではないだろう。
という訳で、今日も授業中を爆睡してしまった俺は、この○○○○先生による「ことわざ集」とかいう本を手渡され、告げられたのだ。
──「今月末に小テストを行うから、勉強しておいてほしい」。
……と。
勿論、その申し出を断るのは簡単だった。
ただ右拳を振るうだけで、国語の教師も警察も自衛隊も米軍だろうと一撃で屠ることが出来るのがこの俺の……破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能である。
だけど……俺は首を縦に振っていたのだ。
何故ならば、その申し出は俺にとってもメリットが十分過ぎるほどある、言わば「得な取引」に等しかったのだから。
──小テストと引き換えに、出席日数分の点数をくれる、ってんだからな。
正直に言って、それは試験と言うより温情だった。
出席日数が減り、授業にも遅れがちのこの俺が普通に進級できるための、温情。
その申し出に頷かないほど、俺は馬鹿でも反社会的存在でもない。
──それに、あの教師の言葉って、無碍にし辛いんだよな。
ただでさえ学校生活で友人のいないこの俺に、色々と話しかけてくれたのがあの教師である。
名前は……覚えてないが、まぁ、何処にでもいるような教師だ、うん。
「しかし……どうして今さら「ことわざ集」、なんだろうなぁ」
ただ一つだけ腑に落ちなかった点を、俺は口に出してみる。
とは言え、答えなんて出る訳もない。
まさか、俺の学力を鑑みた結果……小学生で学ぶレベルの、ことわざをテストする以外に救う道がなかった……なんてことはない、と信じたい。
事実……作者の気持ちを答えろなんて文章問題、俺は苦手中の苦手なのだ。
子供の頃、他人の気持ちが分からないところがある、とか通信簿に書かれていたような、いなかったような。
閑話休題。
兎も角、せめてマシな点数を取ろうと、俺は歩きながら本をめくり始めた……その時だった。
「てめぇ、いやがったなっ!」
いつの間に現れたのか……変なチンピラが俺の周りを取り囲んでいた。
その数……十人ってところか。
手には角材や鉄パイプなど、その辺りにある得物を適当に手にした、という感じである。
……異世界で戦い慣れた所為か、こういう場合には敵の数と武器を確かめる習性がついてしまっているらしい。
「この前、足をへし折られた四季の仇っ!」
「俺の弟も、腕を折られたって聞いているぞっ!」
どうやらコイツらはそういう連中らしい。
その脚をへし折られたヤツにも、腕を追ったヤツにも心当たりはなかったが……まぁ、異世界から帰ってきた所為だろう。
価値観の相違によって色々と絡まれることが増えている……そんな感覚は、僅かにだが存在している。
尤も……怪我一つ負わない俺にとって、その手の出来事なんざ蠅が寄って来た程度の、記憶するに値しない出来事でしかないのだが。
しかし……
──この手の連中にしては昼間っぱらから街中で、なんて珍しい。
そう考えた俺が、よくよく周囲を見渡してみれば……俺が立っているのは人気のない裏道の、少し広めの空き地が近くにある場所だった。
近くの空き地には、立ち入り禁止の看板に、鉄筋杭と黄色と黒のテープで囲いをしていて……どうやら工事でもやるのだろう。
……変な本を読んでいた所為で、こんなところまで歩いていたのを全く気が付かなかったようだ。
そうしてコイツらは、人気のないところに俺が足を踏み入れたのを見計らって……集団で襲いかかって来た、というのがことの顛末らしい。
流石に現代日本で堂々と殺しをする訳にはいかない……社会的な道徳を考え、そんなことを考えていた時期が俺にもあり……
その所為で、どうやらこの手の連中に顔を覚えられてしまったようだ。
──やっぱ敵は確実に殺して、口を封じるのが正解だよなぁ。
俺はそう嘆息しつつも、これから始まる無駄な運動の気配に、首を軽く鳴らす。
「良い度胸してるじゃねぇか、おいっ!」
「出る杭は打たれるって言葉、知ってるか、こらっ!」
そうしてチンピラ共が叫ぶ途中で……俺はふと思い立って手元の「ことわざ集」をめくる。
確か……さっきぱらぱらと流し見した時に、その「出る杭は打たれる」ということわざを見つけた、ような……
「てめぇ、シカトしてんじゃねぇぞ、こらぁあああっ!」
そうして俺が本に目を通したのが気に入らなかったらしい。
一匹のアホが俺に向けて角材を振り下ろしてくる。
とは言え……鋼の剣を額で受け止めても何の痛痒も感じないのが、この俺の持つ破壊と殺戮の神ンディアナガルの権能である。
角材如き……ただの棒切れに過ぎない。
「……あ?」
渾身で振り下ろした角材があっさりと砕け……俺が微動だにしないのが不思議なのだろう。
チンピラAは目を見開いてアホ面を晒しながら、手元の折れた角材と俺とを交互に見つけてみた。
「……失せろ。
勉強の邪魔だ」
俺はつい反射的に、そのアホ面に向けて……手元の『武器』を叩きつけていた。
……その武器が、教師から貰った「ことわざ集」だと気付いた時には、もう遅い。
「んぺっ?」
本の角はチンピラの鼻づらへと直撃し……男は空き地の方へと吹っ飛んでいく。
「んほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ?」
そして、吹っ飛んだ先に……哀れにも鉄筋杭があったらしい。
たまたまソイツがぶつかった鉄筋杭には、先端の黄色いキャップがなく……地に突き刺さった鉄筋杭は、見事にソイツの菊の門を穿っていた。
大切な何かを散らした男の、哀れな悲鳴をBGMにしつつも、俺は手元の本へ……ことわざ集へと視線を落とす。
さっきの一撃が、かなり激しかったのだろう。
本の『角』ではなく、ページを開く方の……小口とか言う部位でぶん殴ってしまったのも、悪手の一つだったと思う。
その失策の代償として、俺の持っていた「ことわざ集」は見事に破け、歪み、拉げ……鼻血まみれになって役立たずの紙の束へと化学変化を起こしてしまっていた。
「あちゃぁ……」
俺は嘆息するが……もう遅い。
こうしてぺらぺらとめくっても……ほら、「出る杭は打たれる」という最初の文字以外、読めなくなってしまっていた。
──って、待てよ?
その窮地の最中……俺は思い出す。
今、ケツを鉄筋に穿たれ、じたばたと暴れているあのアホも口にしていたではないか。
……「出る杭は打たれる」と。
「てめぇ、何しやがっ……ほぎゃあああああああああああああああああぁっ?」
「きさ……みぎゃああああああああああああぁあぁあああっ!」
「うるさい、今、閃いたところんだ」
何やら騒ぐアホ共を、軽く指先で皮膚を『抓って』引き千切ることで黙らせながら、俺は思索を巡らせる。
……そう。
この状況こそが……あの最初に吹っ飛ばしたチンピラAこそが、「出る杭は打たれる」ということわざの意味を表しているのだ。
つまり……
「そうかっ!」
やっと謎が解けた俺は、軽く拳を握り、叫ぶ。
「ひ、ひぃぃぃぃ、化け物、化け物だぁああああ」
「逃げろ、逃げろ、逃げろぉおおおおおっ!」
雑魚共も、俺が真面目に勉強を頑張っていることに気付いたのか、ようやく立ち去ってくれていた。
最初に突っかかって来たアホも、ようやく鉄筋から逃れたのか、ケツを真っ赤な手で抑えながら内股でふらふらと逃げ去っていく。
その真っ赤な血を眺めながら……俺は呟く。
「出る杭は打たれると言うのは……
身の程知らずの馬鹿はケツに杭を打たれてしまう、という意味だったんだな」
俺は自分で出した結論に軽く頷くと……ことわざが役に立つことを今さらながらに理解し、このボロボロになった本を何とか読み解こうと、再び歩き出したのだった。
注:「出る杭は打たれる」
……さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。