播種
播種船だったのだろう。
あの日、地上に降り注いだ星々は。
「地上にもたらされた病は、ヘルズ・ホープ彗星に潜んでいたウィルスが原因と特定されているのでしょうxち。人類には避けきれなかった運命なんですっ」
既に陽も落ち、薄暗い廊下に悲鳴に似た甲高い声が響き渡っていた
背後から届く脳髄を切り裂くかのような声音に微かに顔をしかめる。ヒステリックになった女性の声は苦手だと、胸の奥の痛みを無視しながら思う。
彼女が憤りに満ちた表情で叫んでいるだろう内容は、ほんの半世紀程前に起こった新型ウィルスに因るパンデミックとは違う。
今問題になっているのは地球在来のウィルスではない。ヘルズとホープ、二人のアマチュア天文家が同時に発見した彗星。それが砕け散り盛大な天体ショーを披露して見せた後に、時を置いて確認され知らされた不気味な事実。流星に含まれていた空からの種子は、地上の多くの生物細胞に侵入する能力を持っていた。
人畜共通感染症。
鳥インフルエンザがいまだに恐れられ、鶏舎の一羽にでも感染が認められれば、周囲を封鎖し夜通しの三交代制作業でもって全ての鶏を土中に埋め尽くす。そんな手早い手段を講じなければ、やがて人にも感染するウィルスが生まれると人は知っている。
処置が遅れ、もし人と鳥に感染するインフルエンザが生まれれば、空を自由に羽ばたき渡り行く鳥によって運ばれたウィルスが人類に大打撃を与えると。
だが、三十二年前に華々しい天体ショーを見せた彗星が運んで来た種子は想定外すぎた。
未だ小学生だった私は、父母と一緒により良く観測ができる高原へと出かけ、無邪気に楽しんだものだ。長い尾を引きながら幾つもの破片に砕け、地球の大気圏に突入し燃え盛り華々しく消えて行く彗星の欠片を。
それが宇宙から送られて来た、とんでもないプレゼントの箱だとも知らずに。
ヘルズ・ホープ彗星に含まれていたウィルスが持つ特性は、どの生物にも感染する能力だけじゃない。もっと厄介な性質がある。
感染後は直ぐに一時的な休眠期に入り検出は難しい。為に、最悪なのは感染から発症が認められるまでに長いタイムラグがあった点だ。体内に侵入したウィルスは宿主の細胞内でこそ増えるが、初期は容易に他者へ感染らなかった点と、発熱や倦怠感などの病状も無いが故に油断しひとの行き交いに規制を敷かなかったた人類も悪い。
最大の問題は宿主の生殖細胞へ選択的に侵入する事だ。変異体は、確かに繁殖サイクルの短い生物から現れていたのだから。
昆虫からネズミや小鳥、食肉性の嗜好がある動物へと変異体は食物連鎖の順を追って現れた。
今では人からも産まれ、世間からは忌避されつつある変異人類種。
発症した者の数の少なさに、今の内に根絶やしにしろと過激な意見もあるが、最早それは対処療法的な手段に過ぎない。既に多くの人にも感染しているウィルスは、生物の遺伝子の中から除去できない状況に陥っているのだから。
虱潰しに遺伝子検査をし隔離せよとの声もあるが、それも荒唐無稽。空からのウィルスは結晶化し常に身近にあると調べも付いている。
私ですら既に感染している可能性が高く、躍起になって変異体を倒せと叫ぶ輩の中にも感染者は間違いなく存在するだろう。
「解りきっている事実だ。だが人権団体を二分化させているウィルスの根絶は不可能だぞ」
振り返り、不当に施設内に入り込んだ女性を睨んで最近かすれだした声でなじる。
変異体を人と認めよと叫ぶ側と、余りにも好戦的に姿を変容させ人の成りから掛け離れた姿さえ現す者を別種に定め、危険過ぎる獣だと叫ぶ側。
どちらの意見も正しい。
目の前の女は前者か。
人から産まれたのは事実。そして変異人類種に、好戦的に他者へ挑み掛かる性質を持つ者が多いのも。
病原菌の様に、根絶やしにできると勘違いして貰っては困るのだ。話を聞かない連中にいくら説き伏せてみても、言葉の意味は通じないのだから説明するのにさえうんざりする。
かつて天然痘を完璧に地上から排除した時と同じ栄光を、今の後手に回った人類が掴む日は来ない。
半世紀程前の、人の行き来がグローバル化した中でのパンデミックは経済面でも死者数でも大きな打撃を人類に与えたが、それを上回る人々の努力が抑え込みに成功している。
目に見えない巨大な敵に、知恵と知識を持って立ち向かったのだ。
国境も立場も超えて共に闘う意志を持つ一つの生命と化した人類の協調性の前に、凶暴性を持ったウィルスは増殖の機会を抑え込まれ、今では細々と感染を繰り返し人類と共存出来るところまで毒性を弱めている。
ウィルスは自己増殖できないが、生物の細胞内で増える能力を持つから厄介なのだ。転写RNAを拝借し自己を複製する。それだけならば可愛いのだとすら言えたが、増殖したウィルスは拡散の際に宿主の細胞を破壊するのが厄介なのだ。破壊する細胞が多ければ、人体は恒常性を保てなくなり死に至る。
生殖細胞内に入り込んだヘルズ・ホープ・ウィルスは、生物の設計図《DNA》内に己が遺伝子を巧妙に組み込んでしまうのだから余計に厄介だ。
産まれ来る次世代は、言わばウィルスとのハイブリットだ。
初期の変化はハッキリ言って、遺伝子検査でもしないと分からない。体内で一定の数以上にウィルスが増えて、初めて発症と呼ぶべき症状が出現する。
発症と呼ぶべきと言葉を濁すのは、現れる症状が病人と言い難い上に、ウィルス保持者の意思に因る発現だと知れ渡っているからだ。
故に、新たに内在化したウィルス遺伝子がどんな働きをするかは未知数。
宇宙由来のウィルスは、人の予想を遥かに超えていたのだ。
人が想像する物事は全て存在するのだとするマルチ・バース理論の一つ、想像現実論でも引っ張りだし、馬鹿げた発現を見せ付ける獲得能力の説明でもすれば楽なのか。
あれは確かに進化だろう。ただし性急過ぎる。
ウィルスが太古の昔から細胞を持つ生物に寄生し、その遺伝子を宿主の遺伝子へ潜ませて来た事実は二十世紀の頃から知られていた。だがヘルズ・ホープ彗星飛来の後に発現したウィルスの症状は宿主との共生の在り方が異質過ぎるのだ。
あれ程貪欲に数多の生物細胞に侵入し、融合を果たすウィルスを私は知らない。
即座に人を病にしていたなら、危険性は解り易く排除する為の努力も行われただろう。しかし、人の人たる部分から揺るがして来たウィルスは厄介な選択肢を突き付ける。
人種差別の根強さが残るのに、新たな人類との共存は有るのかと。
姿形を容易に変異させてしまう人類と。
「警備員、居ないのか。不審者の侵入を許すな」
怒声を放ってみるが、彼等が直ぐに来ないと予測は立っていた。
遠く悲鳴が聞こえている為だ。この病院敷地内で好戦的な変異体が暴れているのだろう。
最早、日常茶飯事に成りつつある騒動。
もう何度も聞いた銃声に、侵入した女性が身を竦め表情を強張らせる。
歓声が届いて来る辺り、変異人類種が排除されたのだと理解できた。
じきに警備員はこちらへ回って来て、この目の前の女性を拘束してくれると冷ややかな視線を投げる。
ならば私は、有意義で無駄な話をして足止めするのみ。監視カメラのある場所まで、誘導されていたのだと、追いかけて来た彼女はまるで気付いていないのだから。
歓声の聞こえて来た方向へ顔を向けていた女が、こちらに向き直る。
「彼等も人です。どうして話し合いの前に武力で押さえ付けるのです」
「使われているのは麻酔銃だし、話し合いの席に着こうとしないのは奴等だ。あそこまで好戦的に振る舞い、手に入れた能力でもって他人をいたぶる輩がこちらの安全を保障する訳が無い」
「それでもっ、彼等にだって心があるのです。人として人らしく生きる権利は当然あるのでしょう。彼等は病人なんです」
この女性が所属する団体名は何だったか。侵入してきて真っ先に名乗っていたが、私には聞き取れていない。ヒステリックな声に耳を塞ぎたいところだが、努めて平静を装い冷たい言葉を選んで繰り出す。
「そうだが、反社会的行動を取る者は脅威でしかない。普通の人には、あの馬鹿げたアニメか漫画の如き力に対抗する手段は少ない」
普通の人と述べる所で殊更に力を込めれば、即座にテンプレートな回答が返って来る。最早脊髄反射染みた速さで。
「彼等は弱者なんです」
「暴力に訴える輩が? 随分アクティブな病人様だな」
皮肉めいた口調で、更に皮肉どころではない事実を口にすれば女はこちらを睨み付け黙った。
「大方、貴女の子もあれに感染しているのだろう。だから人権をと叫ぶ」
冷ややかに女を見、遠慮なく言葉の刃を放つ。
「母の愛は無償かも知れない。だが変異体の多くは自身の全能性に酔いしれ、他者へ暴力を振るう事実がある」
「でもっ」
「理性的に振る舞い、驚異的な自制心でもって暴れる変異体を押し留めてくれる、ヒーローの如き変異体も知られているがな」
言葉を詰まらせた女の前で一息吸い、唾棄する様に続けた。
「そいつの子孫が暴力的に成らない保証もない。君が言うのと同じ心の問題だ」
女性の顔は怒りか絶望にか、血の気を失い蒼白と化している。
歓声の後の静けさが押し寄せてくる中、遠く規則的な足音が聞こえ、来たなと思う間もなく特殊警備員が姿を現す。
「教授、離れて下さい」
素早い訓練された身のこなし。一番の若手が女性と私の間に立ち塞がり、二人の男女が両側から棒立ちの女を拘束する。
「部外者の立ち入りは禁止されています」
「貴方達がそうやって苛めるから、彼等は力に頼らざるを得ないのでしょう」
警備員の腕の中で暴れながら叫ぶ声に、既に背を向けていた私はもう一度振り返った。
「この方、星辰会の会員ですね」
女の顔を見るより先に、視線のかち合った中年警備員が得意の記憶力から覚えていた女の素性を口にする。
過激派に近いと有名な団体だ。
共存共栄を叫びながら、変異人類種の暴力は許されるべきだとする。
病人だから仕方がないのだと。
女が今しがた叫んだ様に、苛めた側が悪いのだとして。
「願いを伝え会おう。誰もがこの地上の綺羅星。だったかな? 随分と抽象的で綺麗事を並べた御言葉だ」
どうあっても私の口からは皮肉しか出ない。変異体は病人として丁寧に扱われた記録があるのに、この女はそこには触れ様としない。
共存を望む者に、次々と匙を投げさせたのは病人のままが良いと理解した連中だ。
振るわれた暴力の差をまるで問題にしていない。人を超えた力を持つ者が、自身の力に溺れて他者の命を奪っている現実を。
無造作に、無作為に、自分より弱い人々を殺戮した恐るべき能力を。
「私達は新たな人です」
吠える様に叫び、信じ難い力で女性と中年警備員の腕を振り解いた女は、その体を一気に変容させた。
訓練された警備員が腰のホルスターから銃を取り出すよりも早く動き、距離を瞬時に詰めて鋭い爪の伸びた腕を振りかざす。だが、私と彼女の間には若手の警備員がいた。
変容した女性と同じウィルスに感染している青年が。
「ノム、変身を認めるっ」
遅れ、弾き飛ばされた女性警備員の声が響く。
両者共に変容の素体に選んだのは俊足を誇るチーター。ノムの反射速度は女を上回っている。訓練を受けているだけに青年の方が無駄もなければ的確な動きを選ぶ。
窓ガラスを突き破る形で中庭に放られた女は俊敏な身のこなしを見せ、見事四本の脚で地面に着地した。その姿は着地と共にまた別のものへと変わる。
手足の数など無視して背から生え広げられる大鷲の翼。もはや哺乳動物としての基本骨格さえ無視するウィルスの能力発現。身体はチーターのままだから、幻獣グリフォンが現れたと錯覚しそうだ。
獣の咆哮が中庭に響く中、その姿の周辺に粉々に砕け散った強化ガラスの破片が光の粒を煌めかせるのは安いゲームのエフェクト染みている。
「ったく、どこで手に入れたんだか」
侵入してきた星辰会の女が非正規に、簡単には手にできない生物の遺伝子を得ていたと分かるだけに腹立だしい。
バレなければ良いとか、自分だけは許されるとか、影でどれだけの悪事を悪事と思わずに働いて来たのか。
星辰会そのものの闇だと噂される部分だ。
それとも勝てば官軍と心得ているのか。
平等の正義の為にと大義名分を謳いながら、違法な手段で力を得ている癖に、己が罪は隠した上で人権を声高に叫ぶなど被害者の振りした態度も虫酸が走る。
こんな先の先まで見通せず、その場限りの刹那的手段で他者の命を軽んじる輩など。
突き破られた窓から中庭を覗く私の傍らで、空を裂く音がでした。
顔を向ければ、ノムへ変身を認めた女性が銃を構えている。肩の腕章から一番の上司だと分かるが鍛え抜いたイメージは無い。むしろしなやかな体付きは、竹のイメージが重なる。
自身に加わる力をいなして尚、天に向かう力強さ。
放たれた麻酔弾は強力な威力を誇るものだ。下手をすれば死者が出る程の。
翼を広げただけ的として大きくなったグリフォン型の女は、羽ばたき舞い上がったところで簡単に仕留められ、わずか数秒で重低音を響かせて地面とランデブーを果たしていた。
「鷹派だといい加減認めて欲しいですね」
「星辰会か。あそこは政治献金も多いから無理だろうよ」
女上司の愚痴に賛同して毒吐けば堅い笑みを私に向ける。
「頭角の現し方が汚すぎて嫌いです」
整った顔が勿体無いが、職務故の堅実さなのだろう。飛び降りたノム青年が、合流した他の警備員と共に拘束した女を運び去るのを眼下に覗き見送った。
全員の姿が消えた後に、ふと空を見上げれば既に幾つもの星が出て瞬いている。
いつの間にか目は暗闇での攻防に慣れ、都市の灯りの前ではついぞ拝められない星降る光景は美しかった。
「どこから来たウィルスでしょうね」
溜息の様に吐かれた言葉に再び横を見ると、特性警備員の上司である彼女も星々の瞬く空を仰ぎ見ている。
「ノムは良くやってくれます」
その声に振り向けば、中年警備員が腰のホルスターに麻酔銃を収めた所だった。連続では撃てない武器を選ぶのは、まだ変異体と共存できると信じているからか。
「彼はヒーローだが、悪く言う連中もいるのだろう」
「はい。残念ながら陰口は絶えませんね」
「厄介な事だな」
親世代から子へと、生殖細胞へ侵入を果たし内在化したウィルスは垂直伝播する。そうして細胞分裂と共に世代を増やし、発現する能力でもって宿主に病をもたらす場合も有れば進化の原動力ともなり得るのだ。
さらには種としての壁を超えて遺伝子を水平伝播させるウィルスの特性。それは時に別種の生物の遺伝子をも引き連れて伝播させる。元々なかった遺伝子を組み込むのだと聞けば、自然界で容易に遺伝子組み換えが起こっているのだと知って驚く人は多い。
しかも、だ。ヘルズ・ホープ・ウィルスは人の意識を読み取り、挿入させた遺伝子群から任意の生物へと宿主の姿を変容させる能力を持っていたのが問題だった。
個々での振る舞いはウィルスに見えるが、群体になり、宿主内で一定の数を保つ様になると感情の無い知性を持つ。まるで時空を超えて演算能力を持つ量子コンピューターの如く。
ウィルスが機械的だと言われる事はあったが、あれ程まで機械的振る舞いを見せるのは初めてで、オマケに人の意識と繋がり、人が欲する力を顕現させるのが厄介なのだ。
欲しい能力の遺伝子を取り込めば、自由に発現させ得る上に、様々な形に組み合わせて先程のグリフォン様の姿さえ再現せしめるのだから。
「ノムの親御さんは、常人に殺められているんです」
中年警備員の語る情報に息が止まった。
確かに変異人類種を産んだ親だからと分かりやすい悪人として糾弾される人々もいる。大概が社会人として模範的で常識人であるが故に、暴力沙汰に自ら踏み込まないのを良い事に、一方的に暴力が振るわれたとメディアに取り上げられる事件は今でも後を絶たない。
結局人間も変異人類種も同じかと、諦めにも似た感情が痛む胸の内に湧く。
だが、口は否定の言葉を欲して訪ねていた。
「変異体ではなく、か」
私は人間を信じたいのか、人らしさを信じたいのか。
「はい」
「では私は、変異体からすれば狡猾な敵だな。執拗にここが狙われる訳だ」
実際、私は利用している側の人間だと見られているだろう。人らしさを訴え敵対する者達を排除する為に、こちらと志を同じとする変異体の協力を巧妙に仰いだ存在だと認識されているに違いない。
同種同士で争わせ、旧人類への被害を少なくする為に暗躍していると。
「ですが、教授の研究は一つの望みです」
心を砕いて、決してこちらの行為を悪く言わない態度には感謝の念しかない。
「毒で毒を制するやり方だ」
「抗体を作れるんでしょ?」
不思議そうに問い返した男に曖昧に笑って場を濁した時、本日三度目の喧騒が施設内に沸き起こるのが聞こえた。
「本当に、執拗」
皮肉に口元を歪めた上司に応え、中年警備員は再び銃を手にする。
「粗いですが、波状攻撃って奴でしょ」
「教授、私達の後ろに」
無言で従った瞬間、一斉にか細い照明が落ちた。
直ぐに復旧するかと思ったが、やられたのは施設の設備もだったらしく一向に照明の復活は無い。まんじりと過ごす中で星明かりのみが照らす中庭に面する窓を影が覆い、壊れて吹きさらしとなった空間に質量を伴う気配が色濃く現れる。
喉がひり付く。
音もなく、空気を震わす事もなく襲い来たのは、梟の遺伝子を発現させた変異人類種だ。
人の知性が、夜襲に適する生物を選択させている。
頭部を押さえられ、床に這いつくばると同時に擦過音を残し放たれる麻酔弾。
一度放てば充填までに間の開く武器は無効に終わった。
「走って」
頭を押さえた腕は背中から右脇に回され、力任せに引きずり上げられる。これを行っているのが自分より小柄な女性なのが信じ難い。
ついぞ運動しなくなった脚で、よろめき、こけそうになりながら彼女を頼りに走った。
シェルター、あるいは檻として機能する部屋に辿り着く為に。
電源の落ちている今は、内側からの施錠で閉じ籠るしかない部屋だが。
「葦高を渡せ」
向かう先に、私の名を呼び捨てする別の影が現れる。
後ろからは梟だった影。
容易く姿を変容させる変異体の特性を十分に発揮し、その姿は鱗に覆われた人の姿になっている。
「素っ裸は流石に恥じらいがあるか」
振り返った私は侮蔑の感情を込めて言う。こいつが無事なら、もうあの中年警備員は無事ではない。
「伸縮性に富む布地を開発しなければと考えるのは旧人類だからでしょうね。我々は衣服など必要としません。裸の猿ではないのですから」
洒落た言い回しと思っているのだろう。目の前で鱗に覆われていた体は、滑らかな光沢を持つ毛皮に包まれ直された。
「これ、絶滅した日本カワウソの毛皮です」
ズルで手に入れた遺伝子を見せびらかすのは、こちらを同じ人と思っていない証拠か。
三度目の変容を誇らし気に行って見せ両腕を広げるが、指先から伸びる爪は凶器の鋭さ。二人もの変異体を相手に、私と背中合わせになった女性は戦う手段を考えあぐねている。
構えている麻酔銃も牽制としてしか役に立たない。
放てばどちらかは倒せても、もう一人が確実に力の無いこちらを攻め取る。
「我々は、人類が絶滅させた種さえ再現できるのですよ」
「完璧な再現ではないな。カワウソの形じゃない」
「当たり前です。知能まで動物に後退させる気はありませんからね。我々は旧人類の上に立つ存在なのですから、わざわざ愚かしい選択はしませんよ」
インテリぶる男は、細身の体に強靭な筋肉を纏っていた。ほんの一瞬、背中合わせの女性の動きに気を取られた途端に距離を詰め、大きく口を開けて笑う。
各階、至る場所で競り合いが起こっている。
悲鳴、怒声、銃声に獣の咆哮。窓ガラスが破られる音に、ほんのわずかの間だけ煌めいて消える眩い照明弾の明かり。
誰一人応援が来ない点からも、未だに電源の復旧がない点からも、こちらの余力が尽きていると露呈している。小型の自家発電設備も、用意周到に狙われ襲われたのだろう。
「淘汰は常に起こっている」
「絶滅でしょう。君達、旧人類が欲望に任せて行った。だからこそ君達は滅ぶべきです。我々こそが、多くの生物と共存し繁栄し行く力を持っているのですから」
「人に絶望するのは早くないか」
「いいえ。遅過ぎるほどですよ、葦高教授」
人類から派生した癖に、人の罪を背負おうとしない者の意見は正しいのか。
「だから我々は、ただ一種。君達ホモ・サピエンスを地上から排除する」
カワウソ男の爪がより鋭く変化する。
開かれた口の中には発達した肉食獣の牙。
勝利を確信し、ゆっくりと歩みを進め、目と鼻の先まで距離を詰められた。
視界いっぱいに嘲りを浮かべた相手の表情が見える。
「怖ければ目を閉じて。一息に殺して差し上げますから」
優しい囁きが耳元で紡がれた瞬間、カワウソ男の姿が後方に引きずられた。
鈍く響く打撃音と、蛙の潰れた様な短い呻き。背中越しに女性の動きが感じ取られ、後れて小さな呻きと重いものが廊下に崩れ落ちる音が響く。
「ノム」
思わず閉じていた目を開ければ、青年警備員が朧な光の中に確かめられる。
ズタボロの姿だった。彼は幾人の同種を倒してここに至ったのだろう。
「申し訳ありません。遅れました」
「否、謝る事ではない。助かったよ」
「ふざけるな。旧人の仲間を気取るか、貴様」
始めてもう一人の侵入者が声を上げた。人死にが出る程の麻酔を撃たれても、なお立ち上がる精神力は凄まじい。意識しなくとも、自分の体毛が恐怖に逆立っていくのが分かる。
死の瀬戸際に立たされた命を、自分がどれほど惜しく思っていたかを思い知らされる経験だ。
「我々は永遠だ。命の限りを持たぬ生命へ進化した至高の存在だ」
「自分は、人としてここに居ます」
あくまでも人の側である姿勢を貫く言葉に、嘲笑と怒りがない交ぜになった声が低く重々しく返された。まるで審判を下す神の使者の様に。
「いずれ貴様も、年老いぬ姿を忌避されて迫害されると言っているのだ」
「知っています。身をもって経験していますから。この身はヘイフリック限界などとうに突破しているとも。あれほど簡単に細胞を変化させ、任意でアポトーシスと分裂を繰り返す細胞など、自分は悪性腫瘍と大差ないと考えますが」
ノムの表情は、微動だにしなかった。
信じている思想が違うのだと無言で語り、男の前に立ち塞がる。
「我々は癌細胞ではない。旧人こそが地球の癌細胞だ。際限なく増え、他の正常な種を滅ぼす生命に未来はない」
鬼気迫る表情なのが星明かりの元でも分かる。語り続ける男の姿は人から離れ始め、あからさまに攻撃的な形へと変容して行く。
合成獣。地上の様々な生物から凶暴性を抜き取ってカスタマイズした姿へ。
ウィルスの能力を最大限に引き出した姿だった。
「自分は、そうとは考えない」
ハッキリした拒絶を機に、キメラと化した男は襲い来た。
ノムの言葉の一部は正しい。命の回数券と呼ばれるテロメアの減少は、変異人類種に見られない。普段の姿を人のままに保ちながら、内側にある遺伝子に大きな変化を持ち、また変化させられる能力を持つ彼等は。
「旧人は歪んだ命だ。同じ人だとしながら、人種差別の問題すら何時までも解決させていないだろうッ」
訓練されたノムには連戦の疲れが、キメラ化した男には麻酔の効果が残っている。
動きに鈍さはあるが、共に一撃へ全ての想いを賭けたか、真っ向からぶつかり合った。
鋭い爪と爪が絡み合い、牙と牙が互いの肩に食い込む。唸り合う声と、滴る血の匂いが私にまで届いた時、不意にゆっくりとキメラの身体が崩れ落ちていく。
「……見た目だけで差別する旧人は滅ぶべきだ」
そう、意識を失う寸前まで信念からの言葉を吐いて。
闇夜では、何が起きていたか詳しくは分からない。ノムの向こう側に、女性警備員の顔が浮かんでいたから彼女が何らかの対処をしたのだとは判断できたが。
「襲撃は終わりか」
無線を使い、きびきびと後処理を行う二人の横で窓の向こうにある夜空を見上げた。
電気の普及は一部から始まっているが、この棟にはまだ及んでいない。
「危ない目に合わせて申し訳ありません」
隣に来たノムは謝罪の言葉を述べた後、笑っただけの私に倣って空に視線を向ける。
少しの間、なにかを探す様にさ迷っていた瞳が、直ぐに子供みたいな無邪気さに煌めき笑顔を見せて呟く。
「あっ、流れた」
星が降っていた。闇色の世界に煌めく星が。
あれも、もしかしたら播種船なのかも知れない。
「自分、流れ星見るの好きなんですよ」
「今の時代じゃ、ウィルスを運んで来る脅威とも捉えられているのに?」
「綺麗だし、脅威だとしても、ウィルスそのものに悪意があるとは考えられません」
つい皮肉がでたのに、屈託のない笑顔のまま答えられた。
「確かにヘルズ・ホープ・ウィルスは、感染者の思う姿を与えてくれます。脅威の能力で恐れられるのは分かるんです。ですがそれでも自分は、この身に宿るウィルスのお陰で大切な人を守れる力を得ています」
彼自身の胸の上に置かれた手は、心臓を守ると言うよりも、心を大切に思っているのだと伝えて来る。
信じているのだ。何処までも人を、人間らしさと言う優しさや強さを。
「野村君、流れ星は意外と頻繁に地上に降り注いでいる。平均すれば一時間の間に数個は流れているそうだ。だから方向と、タイミングさえ合えば見るのは叶わぬものではないのさ」
一生に一度、有るか無いかの特別な天体ショーだと、ヘルズ・ホープ彗星を見に行った高原を思い出す。
満天の星の下、危険性など微塵も考えなかったし、ただ父親が語る宇宙の知識を好奇心いっぱいに聞いていた。
小学生の頃に得た父からの古い知識を披露した私は、白衣の胸ポケットを探り煙草を取り出してみる。すると一瞬だけ子供の様にはしゃいだ彼は珍しい物を見る顔をした。
笑ってつぶれた箱から飛び出す1本を摘まみ、つい自分への皮肉を告げる。
「絶滅危惧種、喫煙者さ」
けほり、と力の無い乾いた咳が出るのにも構わず、清潔そうな白い紙に包まれる細い煙草を咥えた。
胸の奥の痛みを感じながら、指先は無意識に再びポケットをまさぐりライターを探す。
わずかに顔をしかめたノムが、声を上げる前に口にした煙草を離した。
そのまま、指先でくるくると弄ぶ。
「嫌いかな?」
「いいえ、分かりません。ただ、どこかお加減が悪いのかと」
咳の方を心配したのかと気付いたが、素知らぬ振りで煙草の話を続ける。
「良くないと分かっていても止められないんだ」
自嘲し『駄目な大人だろ』と煙草を咥え直してみたが、手にしたライターで火をつける気にはなれず、手持ちぶたさから夜空に瞬く星々を見上げた。
……そう、止められない。止められないのだ。人類はとっくに負けている。
所詮表面的な事か、身近な問題しか考えられないのが人なのだろう。
いずれヘルズ・ホープ・ウィルスは、全ての生物遺伝子をまぜこぜにして均一化させる。グローバル化した人の動きがそれを後押しし加速させるだろう。
今、この時にさえ、自由に国境を越えて行き交う人々が、ウィルスの運び屋となっているのだから。満遍なく行き渡る日は近い。
そうしてこの地上からは多様性が消失するのだ。
見た目だけは多様なまま、内側に均一な遺伝子を抱く生物の個体群では、未来など閉ざされるに決まっている。
「教授?」
不意の沈黙の理由が自分の質問にあると思ったか、ノムが遠慮がちに呼び掛けてきた。
「ああ、すまない。禁煙してみようかと考えていたんだ。心配されるような咳をしていたなら、近々、健康診断でも受けるよ」
「今年の、まだ受けていないんですか」
「忙しさを理由にな」
「だめですよ。教授はみんなの希望です」
幼い子供を叱る調子で、『めっ』と続ける彼に笑いを零す。
口から煙草を離し箱へと戻した私は、近くのゴミ箱へ躊躇なく放り入れた。
敵ばかりじゃない、味方は存在する。それに表面的部分だけではなく、少しの変化に気が付き見知らぬ他者へ心を砕く者だっている。
乾いた咳に異変を察知したノムの様に。
ヘルズ・ホープ・ウィルスは既存のウィルスとは余りに違う振る舞いを行う。
しかし宿主が居なければ繁栄できないウィルスが、例え初期に強毒性を持っていてもやがては共存を図り、宿主の身を滅ぼさないところまで毒性を弱める進化の圧力は同じだと信じたい。
共存共栄の歩みはウィルス側からも行われているかも知れないのだから。ただ人は不遜過ぎて、気が付かないだけで。
「ノム、高木さん意識を取り戻したそうよ」
無線でのやり取りを行っていた女性警備員から朗報が知らされる。
あの記憶力のいい、中年警備員は助かったのだ。
「よかった。高木さん、意識を取り戻したんですね」
喜びを全身で表し、上司へと駆け寄る野村青年に気付いた事を尋ねた。
「ノム君、もう怪我は大丈夫なのか」
「はい。ウィルスのお陰で多少の傷ならすぐに治ります」
一度こちらを向いて、ガッツ・ポーズを披露する姿には明るさしかない。
元気のいい青年だと思いながら、今知らされ気付かされた事実に私は思案を巡らしていた。
ウィルスの排除は正直、もう絶望的だが特性の利用はできる。
例えば昔から遺伝子疾患のある患者を、クリスパー・キャス9シリーズを使った治療で完治を試みられている様に。
元より病原性が特殊過ぎて気付かなかったが、ヘルズ・ホープ彗星が運んだウィルスは人々に健康をもたらすかも知れないと。
未だに人権問題で争う人々には、越え難い壁は残るだろうが希望はある。
無線越しに、高木警備員と言葉を交わしている青年の姿を眺めながら、私はアプローチを変えようと呟く。
人らしい優しさ、強さを信じてみるべきだと。
ここまで読んで頂きありがとうございます。




