まもるべきこども 1
通夜も葬儀も終わり、倒れこむようにソファーに倒れた。
葬儀の手順など知らなかったが、喪主というのも、聞きよう聞き真似でどうにかなるものだ。兄の会社の社長が親切であったのもありがたい、ほとんどの手配は彼がやってくれたようなものだ。それに連絡するような親戚もいないし、実際に私がやったことなんて数えるほどだ。
しかし、疲れるものは疲れた。
後片付けも、何もかもは今は後回しだ。とにかく今は、眠らないでも、横になりたかった。
「お疲れ、千隼姉ちゃん」
「ん、」
ティーパックの緑茶を急須から注いで、瑠璃が傍らのテーブルに置いてくれた。
足元を見ると、いつのまにか由鷹が膝を抱えて床に座っていた。
「由鷹、もうそろそろ寝な」
「学校は休みだろ、まだここにいるよ」
そういえば明日は日曜日だった。
日付感覚まで狂っているとは、意外と私もショックを受けているのかもしれない。
相変わらず、涙とやらは出てこないけれど。
涙なんて、義兄の嫁さんが亡くなってから流してない。あの時は呆然としたし、滝のように涙が溢れて、悲しくてたまらなかった。優しい人で、私にもよくしてくれたし色々なことを教えてくれた。母親というのはああいう人のことを言うのかと、産まれてから大してそういう温もりなんてものと縁遠かった私は、母親や姉の温かさというものを、あのひとから教わった。
乾いた、声だけの笑いしか出てこない。
――また、失った。
顔も知らない母親を失った。ろくでなしとはいえ、義父を失った。大好きだった義姉も失くした。今度は父代わりで、兄でもあった義兄を。
どこまで失えばいい。
――どこまで。
「……千隼姉ちゃん、これから、どうする?」
ああ、そういえばそんな面倒な考え事、あったな。
すっかり忘れていた。
今はそんな不毛なことを考えているより、私に残された、私の大事なもののことを考えなければ。
「私は、学校やめなきゃな。あんたたちの生活は、あんまり変わりやしないさ」
養うべきふたり、瑠璃も由鷹もまだ未成年なのだ。
私が稼ぎ手とならなければ、みんな飢え死にだ。まあこれから多少の賠償金は入ってくるから――こればかりは人をはねたのではなくはねられて良かったと思ってしまう――、その補填で私が稼げばいいだけの話だ。
「駄目だよ!あたしが働くから。千隼姉ちゃん、短大入ったばっかりでしょ」
「そうは言ったって、あんたを中卒にしとける訳ないだろ。今時高卒も大卒も不景気でほとんど変わりゃあしないけど、中卒はやっぱり厳しいからさ。いいからあんたは行きたい高校行きなさい。私立は入れてやれないけどね」
「でも!」
「いいの!私が一番年長、家長なんだから私の言うことは絶対じゃ!!悪いと思うなら、高校行ったらバイトして由鷹と自分の小遣いでも稼いであげて。流石にそこまで無理っぽいし」
「オレだってバイトぐらいするよ、姉貴!」
由鷹が怒鳴るように叫んだ。
でも声変わり前のソプラノボイスだから怖くも何ともない。
「あんたは義務教育ぐらい勉強してな。バイトはする必要なし、そもそもできんでしょうが」
「でもオレだってもう子供じゃないんだ!……親父だって、そんなの許さない」
だんだん涙声になってくる由鷹を見てつられたのか、瑠璃も涙を目にためてうるうるさせていた。相変わらず可愛らしい顔だ。陰気根暗と顔に書いてあるような私とは程遠い、可憐で明るそうな、ほんわか美人。髪や目の薄い色彩もそれを彩って、これは自分の娘だと言いふらしたくなる。いや妹、いや実際には姪なのだけれど。
由鷹も、性別の差はあっても基本パーツはほぼそのままで、そっくりである。由鷹の方が多少鋭さがある、くらいか。可愛い嫁さんを貰いそうだが、尻に敷かれそうだと思ってるのは一生黙っておこう。
ふたりの顔に苦笑して、私はふたりを抱き寄せる。ええい、スーツが皺になろうと構うもんか。どうせ安物だ。
「あんたたちは、まだ子供。子供は甘えてな」
「でも、」
「でもも、何もない。――私は義兄ちゃんに甘えた。だから、今度はあんたたちが私に甘える番なんだ」
「……親父は、そりゃ、何人よしかかっても大丈夫そうなひとだったし、男だったから」
まあ、義兄は昔はちょっとひょろかったのに、土木園芸始めてから筋肉隆々のマッチョに変貌したのでそりゃあ私じゃ頼りないだろうと思う。何せ由鷹と瑠璃の二人を腕にぶら下げて軽々スクワットできたような男だ。ベンチプレスやその他マッスル系諸々の記録を近所のスポーツセンターに打ち立て、町内の季節イベントの豆まきではリアルなまはげ(ちょっと違う気もする)として子供たちを追い掛け回し泣き叫びさせ――あれ、何か思考がずれた。まあいい。
そこまで肉体的に頼りがいのある女というのも嫌なものだが。
「ごめんな、頼りなくて」
「「違う!」」
二人して同じタイミングで叫ばれた。流石姉弟、同じ血を感じる。
「姉貴ばっかり、辛い思いさせるのは嫌なんだ。…家族だろ、オレたち」
おお、この間まで泣き虫だった餓鬼が一丁前に言うようになったな。将来いい男になりそうだ。
血は繋がってないと知ってるだろうに、泣かせることを言う。
今度は瑠璃が、私の首に確りと抱きついて、言った。
「千隼姉ちゃんの重荷になるなんて、あたしたちは、嫌なんだよ」
――嗚呼。
堪らなくなって、ぎゅうと瑠璃と由鷹を抱きしめる。
母親とすげ変わるように日常に侵入してきた私を、遠巻きにするでも完全に寄りかかる訳でもなく、こうして力になってくれようとしていることが嬉しかった。血の繋がりは無いのに、姉と呼んでくれ、親のように慕ってくれる。
それがどれ程私を癒すのか、この二人は知らないのだろう。知らないままで、いいのだけど。
「……じゃあ、できる範囲で助けてくださいな。おふたりさん」
(義兄ちゃん、あんたの子はいい子ですよ)
心の中で、テーブルの上に置かれたままの骨壷の包みを見やる。
そういえば、墓はどうしようか。赤城――父の墓はあるが、兄とは絶縁状態だった。だから父の墓に入ることは良しとしないだろうし、かといって新しい墓を飼うのも懐的には心許ない。
「……墓、どうしようか」
口に出していたらしく、私の腕の中の瑠璃と由鷹が顔を見合わせた。
「何か聞いてた、由?」
「海にでも撒けって、前に言ってたけど」
「子供に何を言ってるんだよあのおっさんは……ざっくばらんすぎるだろ」
「山にでもいいって」
「どんだけ自然に還りたいんだ」
しかしながら、それも一つの案だ。カルシウムが自然界にどんな影響を与えるかは知らないが、養分にもならなければ毒にもならないだろう。墓を見に行ってみて、駄目そうなら海にでも行こう。
「毎年海に墓参り、っていうのもおつなもんだな」
へらり、と久しぶりに笑えただろう顔は、きっと情けなかった。
ブラコンでシスコン、手が付けられない。