第一章:1 冤罪
時は数日前に遡る。
俺……ケンジョウ=イズミは【ハービディア大陸】の東にある剣と魔法の国【ハイフレイア王国】の城下町アインスにある冒険者ギルドの掲示板の前に立ち……途方に暮れていた。
「……困った」
祖国である東の島国【ヤマト】よりやってきた故にこの国のルールを知らなかった。
ギルドで仕事を受けるにはギルドに属さなければならないらしい。なるほど確かに、依頼書には「護衛依頼:A級冒険者求む」や「生産職(彫金師)限定」など色々条件が書かれている。属していない素性もわからない人間に対しての依頼などは一枚もない。
そこまではよかったがギルドに属するには一定のお金が必要であることが非常に大きな壁となった。
そもそも国から出てハイフレイアにやってきたのだ。それなりの金を持っているはずだった。
しかし今の俺の持ち金はポケットに入れていた100Cのみ。ギルド登録料……10000C。宿屋に一泊するのに3000C……何をするにもお金が足りない。
散財したわけでもない。準備が不足していたわけでもない。なんてことない。ただ、無くしてしまった。
街の人通りが多く、多数の人とすれ違い……買い食いしようと財布を出そうとしたら、財布が無くなっていたのだ。
一応衛兵に言ってみたはいいものの全く取り合ってもくれず。
無くしたものが返ってくるわけでもなし、ならば稼ぐしかあるまいとギルドへ来たものの稼ぐスタートラインに立つことすらできない。
途方に暮れていると、突如背後から声がした。
「長いこと掲示板の前で立ち尽くして暗い顔して、どうしたんだ?」
「ッ!」
「おいおい、そんなに警戒すんなって。喧嘩売ってんじゃないんだからよ。で?どうしたんだ?困ってんなら話聞くぜ?」
全く気配を感じなかった。いくら途方に暮れているとはいえ……背後に無防備に接近されるなど、ここ数年無かったことだ。
話しかけてきた男を見る。周りの冒険者と思しき人たちと変わらない軽鎧を身に付け、腰には片手剣を差している。軽そうな顔つきで歳は俺と同じか少し下くらいだろうか。
見た目の印象が普通であるが故に、俺の背後に気配を悟られずに近付いてきた事実が不気味さを引き立たせていた。
しかし……
「……話すと長くなるのですが」
「なんか深刻そうだし、聞かせてくれよ。向こう座ろうぜ」
見知らぬ男に金をなくしたことを話すか悩んだが、結局これまでの経緯を話すことにした。
金もなければ余裕もないのは事実だった。
ギルド内の片隅の席に移動し、男がウェイターを呼ぶ。ギルドは飲食スペースも兼ねているようだった。
「エールを1杯!兄さんはなんか飲むかい?」
「その……100Cしか持っていないので」
「100C!?あっはは!賭博でやらかしたか!?まあいいや、ウェイターさん!やっぱエール2杯でよろしく!」
ウェイターにエールを追加注文する。程なくして2つのジョッキがテーブルに運ばれてくる。
「奢りだ!嫌な事があったときはパーっと飲もうぜ!」
「……ありがとうございます」
「乾杯!」
「……乾杯」
なんだこの泡だらけの飲み物(?)は。
流されるまま乾杯をしてエールと呼ばれた飲み物を喉に流し込む。酒精が脳を揺らす。これは酒か。
心の傷を癒すように、ひと口、ふた口とエールが流れ込んでいく。気付けば飲み干してしまっていた。エールというものはこうも飲みやすいものなのか。ヤマトの清酒の飲みやすさとはまた違った趣がある。
「いい飲みっぷりだな!よっぽど負けが込んでたのか?」
「いえ、賭博ではなく……財布を失ってしまって」
「そりゃ災難だったな……。そういやここいらで見ない顔だな?罪人闘技大会を見にきた観光客とかか?」
「いえ、そういうわけでは。……罪人闘技大会?」
いきなり物騒な言葉が聞こえた。
俺の様子を見て男は続ける。
「あぁ、知らなかったのか。この国では一年に一度、罪人同士で戦う闘技大会が行われるんだよ。有効打とかで点を取る得点制の普通の闘技大会と違って、最悪死ぬまで戦わせる前時代的なやつな」
「なかなか悪趣味な催し物ですね」
「まあそう言うなって。民衆の鬱憤を晴らすのにはそういうスリリングなのも必要なんだよ。まぁ、実際は降参とかあるし気絶させたうえで剣を収める奴もいるからそこまで死人は出ないんだがな。生放送でかぶりつきで観るやつもいるくらいだぜ」
「生、放送……?」
「カウンターの上らへん見てみな。薄い黒い板があるだろ。アレに闘技大会の様子が映し出されるんだ。モニターっていう魔道具で、高級品なんだぜ」
魔道具。その言葉通り魔術を込めた道具。この国を支えている文化の一つらしい。
ギルドの天井にぶら下がっている照明器具なども魔道具であり、魔術に縁のないヤマトでは見ることもなかったものだ。
魔道具とはすごい物なのだな……。
「で、普通の闘技大会より激しくて白熱するからこれを目当に来たのかと思ってな?……改めてアンタを見たら別に人の殺し合いなんかで盛り上がる気質じゃなさそうだな」
「いや、興味がないわけではない……です」
「へぇ……剣士の性ってやつかね。腰に提げてんの刀だろ?そんな扱いづらい剣使ってるくらいなら剣の腕には自信があるのか?」
「それなりには」
「だったらこんなとこいるよりはギアラン公国に行った方がいいかもな。あっちは危険な魔物が多く出没するから荒事が得意な奴はここより稼げるし……何よりギルドに属してなくても仕事を振ってもらえる。人手が足りないみたいでな」
知らない単語がちらほらと出てきた。尋ねてみると親切に教えてくれた。
【ギアラン公国】とはハイフレイア王国の西に位置する国で、ハイフレイアは魔法の国であるのに対し、ギアランは魔力に頼らない蒸気機関などの技術を扱う国で、気難しい頑固気質な人が多いとされている……が、ハイフレイアとは貿易で交流があり、魔導技術と機械技術を合わせた魔導車なる乗り物を共同で開発するほど仲は良好とのこと。……魔力に頼らないのではなかったのだろうか。
そして【魔物】……これはハービディア大陸全土に出没する生き物で、ゲル状のものから緑の小人のようなものなど様々なものがいる。全部が全部人に害を成すわけではないので特に理由のない魔物の殺戮は犯罪と見做されることもある。当然、危険な魔物も存在するのでその時はギルドを通して討伐依頼が出されることもある……とのこと。ハービディア全土に出没するとは言ってもハイフレイア領ではあまり出没しないらしい。
「なんというかこの国は色々管理が行き届いているからさ。なんの準備もできてない旅人が仕事をするのには向いてないんだよ。それでなくともなんか最近騎士団どもが忙しそうできな臭いし、税金はそこそこ高いし、特に用がないならあまりこの国にいない方がいいと思うぜ」
「そう……なんですか」
「出発するなら早めに行ったほうがいい。金がないとろくに準備もできないだろうから体力があるうちに動かないとな」
と言いながらテーブルにポケットから地図を取り出し、広げて道を指す。
「西門から出て少し道なりに進んで、分岐路に来たら看板が立ってる道を突っ切るのが最短だ。地図では少し分かりづらいが山道になっているわ熊は出るわで歩行者がここを通ることはあまりないんだが……まぁ、大丈夫だろ。あんた、飯買う金も無いから熊が出たらちょうどいいな!」
「熊?魔物ではなく……?」
「熊を馬鹿にすんなよ?生半可な魔物よりめちゃくちゃに強いんだぞ」
「そう……ですか」
熊が強いのは知ってるけども。
というか、ちょうどいいって……食えってことか?
「んで、この道を抜けた先のトゥージアに入るといいだろう。ハイフレイア領だが、ギルドを通さない仕事も一応ある。街の掲示板に貼ってあるのを見てみるといい。根を下ろして生活するのは難しいとは思うけどな。で、ちょっと稼いでから西に向かう定期魔導車に乗って数日くらいでギアランに着くぜ」
「……わかりました。色々と、ありがとうございました」
一礼して出口へ向かう。
後ろからまた声が掛かる。
「そういやあんたの名前は?」
「ケンジョウ=イズミです。……あなたは?」
「俺は……ええと、オニマルだ!またなんか縁があったら会うこともあるかもな!」
「……ええ、それでは」
…………何故、名乗るのに少し詰まったのだろう。
何か引っ掛かりを覚えつつもオニマルに背を向けギルドから出ていくのであった。
──────────────────
「はぁ……」
ギルドから外に出てため息をつく。
『で?これからどうするんじゃ?ケンよ』
突如声が響く。
驚くこともなく刀に触れながら言葉を返す。
「……街を出てトゥージアへ。あの男が言っていたようにした方が良さそうだ」
『適当に罪を犯して罪人闘技大会とやらに出てみたらどうじゃ?罪人なら最低限食いっぱぐれはせんじゃろ。お主の腕前なら死ぬこともなかろうて』
「……お前を質に出すか。喋る刀は高く買い取ってもらえそうだ」
『そうはならんじゃろ!』
とんでもないことを言って質に出されそうになっているのは腰に差さっている刀【ミタマ】。
話すことができることからわかる通り、ただの刀ではない。
『お主にはわしが必要じゃろ!?家族じゃろ!?そんな質に出すなど冗談でも……』
「……」
『何故黙っておるんじゃ!?なあ!?神ぞ!?わし、神ぞ!?神を質に入れるなぞ前代未聞じゃぞ!?』
「人を犯罪に走らせる神がいてたまるか」
『そりゃそうじゃ!わしはそんじょそこらの神とは一味も二味も違うからのぅ!』
「褒めてない。……そろそろ静かにしろ。街の人に怪しく見られそうだ」
『わしの声は今はお主にしか聞こえないようにしてあるからお主がぶつくさ独り言垂れとるだけじゃぞ』
…………
『というかわしに向かって念を送れば会話ができると前から言っておろう』
……………………
「(質屋は……)」
『悪かった!悪かったからわしを質に出そうとするでない!』
騒がしいミタマをよそに歩きながら周りを見渡す。やはり人が多い。
先ほどオニマルが言った通り、闘技大会の為に街がお祭り騒ぎとなっているようだった。
わざわざ罪人が命懸けで戦う様を観戦して楽しむとは悪趣味だな、と思いつつも少し興味はあった。金さえあればおそらく観戦していたことだろう。
そんなことを思いながら街の外へ向かう途中、残った有り金をはたいて、水とパンの耳を買った。パンの耳をくれと言った時の店員の顔は可哀想なものを見る目だった……。
──────────────────
街の外へ出て、道なりに進む。
地図で見た通り、道が三方向に分かれていた。言われた通り、看板が立っている道を選ぶ。看板には「危険!この先クマ出没注意!」と書かれている。
山道を通りながらミタマに問いかける。
「先程の男……オニマルについてどう思う」
『どう思う、とな?わしから見たら怪しいことこの上なかったぞ。ここいらで見ない顔、などと言っておったが……そのようなことを宣うにはアインスの街は広いと思うがの』
「気になるところはそこなのか……しかし、怪しいというのは俺も同意だ」
オニマルとの邂逅を思い出しながら話を続ける。
「最初に声をかけられた時も……気配を感じなかった。あの距離まで気配を消して距離を詰められるのは相当な手練だ」
『そうじゃな。安っぽい軽鎧が逆に浮くほどに隙がなかったように思うぞ』
「それに、ミタマのことを刀と呼び、俺のことを剣士と言った。ハイフレイアの者ならば刀は東国剣と呼び、美術品として扱う者が多いと聞く。風貌はヤマトの出で立ちでは無さそうだが……」
『しかしお主はあの男の助言に従いギアラン公国へ向かおうとしておるな?怪しいのではなかったのか?』
「……金が無く、あの街で仕事をするのが無理なのは事実。それに、オニマルは何故だか知らんが俺をハイフレイアから脱出させようとしていた気が」
『待て、警戒しろ』
話を遮り剣呑な声を出すミタマ。
その声に思わず息を飲み、周りの気配を探る。
「叫び声……?」
進行方向から微かにではあるが、何か叫び声が聞こえる。
何かよからぬことが起きている。思わず音に向かって走り出す。
『向かうのか?』
「誰かが襲われていたら……助太刀する」
『やれやれ……暗いのか熱いのか、いまだによくわからんのう此奴は……』
例の出没するらしい熊に襲われている可能性がある。
だが、何故かはわからないが。なんとなく熊ではない……そんな予感がしていた。
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「なかなか粘るじゃねえかよ……お前らァ!この女を囲め!」
「「「「「応ッ!」」」」」
「くっ……下劣な輩に、遅れは取りませんわ!」
山道のど真ん中。そこには馬を繋いでいない大きい馬車のようなものが2台、倒れている複数人の兵士、それらを取り囲んでいる屈強な男たちに、戦闘鎧装を纏い長い金色の髪を靡かせ両刃剣を構えて立ち向かう女騎士がいた。
しかし女騎士の方は満身創痍。鎧は傷つき、ところどころ怪我をしている。周りの兵士たちも立ち上がれない。すでに事切れている。
対して男たちは数人が倒れ、数人は多少怪我はしてるものの明らかに体力が残っている。どちらが優勢かは火を見るより明らかだった。
「ボン!ヌン!お前らはあの車に行け!」
「はいさ!」「ほいさ!」
女騎士に対する包囲を維持しつつ、ボン、ヌンと呼ばれた2人の男たちが馬車のようなものになだれ込む。そして中から
「き、貴様ら何をッ!!!ぬわーっ!!!」
男の悲痛な声が響き渡る。
「ルートヴィヒ!!!」
中にいた者の名を叫ぶ女騎士。
すぐに気を取り直し、賊に立ち向かう。
「【風刃】!!!」
そう叫ぶと、女騎士の周りから数個の風の刃が男達に襲い掛かる。
避けた者もいるが、当たって肩を抉られた者もいる。その者を見逃さずそちらへ剣を構えて突き進む。
「ハァッ!!!」
「うがっ!」
一人仕留めた。そう思ったのも束の間、横から後ろから攻撃が襲い掛かる!
右手から襲い掛かる者に剣を薙ぐ。薙ぎながら魔力を脚に込めて前進、包囲からの離脱を図る。
しかし、
「逃がすかよ!【棘打】!!」
脚に賊の魔術が当たってしまう。
体勢を崩し転んでしまった。この大きな隙を見逃す賊ではない。
すぐさまリーダーと思しき男が魔術で蔦を動かし女騎士の自由を奪う。
「へっへへ……いい眺めじゃねえかおい?」
「くっ……ウインド……」
「させねえよ!」
すぐに女騎士の口に布を突っ込む。詠唱ができないと魔術を使えない。腕も自由に動かせない、魔術は使えない。女騎士の瞳に絶望がよぎる。
その様子を見ながら男は乱暴に鎧の留め具を壊し前面を剥ぎ、帷子の上からでも大きさがわかる胸を見ながら下卑た笑いを浮かべる。
「なんだよ……なかなかいいもん持ってんじゃねえか。お前は殺せと言われてるが楽しんでからでも遅くはねえわなぁ……?」
「んんーッ!んーっ!!!(いや……嫌っ……嫌嫌嫌っ!!!誰かっ……!!!)」
女騎士の心は絶望と恐怖に染まっていく。同行者達は皆倒れ、来るはずのない助けを心の中で必死に呼ぶ。
「おいお前らァ!周り見張ってろォ!通りかかった奴はなんであれ殺せ!コイツは楽しんでから殺す!」
リーダー格の男は後ろの手下に声をかける。
しかし、その声に応える者はいなかった。
「なんだァ?返事はどうしたぁ?聞こえなかったのか?……お前らにもコイツで遊ばせてやっから……」
そう言いながら後ろを見ると……
そこに立っていたはずの数人の部下が一人を除き皆、血溜まりの中で倒れていた。
ただ一人、立っている男は胸から剣が飛び出ている。
「あ……あに……き…………」
「ぁ……?」
目の前で起きていることを認識できず、間抜けな声を上げてしまう。しかしゆっくりと、確かに目の前で起きている惨劇を咀嚼する。
「ッ!!!だ、ダニー!!!!」
ダニーと呼ばれた男の胸から飛び出ている剣が90度、まるで鍵を開けるかのように回り、引き抜かれる。
ダニーが倒れ、その後ろにいた人物は黒い服を着た剣士。
……ケンジョウ=イズミがそこに立っていた。
────────────────────
『あわやあの女子が乱暴されるところじゃったのう』
「(危ないところだった)」
俺が音の出所に辿り着いた時……女騎士が転ばされてしまったところだった。熊に襲われているわけではなく、熊のような男に襲われていた。
数人、他にも男がいたが……幸い男達の背後に出ることができた為、暗殺を試みた。
本当なら跨っていた男も暗殺するつもりだったが……惜しくも気づかれてしまった。
女騎士から飛び退き、ダニーと呼んだ亡骸に駆け寄る男。ふむ、複数人で女を囲んで下卑た笑いを浮かべるような男でも仲間を殺されたら涙を流すのか。
「な……なんだァ……!!おめぇはよ……!」
「なんだとは、なんだ」
よくもまぁ、わざわざ仲間を殺した相手になんだと問うなど余裕があるものだ。
すぐに斬りかかってきたらいいものを。
「俺の仲間達に……弟に……何をしたァ!!!」
「見てわからないか。殺した」
「ふざけてんのかオメェはよォ!!!」
激昂した男が斬りかかってくる。
王国軍であろう者達を追い詰めた奴らを束ねるものとは思えない怒りに任せた稚拙な激情の一撃。
せめて先ほど動かしていた蔦を使えばいいものを……そんな一撃を喰らうほど、俺は甘くない。
「ふざけているのは貴様の方だ」
その言葉を放った頃には、暴漢の首と胴は離れていた。怒りに染まったあの男は、何が起きたかもわからずに死んだことだろう。不用意に間合いに入るから一合も打ち合うことなく首を刎ねられるのだ。
そもそも弟に悪事を働かせる兄などと……あまりにふざけている。
「んー!!んんーー!!!」
『ほれ、あの女子が助けろと叫んでおるぞ』
そういえばそうだった。女騎士が縛られているのだった。
女騎士の口に捩じ込まれた布を取り出し、身体の自由を奪っている蔦を切る。顔を見ると涙でぐしゃぐしゃになっているが、何故か気品を感じる。絵になるとでも言うのが正しいだろうか。
女騎士は自由を取り戻すと、ゆっくりと立ち上がってこちらに話しかけてきた。
「あ、あの……助けていただき、ありがとうございます。あなたは……?」
さて、どうしたものだろう。
下手に名乗って足止めされるくらいなら早くトゥージアに辿り着きたい。俺の食糧は今現在パンの耳1袋……できることなら熊狩りをするような事態は避けたい。
「自分は……名乗るほどのものではありません。ご無事で何よりです。それでは……」
「お待ちになって!」
そのまま去ろうとすると呼び止められた。
そりゃそうなるよな……とは思い一度足を止めるも、すぐに歩き出す。
『別に止まってやってもいいのではないか?』
「(いや、あの女騎士……嫌な予感がする。話が長くなりそうだ)」
適当な理由をつけて歩き出す。
しかし後ろから信じられない言葉が聞こえた。
「命を助けていただいたというのにお礼もせずにお別れだなんて、このアイリス=キュレネ=ハイフレイアの名に傷がついてしまいます!どうか、お礼をさせていただけないかしら!?」
「……ハイ、フレイア……?」
『助けた相手は、王族だったようじゃな?』
「……困った」
足を止め、ミタマが出した結論に内心頭を抱える。
無碍に断れば無礼。こんなのが原因で指名手配でもされようものなら旅も何もあったもんじゃない。だからといってここで足止めを食らうとトゥージアにたどり着くのが遅くなる。
路銀さえどうにかなればわざわざトゥージアまで行く必要もないのだが……お礼の内容をこちらが指定するのも傲慢な話だと思うので金銭の要求もしにくい。
「改めまして、私はアイリス=キュレネ=ハイフレイア。ハイフレイア王国の第一王女ですわ。よろしければあなたのお名前を聞かせていただけないかしら?」
「……ケンジョウ=イズミです。あの……」
長くなられると困る。そう思いながらどうにか切り抜けられないかと話をしようとした瞬間。馬車のようなものの中から小綺麗な小太りの中年が現れた。
「ふぅ……災難でした。姫様!ご無事ですか!?」
「ルートヴィヒ!?あなた、無事だったんですのね!?」
「はっはっは!このルートヴィヒ、簡単に死になどしませんぞ!なにせ咄嗟に召喚した生ける鎧がおりますからな!」
と言った直後、甲冑を着た騎士が2人出てくる。そしてその2人を従えてルートヴィヒと呼ばれた男が俺の方へ向く。
その瞳には何故か敵意が宿っていた。
「あっ、ルートヴィヒ。こちらの方は絶体絶命の窮地を救ってくださった……」
「【緊急命令】!!!その者を捕らえよ!」
「ッ!?」
王女様が俺を紹介しようとした途端、ルートヴィヒが叫ぶ。その言葉に応じ、後ろの騎士2人が襲い掛かってくる。
一瞬の逡巡。その隙を突かれ、捕まってしまった。
動きはぎこちなく、斬り捨てるのは簡単だろうとは思ったがここで抗うのは状況を悪化させるような気がした。
いざとなれば振り払えば……
「んっ……うん……?」
力を込めてみてもびくともしない。
簡単に振り払えると思っていたが、想像以上に力が強い……?
「ルートヴィヒ!何故ケンジョウ様を捕えるのです!
あなた達!その方を解放しなさい!【命令】!」
「姫様、命令魔術は基本的に上書きはできませぬ。魔術の授業でお教えしたはずですぞ」
命令魔術。なるほどそんなものが。もしやその魔術で力が強くなってたりするのだろうか。今から振り払うにはなかなか骨が折れそうだ。
分析している傍ら、王女様は激昂……ルートヴィヒを問い詰めていた。
「くっ……!ならば何故!恩人のケンジョウ様を捕えるような真似をしましたの!説明なさい!」
「この者は姫様を暗殺する為に賊どもを派遣してきたものと思われますゆえ……」
「そんなことあるわけないですわ!」
激昂する王女様を横目に周りを見渡すルートヴィヒ。
なんというか恐ろしい誤解をされたものだ。根無し草の俺が一国の姫を暗殺?考えただけでぞっとする。どんな利があるというのだろう。
「賊どもが皆死んでおりますな」
「ええ、それはケンジョウ様が私を助ける為に……」
「生け捕りにされ、首謀者を吐かれては困るから、皆殺しにしたのではないですかな」
なるほど、皆殺しはまずかったのか。
「だったら私を助ける意味がありませんわ!あの男に乱暴される様を黙って見ておけばよかったのですもの!」
「魔導車の中にいた我々の気配を察知したのではないですかな?乱暴しようとした男とやらが我らに捕まる危険性を感じたが故の口封じでしょう」
「そんなこと……」
「それに、こんな山道に一人でいるのかも怪しいところですぞ。熊も出るというのに」
「…………」
ルートヴィヒの無茶な論理立てに対して王女様が考え込む素振りを見せる。
……いや、確かに改めて言われてみると熊が出るらしいこんなところを、看板を無視して徒歩で登ってきたのは異常かもしれない。
『もしや名乗らずに去ろうとしたことでいらぬ疑いが姫様の中にあるのではないか?』
それもまずかったのか……?
悪手を打ち続けていたかもしれない……?
「何か起きた際の裁量は国王より私に任されておりますゆえ……。さて……」
ルートヴィヒは落ちている剣を拾い、高く掲げる。
「王女暗殺の罪は重いですぞ?」
「俺は……そんなことしていない……ッ!」
「いいや、したのですぞ。なのでこのルートヴィヒ=フォン=ハルギス自らが貴方を処刑して差し上げましょう」
『ケン!騎士相手がどうのと躊躇っている場合では無い!【荒】の力を使うんじゃ!』
【荒】は消耗が大きく、できれば使いたくはなかったが、致し方無し……!殺されるわけにはいかない……ッ!
力を込め。全身に熱が走る。熱と同時に身体に脈動するおよそ人体で見えることのない線が走る。身体が灼けるように熱くなる。
瞬時に身体が計り知れない熱を持ったことで捕らえている騎士は手を離しそうになる。
その隙をつき騎士を吹き飛ばそうとした瞬間、上から赤い液体がぽたりと落ちてきた。
ふとそちらの方を見ると
「お待ちなさい」
「ひ、姫様っ!何をなさっているのですか!?」
王女様が、ルートヴィヒの掲げた剣の刃を握って止めていた。
手から血が滴り落ちている。
「……ルートヴィヒの言いたいことはわかりました。確かに無実である証拠も何もありませんものね」
「ええ、そうですとも!だからこそ、王女暗殺の罪でこの者をこの場で処刑……」
「だとしても!」
「っ!?」
「私はケンジョウ様を信じたい。しかしお父様から仰せつかっているあなたの裁量を無視するわけにもいかない。なので……罪人闘技大会に出てもらいましょう」
「え?」
「……は?」
『おやおや』
ルートヴィヒに困惑の表情が浮かぶ。困惑したいのはこっちだが。
そんな2人をよそに王女様は話を続ける。
「長年、ルートヴィヒに色々お世話になってるからここまで譲歩してるんですのよ」
「えっ、いや……」
「そもそもの話、召喚獣がいるならばすぐに貴方達も飛び出てきたらよかったじゃないですの。あわや私は慰みものにされ殺されるところでしたのよ?」
「あぁ……いや、そのそれは……姫様がそこまで危機に陥るなどとつゆとも思わず……護衛兵もいたので……」
「これすらも飲めないならお父様や他の面々の前で貴方が私を斬りつけた反乱分子であると喧伝しますわよ?それでもよろしくて?」
剣を握っていた手を離し、わざと傷跡を見せる。
王女に対し、怪我を負わせたのは事実であるがゆえの脅し。なるほど、見事だ。自作自演の領域のような気もするが。
「うっ……し、承知、いたしました……」
「ケンジョウ様」
何故か変な方向に話が進んでいくのを呆然と見守る中、王女様が申し訳なさそうに話しかけてきた。
「この闘技大会、最後まで勝ち抜くと恩赦が与えられますの。無実の罪の恩赦というのも変な話ですが……その……勝って、くださいまし」
「……はい……」
話が終わり、2台あるうちの後ろの魔導車と呼ばれる箱に詰め込まれ、俺はアインスへ蜻蛉返りすることになった。
おかしい。
俺は人を助けただけなのに……
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