Ⅲ
チャイムが鳴り響いて、今日最後の授業が終わりを迎える。教師に言われて号令をかけてやれば、つい先ほどまで伏せていた面々は待ってましたとばかりに立ち上がり、いそいそと帰りの用意を始める。
まぁそんなものだよなぁなんて考えながら、思いっきり伸びをしてため息を一つ。
授業も本格的に始まり、どうにか今までと違う生活に慣れてきたころだ。既にグループの形成されつつある。帰りのショートホームルームも終えた我がクラスの面々は、蜘蛛の子を散らすかの如く教室から飛び出していった。
入り口付近で俺の様子を窺っているらしい友人集団に軽く手を振って帰るように伝え、俺はまたため息を吐く。本当なら一緒に帰りたいんだけど、まだやることがある。
俺の目の前の席。そこに座ったやや小柄な少年。長い白金の髪は緩く一本にまとめられている。本人が言うには願掛けらしいのだが本当に効果があるのかは俺にとって眉唾ものだ。まぁ本人は本気で信じているらしいので俺は何も言わないけど。
どんな願い事をしたのかも聞いていない。そういうのって他言しないっていうのが絶対条件だし、口にすることによって逆効果になることも有るらしいから。本気でやっていることに水を差すほど俺は無粋ではない。
……数日前に床屋の前で睨めっこ状態になっていた時は流石に切ればいいのに、と思ったけれど。
「アオちゃん? どうかしましたか?」
心底不思議そうに俺の顔を覗きこむ留学生、ルチアーノ・クローチェ。呼び名はルチ。三年間をこっちの国で過ごすことになった留学生だ。本当に留学生なのか疑ってしまうぐらいに日本語が達者なコイツの面倒を俺が見ることになっている。
とは言うものの、俺はホストファミリーとかそういう類の奴ではない。留学生には留学生専用の寮があるしな、この学校。俺の役目は向こうとの違いで戸惑うであろうルチの学校内でのサポートだ。
何で俺がそんな面倒なことを押し付けられているかと言えば、俺が特殊な入試形態を利用して入学した生徒だから。まぁ特待生のようなもんだ。
「別に。今日はどっかいきたいとこあんのか?」
「うーんと、ゲーセン、っていうの行ってみたいです。クラスの人が楽しそうに話してて」
俺の問いかけにルチは明るく笑って答える。既に帰る用意は万端らしく、すくっと立ち上がって俺のことを見下ろしていた。……落ち着きの無いやつめ。
ぐるりと教室の中を見渡す。もう既に数人の女子が談笑するだけになっていた。……これは気まずい。さっさと外に出てしまおう。
大急ぎで残りの荷物を鞄に詰め込んで立ち上がる。そして廊下に出ようとしたところでそれが起こった。
黄色い声。その声に驚いて思わずドアの目の前で動きを止めてから俺はため息を吐く。またアイツか……。相変わらずのようだ。
「あはは、有難うございます。でもすみません、僕、急いでいるので。またの機会に」
柔らかで、でも明確に線が引かれた声。
それと共に女子達の黄色い声を引き連れて歩いていく、酷く色素の薄い青年。特待生として事前に受けた試験でも、ずば抜けてトップの成績を叩きだした“天才”。
見た目もよくて頭もいい、そして人当たりも穏やか……そんなわけで彼、玲は中学のころから人気だった。時々黄色い声に混じって、縋るような野太い声を引き連れていることもあるほどだ。美人って怖い。
そんな事を考えながらドアの向こうを眺めていると、チラリと澄んだ青がこちらを見た。そうして彼は通りがかり様にフッと表情を緩めてこちらに軽く手を振る。苦笑いを浮かべながら手を振り替えしてやれば、彼はそそくさと廊下の奥へと消えていった。
「あの人、凄い沢山人を引き連れてましたね」
「ああ、そうだな。アイツ本人は騒がれんの好きじゃないけど……ま、お気の毒様ってな」
「仲、良いんですか」
俺の隣でドアの向こうを通り過ぎていった集団を呆然と見つめていたルチが呟く。綺麗な金の瞳は彼が消えていった廊下の奥へと向けられていた。
そんなルチに言葉を返せば、今度はその瞳が俺に向けられる。そうして吐かれた言葉。そこには単純な疑問以外の“何か”が有るような気がした。
「ああ、一応、小学からの付き合い。機会があれば紹介してやるよ」
「はい! 期待して待ってますね」
ルチが笑う。
きっと自分に近い容姿を持ったアイツに興味を持ったのだろう、という俺の考えは当たったようだった。身長には天と地ほどの差が有るけれど、二人とも色素の薄い、日本人離れした容姿をしているから。
そういえばアイツもこの前ルチのことを気にするような発言をしていたっけ。そう考えて俺はクスリと笑った。
「アオちゃん? 何を笑っているのですか?」
「いや、お前とアイツならきっと仲良くできるだろうと思ってな。さぁ、早く行こうぜ。時間が勿体無い」
軽く笑って歩き出す。そうすればルチも何も言わず俺の後についてくる。
さぁ、今日はゲーセンのほかにどこに連れて行ってやろうか。
「なールチ、ゲーセンのほかに行きたいとこは有るか?」
「特には」
校門を出たところでルチにそう問いかける。特にないかぁそう呟いて、まだ少し肌寒い通学路を歩く。ゲームセンターなら駅の近くに大きいのがあったはずだなんて考えながら。
最近はルチとあちこちを回って歩くのが日課になっていた。どうせ四月のうちは留学生を寮まで送り届けるのが俺の仕事なんだ。それなら淡々と送り届けて終わり、なんてつまらない。少しぐらい遊んだって文句は言われないだろう。
因みに朝はもう一人の担当が迎えをしてくれている。そいつはこの辺に住んでいるからその方がやりやすいだろうと申し出があったのだ。俺は電車で三十分程度かかってしまうからありがたい申し出だった。
真面目な彼女は放課後は復習に時間を割きたいとのことで、いい具合に役割分担ができたというわけだ。俺はそこまで真面目な方じゃねぇしな。確かにある程度の成績はキープしないといけないとは思うけどさ。
今のところ一応優秀な方だしな。ある一教科を除いては上から数えた方が早い。だから今のところは机に齧りつく必要はなし。勿論復習ぐらいはちゃんとやるけど。
ルチは、どうなんだろうな。よくわからない。授業でやったことは良く出来るし、それを応用して問題を解いたりすることもきちんと出来る。
しかしなぜかそれが日常生活に生かされていない。馬鹿、というのかは解らないが、とりあえず日常生活で突拍子のない行動をするのは確かだった。まぁ、そんなルチを見ているのはなんだかんだで楽しいからいいけど。
そんな事を考えていると、ふとルチの姿が消える。
慌てて辺りを見渡してみれば手に毛虫を乗っけて、こっちに向かって手を振っているのを見つけた。
……前言撤回、あいつは馬鹿だ。俺も虫自体は苦手ではないし触ることも出来る。しかし毛虫となれば話は別である。全部が全部といったわけでは無いが、中には毒を持っているような奴もいる。もっとも毛虫の毒程度で死ぬわけはないだろうけど。
それでもかぶれるのは嫌だ。痒いのとかイライラするし。
「ルチ、むやみやたらに虫をさわんな。特に毛虫は。毒持っているような奴だったらかぶれるぞ」
俺の言葉に驚いたかのようにした後に手に乗せていた毛虫を叩き落とすルチを眺めて思わず苦笑いを浮かべる。なんか同じ年代の人間を相手しているような感じじゃないんだよなぁ。弟かなんかができたような感じだろうか。
しばらくの間手をぶんぶんと振り回すルチに思わず、ガキかよなんて言葉が零れていた。ルチには聞こえていないようでよかった。




