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てんしさまのすむところ‐刹那の大空‐  作者: 霧景
序章 落ちた天使と壊れた欠片
2/5

 「っ!!」


 跳ねる様に起き上がって息を吐く。

 バクバクと脈打つ心臓はいっそ警鐘を鳴らすようで。このままじゃいけないと思うのに、何がダメなのかがわからない。

 何か恐ろしい物を見たことはわかるのに、刻々と記憶が薄れて、靄の奥に隠されていく感覚。べた付く不愉快な汗で張り付く前髪を払って深く息を吐く。


 「葵ー! いつまで寝てるの。遅刻するわよー!!」


 不快感と焦燥感に支配された頭は、階下から叫ぶ母の声によって塗り替えられる。慌てて目をやった時計は既にいつもより数分先を指していて俺は慌ててベッドから這い出ることになった。

 ドタバタと慌ただしく身支度を整えて、しっかり朝食もかきこんで。そんな風に朝の時間を過ごしているうちに、妙な焦燥感はすっかり消えていた。行ってきます、鞄を引っ掴んで飛び出した町は、どこまでもいつも通りだ。

 山の中、整備された緑の中を駆け抜けて正面の石段へ。やたらと長いそれを駆け降りるのはすっかり慣れたものだ。階段を下りている途中に今日も元気ねぇなんて近所のおばちゃんに声をかけられて軽く返事を返す。

 石段を下りて上を見上げれば、赤い鳥居がこちらを見下ろしていた。

 石段を下り切ったところでは恒例の井戸端会議が開催されていて、その横を楽し気に通り抜けていく散歩中の犬がいる。


 「あら、おはよう葵君。急がないと電車行っちゃうわよ」

 「おはよう。ちょっと寝坊しちゃって」


 声をかけてきたご近所さんに返事を返して、俺は走るスピードを上げる。後ろから聞こえてきた頑張ってねぇなんて気の抜けるような声が、なんだか嬉しかった。

 そうしていつもと変わらない穏やかな街を駆け抜けて、たどり着いた駅では、ちょうど電車がホームに入ってくるところだったようだ。少し急ぎ目で改札を抜けて、駅員のおじさんに挨拶をすれば、穏やかな声が帰ってくる。

 促されるままに電車に乗り込んで少し待てば、静かに扉が閉まる。そのまま静かに走りだした電車の中、俺は一人息を吐く。ギリギリセーフ。危なかった。パタパタとワイシャツを仰ぎながら視線を巡らせる。

 通学の学生と、通勤の大人たち。少し込み合った車内には残念なことにもう空いている席はなさそうだ。まぁ仕方がないか。元々余裕を持っていても座れるか怪しいし。

 適当な位置に立ってつり革を掴んで揺られる。流れてゆく街並みは、昔ながらのものから少しずつ整えられた今どきの町へ。立ち並ぶビルは、今日も日の光を鈍く照り返していた。


 『次は天桜、天桜。お出口は……』


 聞きなれたアナウンスにドアが開いたらすぐに降りられるように注意を払いながら駅への到着を待つ。少しでも動きが遅れればもれなく人の波に流されることになるからな……。

 ゆっくりと停車して、扉が開かれると同時に動き出した人の流れに合わせて電車を降りてホームで息を吐く。そのまま歩き出そうとした俺の肩を叩く者がいる。

 振り返ればそこには長い髪を高い位置で二つに結んだ少女がいる。澄んだ緑の瞳は穏やかで、目が合うだけで不思議と心が落ち着く気がした。蓬莱 涼香(ほうらい すずか)。うちの近所に住む友人だ。


 「おはよぉ、アオ。駅に居なかったからびっくりしちゃったぁ。連絡も返ってこないし」

 「はよ、涼香。寝坊しちまってさ。連絡……?」


 涼香の言葉に、ポケットに手を突っ込んで、そこにあるはずの物がないことに気が付く。


 「……スマホ、忘れた」

 「そっかぁ……アオが寝坊に忘れ物なんて珍しいねぇ」


 くすくすと静かに笑う声がむず痒くて、頬を掻きながら歩き始める。まだ人でごった返したホームを抜けて、駅の構内へ。点在する多種多様な制服のグループを横目に学び舎を目指す。

 横に広がって道を塞ぐように歩く集団や、それを迷惑そうに追い越そうとするサラリーマン。幼い子の手を引くお母さんや、何が気にくわないのか泣き叫ぶ小さな子供。

 いつもの喧騒。

 いつもの光景。

 何も変わらない、日常が、ここにある。

 しばらく歩いてたどり着いた学校。

 校門では今日も生徒指導担当の教師と、熱心な風紀委員が取り締まりを行っていた。四月もそろそろ終わり。新入生もそろそろ気が緩み始める頃と目を光らせるその姿はまるで獲物を狙うかのようだ。

 おはようございまーす、気の抜けた挨拶を返しながら校門をくぐる。特に何も言われなかった。まぁ俺なんてザ・普通の男子だしな。目立つなんてまっぴらごめんん、俺は平穏に暮らしたい。教師に目を付けられるなんてもっての外だ。

 さっさと校門から離れて昇降口へ。そこで目立つ後ろ姿に気が付く。

 スラっと伸びた長身に、色素の薄い柔らかそうな髪。本当に同じ高校生なのか疑いたくなるくらいのスタイルの男。


 「はよ、玲。珍しいな、この時間にいるの」

 「ん? ああ、櫻井君。おはようございます。安西さんがなかなか起きてくださらなくて。巻き沿いですよ」

 「それはそれは大変なこって」


 振り返った男は柔らかく笑んで言葉を返してくる。やわらかな声色は少しだけ疲れが滲んでいるように思えた。その静かな青い瞳は全てを見渡すようで、昔から少しだけ苦手だ。

 月城 玲(つきしろ あきら)。小学からの友人で、なんでもそつなくこなしてしまう天才のような男。整った顔立ちと穏やかな人柄で、常に女子たちの視線を搔っ攫う目立つ奴だ。

 いろいろ欠点はあるけど、悪い奴じゃない。

 

 「アキ、おっはよー」

 「はい、蓬莱さんもおはようございます」


 三人並んで教室へと向かう。玲と涼香は一組で俺は三組だから階段を上がり切ったところで分かれることになる。また後でねー、なんて明るい声に軽く手を振った。


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