Ⅰ
呆然と。
赤色灯のような赤が目に焼き付いていた。
なんの特別なものなんてない屋上。風一つない静けさと、燃えるような夕日の中。そいつは異形に抱かれて佇んでいる。視線を逸らせばいつも通りの街並みがあって、当たり前に街を行き交う人々がいるのに、その異常は目を逸らすことを許してはくれない。
異形に抱かれたソイツは何の感情も浮かばない目でこちらを見据えて動かない。ピシ、と小さく何かがひび割れるような、そんな音がしていた。
「……誰、だ」
絞り出した声は随分と震えて、情けないものになっていた。
異形が、笑う。引き裂いたような、不吉な笑みで。
「……そうだな。――空に囚われたもの、とでも形容しようか」
濁った血のようなどす黒い赤がこちらを捉える。
腐り落ちる様に、どろどろと黒が零れる翼に、あちこちヒビの走る身体。ボロボロの衣服に、尖り黒く変色した足。指先はちぎれたものを無理やり継ぎ接ぎにしたようにちぐはぐで、黒い液体が蠢いている。
絵にかいたような異形。
近くに居れば腐臭漂うような気がしてしまうような。すべてを飲み込むような不吉が形を持ってそこにいる。……大切な友人をその翼で包むようにして。
「――を、返せ」
発したはずの名前が、不明瞭になって溶ける。笑みを浮かべた異形はワザとらしく首をかしげて声を漏らす。くすくすと小馬鹿にするような声だった。その声に合わせて、彼が動くたびにミシミシと嫌な音が鼓膜を震わせる。
ゆったりとした動きで手を広げる異形は、その顔の大半を窺うことができないのに、どうしてかそこに浮かんでいるものが笑みだということだけがわかった。……でも、それは決して気持ちいい物ではない。
体が震える。
逃げてしまいたい。
……いつも俺たちを助けてくれた彼は動かない。
なんの感情も浮かばないガラス玉のような赤がこちらを向くこともない。
「残念だ。もう手遅れだよ。わかるだろう?」
出来の悪い子供に諭すような。粘ついた声がまとわりつく。……手遅れだ。そんなわけないと叫びたい心が、諦観に飲まれていく。
「——」
名前を呼ぶ。
反応は、ない。
呼吸の音すら聞こえない、静寂。
自分の鼓動の音だけが、ガンガンと頭に響くような、そんな気がした。
「こうなることは、分かっていただろう?」
歌うように、異形が囁く。
その壊れた指先が、アイツの顎をすくって顔を持ち上げる。よく見ればその顔には無数のヒビが走っていた。ちょうど彼を抱く、異形と同じように。
「何も考えず“彼に任せれば大丈夫”だと、盲信していたかい?」
「そ、れは……」
「大丈夫。知っているとも。彼に任せれば大丈夫、彼は間違えない。彼はきっと導いてくれる……うーん、美しい信頼だ」
カラカラと喉が干上がっていく。情けないうめき声すら出ないほどに。背筋を這う冷たい感覚に、体が震える。
「……彼はきっと君たちの要求に応えてくれただろう。何て言ったってそういう存在だからね、彼は。で、キミたちは?」
「おれ、たちは」
言葉が、続かない。
答えが、分からない。
狂ったような笑い声が、響いている。
「彼を壊したのは、キミたちだろう! ねぇ?」
――パキンッ。
目の前が暗くなると同時。何かが砕ける音だけが、ヤケに耳に残っていた。




