第1話 「50歳、鳥居の前で終わり、戦国で始まる」
「写真、お願いできますか?」
日帰りで訪れた京都の山奥。春の終わり、少し汗ばむような陽気だった。
人気アニメの聖地として知られるこの神社は、私――あかねにとって、唯一の心の拠り所だった。
夫は定年まであと数年。子どもはすでに独立し、実家にも帰ってこない。
パート先も先月辞めて、なんとなく心にぽっかりと穴が空いていた。
でも、アニメの世界だけは…画面の向こうで、いつだって登場人物たちが熱く生きていた。
「はい、撮りますね〜」
通りすがりの女性にスマホを手渡し、鳥居の前に立つ。
シャッター音が鳴った、ちょうどその瞬間だった。
――ゴゴゴゴ……ッ!
空が、音を立てて歪んだ。
鳥居の奥が、ぐにゃりと曲がり、白く光った。
「えっ……?」
視界が眩しくて何も見えない。足元が崩れ落ちていくような感覚。
重力が消えた。風も、匂いも、なにもかもが消えた。
次に目を開けたとき、そこは――
「――おい、あの娘、生きとるぞ!」
「なんだこの服、見たことねぇぞ!」
野太い声と、鉄の擦れる音。焦げ臭い風。
視界に飛び込んできたのは、槍を構えた男たちと、燃え上がる木造の家屋だった。
「……え?」
手を見た。
白くて細く、若々しい。しかも――女子高生の制服を着ている。
心臓がバクバクする。でも、なぜか怖くない。
頭の奥から、自然とフレーズが浮かんできた。
“――孫子曰く、戦わずして人を屈するは善の善なる者なり。”
「……ああ、これって漫画で読んだやつだ」
戦国の世に、女子高生の姿で投げ出された私。
なぜか冷静に思った。
――あ、これ、保険が売れる。
「おい、こいつ……敵の間者じゃねぇか?」
「いや、でも女子……しかも若ぇし……」
ざわつく声に囲まれながら、私は起き上がった。制服のスカートは焦げた土で汚れていたけれど、痛みはない。体が軽い。鏡はないが、間違いなく――若返っている。
目の前にいたのは、年のころ30前後の、痩せた男。腰に短刀を差し、ボロ布を巻いた頭には血の跡がにじんでいる。
「……あんた、どこから来た? 名を名乗れ」
脅すような声。でも目は怯えていた。
この村は、なにかに追われている――そう、直感でわかった。
私は、一度深呼吸し、それからゆっくり口を開いた。
「みつば、です。山を……越えて、来ました」
自分の声が、年相応の少女の声になっているのに軽く衝撃を受けつつ、私は咄嗟に“戦国時代に通じそうな口調”に切り替える。
「怪しい者ではありませぬ。ただ、少々――人の命と未来を護る“しごと”をしておりました」
「護る?」
男たちが顔を見合わせた。私は、一歩前へ出て、はっきりと言った。
「命と家と、村と――それらを戦火から守る、“契約”のことです」
ざわ……と、周囲に緊張が走る。
「わ、わけのわからんことを……なにが契約じゃ」
「……たとえば、この村にまた山賊が来たら、どうします?」
私は目の前の男を見つめた。
彼はぎくりと体を強張らせる。
「皆、逃げるしかねぇさ。女も子どもも、前は十人以上……」
「そのとき、逃げ遅れた者が斬られたら?」
私はかぶせるように言った。
「その命のために――もし、銀貨十枚を、遺された者に渡す“仕組み”があったら? 誰かが守られたら?」
沈黙。
男たちが、目を見開く。
「……そ、それが、“しごと”だってのか?」
「はい。私は、それを“保険”と呼びます。皆さまの不幸を減らし、未来の不安を銀貨で支える契約です」
まだ誰も信用していない。けれど、空気が変わり始めていた。
「……ふん、面白いことを言う娘だ」
後ろから、しゃがれた声が響いた。
振り返ると、よれよれの着物に身を包んだ老人が、杖を突いて立っていた。
「名は“みつば”じゃったな。よかろう、話を聞いてやろうじゃねぇか。わしら、もう失うもんなんざ、ないんじゃ」