第2話 りんどう姫は、受けて立つ。
私立の中高一貫校であるこの学校は、学力において国内有数とされている。
が、一方でスポーツの英才教育においても名前がよく知られている。
オリンピックや各種の世界大会に選手を輩出してきたし、そうした卒業生たちが支援するから施設面や指導面においても他校の追随を許さない。特に水泳関係の競技では、ここ数回のオリンピックで立て続けに卒業生が金メダルをとったこともあり、学校施設では非常に珍しい十メートルの高飛び込みの台を備えた大型プールまで保有している。
その室内プールは、竜胆や冬夜の教室からもよく見えた。校舎もプールも窓は大きく開放的で、いかにも先進的な私立校、といった形なのである。
竜胆は窓際の列の一番後ろ、冬夜はその前の席だ。そう、二人は同じクラスなのである。というより、小学校時代からクラスが分かれたことは一度としてない。理由は明らかでないが、竜胆の家、梧桐院家は古代から続く名家であり、政界や経済界に隠然たる影響力を持っていることは学校内では有名な事実である。
と、ころんころんと、柔らかい鐘の音が鳴る。四限が終わったのだ。それぞれ思い思いに弁当を取り出し、あるいは校内の休憩室へ向かった。この学校には購買部があり、中高いずれの生徒も利用できる。
冬夜は教科書を机にしまって弁当を取り出した。椅子を後ろに向け、机を挟んで竜胆と向き合う。思えば大胆な行動なのだが、注目するものなどいない。もはや見慣れた風景であるし、最初の頃、知らずに二人を冷やかそうとした生徒がその翌日にどんな表情で登校してきたかをみな良く知っているのである。
二人が同時に弁当箱を開ける。同じものが入っている。可愛らしい小さなおにぎりが六個、唐揚げ、卵焼き、胡麻和え、にんじんのバター煮、杏の酢漬け。すべて竜胆の好物であり、冬夜の手作りである。
梧桐院家にはお手伝いさんが五人いる。食事担当の者もある。それでも竜胆は、冬夜が作った弁当しか口にしようとしないのである。
「……いただきます」
ふたり同時に手を合わせ、頭を下げる。
竜胆は箸を上手に使い、少しずつ口に運ぶ。ときどき、ん、おいし、とちいさく呟く。冬夜は、竜胆の食事の様子を見るのがとても好きだった。
と、そのとき。
教室のスライドドアが、だだん、と大きな音をたてて開けられた。
「……梧桐院さん、ちょっと、いい?」
入り口で、背の高い女子が腕を組んで立っていた。赤みがかった髪を後ろで引き結んでいる。気の強そうな大きな目。隣のクラスの、高階 花奈であった。
竜胆と同じ水泳部のエースで、同じように将来を嘱望されている選手。竜胆は状況や体調に影響を受けない静かな強さを評価されていたが、花奈は対照的に、感情と勢いを最大限に活かした、炎とも称される競技をする選手だった。
その背には、昨日の掃除の時間に竜胆に水をかけた芽衣が張り付いている。
竜胆は口に杏を含みながらちらっと視線を向けて、また弁当に目を落とした。無視である。冬夜の心臓が高鳴った。
花奈は教室中の注目が集まっているのを気にもせず、良く通る声を竜胆に投げた。
「あんた、芽衣が間違って水かけたのを怒って、暴力、ふるったんだってね。芽衣、泣いてた。幼馴染として黙ってらんない」
「……あなたがそう聞いてるんなら、そうなんじゃない?」
花奈の髪がふわっと浮き上がったように見えた。
「……こっち見なさいよ、竜胆!」
竜胆は、ふう、とため息をつき、箸を置いた。ゆっくり顔をあげて、冷めた視線を花奈たちに向ける。
「……用件は?」
「あたしと勝負しなさい。今日の体育、あたしのクラスと合同で水泳だから、自由練習の時間に、高飛び込みで。あたしが勝ったら、クラス全員が見てるまえで、芽衣に謝りなさい」
「……あ、あの……」
たまらず、冬夜が口をはさむ。
「あれは、川森さんが、梧桐院さんにわざと水を……」
「黙ってて!」
花奈と竜胆が同時に声を出す。
はい、と小さくつぶやき、冬夜は口をつぐんだ。
「……採点はどうするの。それに、わたしが勝ってもメリットがない。勝負する理由がない」
「負けたら、次の選手権、あなたに譲る」
花奈が言うと、えっ、と、芽衣が声をだした。
選手権代表をかけた校内の予選会で、竜胆はずっと花奈とトップ争いを繰り広げていた。最終的には竜胆がリードし、そのまま勝利するかと思われたが、竜胆の体調不良で最終試技を棄権したのだ。その結果、花奈が代表として選ばれた。そのことは校内で知らないものはいない。
「えっ、そんな、だめだよ、あたしのために……」
「あんたも黙って!」
今度は、花奈がひとりで声を出した。芽衣はびくっとなり、下を向く。
「はっきりしたいと思ってたの。あたしたちは同じ学校、同じチームだけど、仲間ではない。全員ライバル。敵なのよ。そのことを、子分連れてふんぞり返ってる女帝さまに教えてやりたいの」
ぶわっ、と、竜胆の身体から闘気が沸きたったのが、冬夜にははっきりと見えた。立ち上がり、花奈たちの方に向き直る。
「……わかった、受けて立つ。そのかわりジャッジは冬夜くんと芽衣のふたりにお願いする」
えっ、という顔をする、冬夜と芽衣。
「ふん。構わないよ……芽衣、手抜いたら、怒るからね」
「……う、うん、わか、った……」
「そっちの、飼い犬くん。飛び込み競技、わかるの? 忖度、しないでね?」
花奈が嘲笑う。竜胆が踏み出そうとする。冬夜はその腕をつかんで、振り返った竜胆に首を振ってみせた。花奈のほうを向いて、すこし迷ってから、きっ、と強い目線を向ける。
「……ジャッジは絶対、手を抜かない。それに……」
冬夜は竜胆に振り返り、すこしだけ片目を細くして見せた。ウィンクのつもりかもしれないが、頬が引き攣っている。
「りん……梧桐院さんは、そんなことをしなくても、絶対に負けない」