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三年近く働いて、数年は収入がなくても食べて行かれる程度の貯金ができ、私は違う扉を開けることを自分に許した。子供の頃からの夢であった日本の外の世界での暮らしである。日本が大好きだ。私の専攻は日本文学である。日本の言語、文化を愛している。しかしヨーロッパに惹かれる心をどうすることもできない。
Dennisだけが引き金ではない。彼と出会ってからもう三年が過ぎていた。彼との関係はアドレス帳にリストされた一つの情報でしかなくなっていた。私は毎日リストの一つの欄でしかない彼を思っていたけれど、もう自分から連絡することはほぼなく、彼から突然、桜を見て思い出したとかいう連絡が来て驚いたりする程度だった。
しかし彼が私の人生で最後に愛する人であることは既に明白なことであり、私は彼の幸せだけを望んでいた。彼が記憶になることはなく、私はただひたすらに愛していた。
そしてDennisは前触れなく私の心に現れて、掴んで揺さぶり、私はこみ上げる涙を止められなくなる発作を起こすようになっていた。発作は予期できるものではないので、朝でも夜でも私は急に彼を思い、号泣し嗚咽して、心が収まるまで彼を十分に恋しがった。発作を治す方法がわからないので、慣れるしかなかった。
ビザが取得できそうなオランダに移住することを決めて詳細を調べた。通訳や日本語教師の仕事でなんとかなるだろうと、貧弱なビジネスプランを作り渡欧した。「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。」という坊ちゃんの冒頭を思い出す。この無鉄砲は親譲りではない。私の天性である。決めたら進んでしまう。自分ですら止められない。
オランダに上陸してからは、Den Haagの安ホテルを拠点に住む場所を探した。住むところを確保しないとビザが申請できない。毎日不動産情報を確認していると、Googleの検索機能のお節介のお陰で、私にDennisの情報がもたらされる。
彼はここヨーロッパではちょっと有名である。常に彼の情報には触れないように気を付けていた。自分の心を守るためである。彼に触れると私の心は喜びも悲しみもあらゆる感情で揺れ動くことに耐えられないからだ。どんな思いが起こっても私は愛することを止められないのはわかっていたから、安全に静かにしていたかった。
それなのに四月の末に彼の講演会がBruggeで開催されることを知らされた。三日後だ。まだチケットは取れる。私の指はクリック一つでBruggeの講演のチケットを手に入れていた。
Dennisは客席の私に気づいて驚くだろうか。私を友人に紹介するだろうか。何を着ていこうか。
誰が私にクリックさせたのか。ワンクリックで私の思考は拡散した。彼には内緒で行くことにした。気づかれても気づかれなくてもいい。彼の姿を目で見たい。それができればいい。私の心は彼に会いたいという混じり気のない思いだけになっていた。