15
その晩も次の日も私はDennisに寄り添って容態を確認していた。二人の間に天変地異も青天の霹靂も起こらず、静かに優しい時間が流れていった。余命を告げられた末期患者が労わり合うように、もうお互い波を立てずに愛おしい時間を大切に過ごした。愛される波の上で、愛になって二人で漂った。
ただの風邪が悪化することもなく、変更したフライトの時間が来る。ホテルの玄関には既に空港へ送ってくれるタクシーが待っている。タクシーに乗り込むまで事務連絡の会話しかせず、彼が一緒においでと言ってくれることを望みもしなかった。それは重力に反して物体が動くほど有り得ないことだから。
「着いたら連絡するよ。」
「うん、気を付けて。薬を忘れないように。」
「わかった。ありがとう。」
Dennisは空港までも来いとは言わなかった。今までのことも、これからのことも何も言わなかった。彼は目を伏せて、タクシーのドアが閉まる。走り出す。黒いクラウンが町の車の波に入って消えていく。
悲しくなかった。Dennisとの繋がりは決して切れることがないと心の奥で確信していたから、涙など一滴も出なかった。彼と出会えた喜びは私を寂しがらせることはない。彼を恋しがる気持ちは、荒唐無稽な確信を術もなく好きにさせたが、心の奥底にある出鱈目な信念を放っておいて悲しみたがった。
聞き分けのいい私と悪い私は微妙な均衡を保って存在していた。初めて経験する妙な心持ちを不思議がりながら、私は恋しさに打ちのめされることなく通常の生活に戻っていった。
Dennisが去って数日後に私は喉の痛みと鼻詰まりに襲われた。彼の菌であることは明らかで嬉しかった。発熱はなく、喉の痛みと鼻詰まりができるだけ長く続くことを願った。
自宅に着いたDennisから連絡があった。毎日の連絡が一週間に一度になり、月に一度、数か月に一度になっていった。離れていく彼を追い掛ける気は起きなかった。そして彼とやっと繋がったという思いが、永遠に切り離されることはないという確信を消すことはなかった。
しかし反対に、彼を恋しがる心の増幅はどうすることもできなくなっていった。徐々に自分の中の均衡を保つのが難しくなり、やがて私の心は苦しみに捕まれ、握られることのほうが多くなっていった。
Dennisが帰国してから半年くらい過ぎた頃に、知人の紹介で企業内通訳の仕事を受けることにした。フリーの気楽さも捨て難かったが、安定したい気持ちのほうが強くなっていた。与えられるままに仕事をこなして、定時で出社と退社を繰り返す機械のような毎日に自分を閉じ込めたかった。
巨大な機械の中でそれから三年近く修道女となった。私は心を黙らせて体を生かしてやった。窮屈さに嫌気がさしていた自分をさらに窮屈な環境に押しやって、次の道へ進めてやることにした。