11
ホテルから大学までは十キロもなく、タクシーで三十分かからずに正門に着いた。学部長と数人の学生が出迎えてくれた。教授室で少し打ち合わせを兼ねた歓談をして講堂に向かった。長い歴史のある大学だが建物はとても近代的だった。五百人くらいの学生たちがすり鉢型の会場の席を埋めていた。
Dennisは大きな拍手の中を壇上に進み、騒めきが収まると話し始めた。彼が大きく見える。帰ってきた人が彼でよかったと思った。誇らしげに感じた。理由はない。根拠もない。ただそう浮かんできた。自分でも理解できないが仕方がない。
講義の後は教授との対談があり、最後に学生との質疑応答の時間になった。それまではほぼ原稿があったが、質疑応答はあらかじめ用意ができないので、特殊な単語は入れておき、私は想定内の質問であることを願った。
終了間際に一人の学生が考古学者Ralph S. Soleckiについて質問した。五、六万年前ネアンデルタール人が、死者を悼んで花を手向けて埋葬していたという説を唱えた学者だ。Dennisはその説を否定する他の説や、ネアンデルタール人の体が不自由であったことなど、学生の質問に答える以上の話をした。
考古学から逸脱し心の不思議を語り出したが、最後は考古学に帰着し、学生はきっとこの学問の面白さを体感しただろう。会場の誰もが考古学者になりたいと思ったのではないかと私は彼の力に圧倒された。
帰りの新幹線では、昔からしていたように彼の肩に凭れて眠った。何の心配もそこにはなく、絶対的な一つとなっていた。その日の夜から私はDennisのホテルに泊まるようになった。まだ残りの日数は数えていなかった。
仕事に向かう時も、食事に行く時も、彼は手を繋いできた。信号待ちでは後ろから抱きしめられ、レストランでは向かいではなく隣に座る。いつもひとつの繭の中にいるようだった。
オフの日は東京を散策した。浅草、根津、銀座、上野・・・桜が満開だった。次の年から桜を見るとDennisを思い出すようになってしまった。記憶は残酷だ。
上野公園は、満開の桜の下、観光客で溢れかえっていた。地面にシートを敷いて至る所で酒盛りをする人達も、彼にとっては不思議で面白い現象のようだった。私は日本にとって、日本人にとって、桜がとても特別な花であることを限りある知識から説明した。
彼は腰掛けられる場所を探し、いつもの薄いノートを取り出すと、私の話を難しい顔をしてメモし出した。彼の文字は読みにくく何と書いてあるのかわからない。私は間違った情報にならないように緊張して話す羽目になった。彼は桜と日本の関係に興味を持ち、真面目な顔でいろいろ質問してくる。彼の知識欲が満足するように私は必死に説明し続けた。
「一年かけて花を咲かせ、一瞬で散ってしまう。花の命が短いからこそ、そこに美しさを感じるのよ。日本人の美意識。儚さが美しさを増す・・・」
私はDennisとのひと月を思っていた。残りはもう一週間を切っていた。桜は再び咲くけれど、私は今年咲いた桜の美しい記憶だけを思いながら生きていくのだろうか。しかし彼との繋がりが決して切れることがないという根拠のない自信が、私の根底に存在していた。
「行きましょうか。」
少し肌寒くなってきた夕暮れの空気に気づかされ、Dennisの膝を叩いて私は立ち上がった。