②
森に行こうとすると、たまに付いてくる幼馴染みがいた。名をセオタスといい、背の高い青年だ。年はリーレンの四つ上で、もう家庭を持っていていい頃だが、不思議と彼も縁談がまとまらないらしい。女性がひとりで森に行くのは、魔術で応戦できるとはいえ危険なことで、同行者があるとリーレンの親も快く送り出す。断るのも不自然なので、そういう場合は二人で森を散歩した。
「今日はいい天気だなぁ」
呑気に空を見上げながら、セオタスの目はちらと雲を見た。いかに天気が良くても、神界を隠す雲だけは常に浮かんでいる。思えば、神界で空を見ても天界を隠す雲があった。三つの世界は雲で隔てられ、穴だけで繋がっているようだ。リーレンは「そうね」と気のない相づちを打って、なんとなく考えこむ。
神界の肥大は、果たして自然な現象なのだろうか。導管知覚をよく研ぎ澄ませば、神界から天界への穴が、幾らか絞られていることがわかった。故意か自然かによって多少違うが、主神達の他に、天界の住人がこれを放置しているのはおかしい。
(ヴィンツェスターは信用ならない。もしかしたら、彼らも)
導管知覚に気付いた時、リーレンは随分と古い記憶を思い出した。世界が3層になった頃のこと。神界の覇権を争う戦いのこと。そして、規律神となる時に記憶を改竄されていたこと。他の高位神も偽りの記憶に書き換えられ、天界の住人、賢人のことを忘れていた。
(穴に対して動きをとれば、さすがに気付かれる。不都合があって改竄したはずだし、賢人の記憶は神には伏せよう……)
嫌な予感がする。下界、神界、天界の三者でうまく回っていた世界が、奇妙に歪んでいくようだ。
二人で森に行くと、こうしていつも考え事ばかりしているから、大して会話もしない。なのにセオタスは、時々散歩に付いてくる。そのまま数年が過ぎ、リーレンが20歳を越えても同じような関係が続いていた。
ゆっくりと重くなる神界に不安を抱きながら、封印術の精度を高めてきたリーレン。森に点在する小さな穴で、術式の完成は確認済みだ。問題は、どうやってコンスリンクトを出るかだ。
コンスリンクトには、稀に冒険者が迷い込んで来ることがある。彼らは山の中腹に位置する洞窟を通って、町の付近に辿り着く。森に通うリーレンは、その道に近い所にいる。登山の道は下山の道でもある。術の鍛錬のためとはいえ、長年の行動が裏目に出た。リーレンは町を出ようとしている疑いをかけられ、周囲から見張られている。近頃は、そう簡単に一人で森には行かせてもらえなくなった。今や、セオタスはリーレンのお目付役である。何か不自然な言動がないか、帰った後に長老などに聞かれているのだろう。
「リーレン、何か疲れてるな」
「それはそうよ。皆で私が山を下りるんじゃないかって心配するんだもの。森が好きなのをそう解釈するなんて、短絡的だわ」
木漏れ日の下を二人で歩くと、大体こんな話になる。セオタス一人くらい、振り切って行くのは簡単だが、それでは彼が責められる。人間のリーレンとして、幼馴染みを傷つけたくない。結局いつも、外界に興味がないことを装うばかりだ。
「昔、鳥になりたいって言ってたろう」
「本当に、小さな頃の話よ。あなた、よく覚えているわね」
「ずーっと空を見てるからね、君は。いつも昔の言葉を思い出すんだ」
そう言う彼も、空を見ていることが多い。
「鳥になりたいのはセオタスの方ではないの? 魔術を扱える鳥なんて、不純物の他にいないもの」
剣や弓、普通の人間が扱う武器と、魔術。両方を学ぶコンスリンクトの住人は、いつしか皆が外界に出ることを諦める。距離も盾も関係なく攻撃できる力を持っていては、外で暮らせないと理解するからだ。セオタスは、諦めきれない子供に見えた。質問に答えず微笑む彼に、何故だかリーレンは苛立つ。
「いつまでフラフラしているんだって、ご両親にも言われない? 猟の腕は確かなんだから、早く落ち着いて安心させてあげればいいのに」
「はは、それを君が言うの?」
「……あら、まるで立場が似ているような言い方ね」
隣を歩くセオタスに、目線だけを向ける。リーレンは自分がとても冷たい表情をしているのがわかった。頬に力が入らない。
「私は魔術師としては力があるけれど、それだけ。器量よしとは言えないわ」
何か言葉を返そうと息を吸い込むセオタスを遮り、リーレンはもう帰ろうと切り出していた。