⑥
目の前の出来事がゆっくりに見える。このままでは、腕を落とされる軌道だ。袖が裂け、上腕に刃が掠り、続く刃が更に腕をえぐる。ごり。金属が骨に触れる音が、体の中から耳に響く。と、急に景色が加速して、ガゼットは体が浮き上がるのを感じた。嫌な音も痛みも置き去りにする。
「ガゼット、しっかり!」
魔術の突風が彼を運び、主神との距離ができる。床を踏むまでに腕の傷は癒えた。傍に立つリーレンは真っ直ぐに主神を見据え、尋常でない魔力を集中している。
「ムカナ・カスヴィ」
主神が動く前に。一気に放出された魔力によって、ガゼットは一瞬めまいがした。それは、封印具で示した床を這うように進んだ。主神の足下で、大理石を割って芽吹く。
「ふん」
凄まじい勢いで蔦が生えてきた。うねり、主神の足を絡めとろうと先端を伸ばす。紙一重で回避した主神は、鼻を鳴らして天井近くに転移した。
「準備はいいか?」
「ええ、引き摺り下ろすわ……キロース!」
体勢を立て直したガゼットに、リーレンが頷く。封印具で天を衝く動作をすると、蔦は絡み合って極太に育ち、主神に向かってどんどん伸びる。彼の背後の壁をも突き破って、ついにシグフェズルに巻き付いた。そのまま主神の腕、足と絡まって行く。
ガゼットが一対一で戦っている間、リーレンはこの魔術を準備していたのだ。炎で焼いても刃で切っても、対象を捉えんと育ち続ける植物。
「くっ……小賢しいっ」
謁見の間は、玉座の周辺が密林のようになっている。絡み締め付ける蔦が、主神を少しずつ床に近付けた。ガゼットはこの好機に蔦を駆け上って主神に迫る。
剣を振り下ろした刹那、主神の姿が目の前から消える。惜しい所で転移を許した。
(まずい!)
攻めの姿勢になることで、リーレンとガゼットとの間に距離が出来ていた。互いを庇うには遠すぎる──蔦を操る魔力に揺らぎを感じ、振り向く。
「リーレン!」
大技の魔術に集中している分、反応が遅れたようだ。主神が投げたシグフェズルは回転しながらリーレンの方へ飛んでいく。転移する先を察するも、回避が間に合わない。
肩から胸に食い込む刃。床に落ちた血飛沫の上に倒れて行くリーレンは、駆け寄ろうとするガゼットに強い視線を向ける。
(来ないで! 攻撃を続けるわ)
致命傷を癒やすには消耗も大きくなる。このまま押し切ろうと訴えていた。
(そうだな。俺達はもとより、命がけでここにいる)
リーレンを切りつけた槍は弧を描いて飛び続け、ガゼットをも引き裂こうとする。剣で受け流すと魔術の蔦に刺さり、そのままがんじ絡めになった。宝珠を使って大量の魔力を注ぎ込むことで、蔦はよりいっそう暴れる。主神は槍を手元に戻せない。
「人間ごときがっ」
忌々しそうに呟く主神は、更に伸びる蔦と共に走ってくるガゼットを横目に見る。並ぶ柱の間に広がる空間、主神からはリーレンの方が近い。動けない彼女の命を奪えば、蔦が消えると考えたのだろう。手先に魔力を集中し、宝珠を握りしめる姿に歩み寄る。
「ヴィンツェスター!」
間に合うかどうか微妙な間合い、ガゼットは注意を逸らすために相手の名を叫ぶ。が、止められない。主神の手から発生した風の刃がリーレンの首を狙う。
その時、別の風が謁見の間を吹き抜けた。それは自ら風の刃に飛び込んでくる。石の柱にぶつかって、床に落ちた。
「何?」
鳥を呼んだ覚えは無かった。だが、高い窓から入った鷹が攻撃を受け、身代わりとなったのだ。驚く主神と、既に落ちた鷹を見て、ガゼットは歯を食いしばる。
(間違いない、あの羽の色……俺のことを覚えていたのか)
まだヤヌクスであった頃に、あの鷹と空で遊んだ。友の声に駆けつけ、身を呈して主神に隙を作ってくれた。
(ありがとう、無駄にはしないよ!)
再び蔦が主神を捉え、ガゼットの剣が腹を突く。
「ぐっ……」
目を見開いた主神は、ガゼットと、その後ろで倒れているリーレンを睨みつけた。深く押し込まれる刃に苦しむ事もせず、何かしようとしている。何を?
蔦に隠れた左の人差し指が、僅かに動いた。水平に空を切った動きは、ガゼットからは見えない。
「勝てると思うか……っ、人間がぁ」
低い声は地響きのようだ。威圧感で寒気がする。相手を甘く見るのを、やめたのだろう。
また金属環を操るのかと、主神の動きを注視する。しかし、それは蔦が絡まって動かせる状態ではない。
(いや、何かおかしい……刃が、足りない?)
先刻砕いた他に、金属環に並ぶ刃がひとつ減っている。気付いた時には遅かった。体の中に異物が侵入した感覚とともに、ガゼットの喉は引き裂かれた。
「……かっ」
主神の転移は、空間同士を繋ぐ能力。ガゼットの中と刃のある位置を繋ぎ、体を中から引き裂くことも可能なのだ。
「証明できてよかったな。人間が、存外使えるものだということを」
嘲笑う主神の顔が遠ざかる。剣を持つ手の力が抜けて、ガゼットは後ろによろめいた。
(リーレン)
血が溢れてくる口で妻を呼ぶが、声は出ない。僅かに顔をこちらに向けたリーレンの目は虚ろで、その命が風前の灯であるとわかる。宝珠が掌から転がり、床に当たると硬質な音を立てる。同時に蔦が急激に勢いをなくした。
リーレンは、自分が流した血だまりの上に倒れた夫を見て、手を伸ばす。掌にうっすら、紫の痣ができていた。ガゼットもまた震える手を気力で動かし、歪む視界の中で妻の手をしっかり握る。
(今度は、届いた)




