③
荷物の奥に、セオティの使った宝珠を携えて、リーレンとガゼットがコンスリンクトを発つ日が来た。長男と次女は少し不安げな顔をしたが、長女と母は真っ直ぐ目を合わせて頷きあった。
(あとは任せるわ)
(自分の役目は理解しているつもりよ。頑張るからね)
長く話すと辛くなるから、気持ちだけは目一杯こめる。子供達を抱きしめ、ふたりは町を後にした。
麓のケケアに住むセオタスの所にも顔を出し、固い握手を交わした。ガゼットの目には、親友に最後まで重荷を負わせてしまう後ろめたさがあったが、彼らの荷の方が重いと思うセオタスは、笑顔で送り出す。以後、セオタスは晩年まで封印士育成学院を支えた。
とうに歩き慣れたグラオ平原を行き、テイタテイト領からぐるりと霊峰を回る。年月をかけて調べた穴はそれぞれに試練が設定され、封印士たちの力量をおおよそ測ってくれる。穴の状態が比較的安定している今なら、心置きなく通り過ぎることができた。
この旅のために、鍛錬を重ねた。霊峰に辿り着くだけなら雑作も無い。道中の不純物を蹴散らして、やがて霊峰の登山口があるポリアンサに達した。
「さて、宿も取れた。日暮れまで時間があるし、ちょっと山門まで行かないか?」
「そうね……私も、登る前に行っておきたいわ」
思い出を振り切って進まなければ、足を止めてしまいそうだった。ここまで来ては後戻りをしている場合ではない。ふたりは気持ちの整理をする余裕ができた。
日が傾いてきた黄色い空気の中で、リーレンとガゼットは山門の前に立つ。試練を課す仕掛けの台座は、怪しく紋様を光らせていた。山門はラナンキュラスの城門よりも大きく、太古の年表であるかのごとく、動植物や人と神の姿が微細に刻まれていた。最初に訪れた時には無かったものも、いつの間にか目に馴染んで当たり前の風景になっていた。
「二十年以上も、ここに通ったのか」
「本当に、色々なことがあった。かつては、なんとなく過ごしてしまった時間の中で……世界が変わったものね」
滞りなく循環していた世界の流れは、大きく変化した。人間に支えてもらうという結果は、急を要する事態であったことを物語る。主神にとっては不本意だろう。いずれ、駒として捨てられることのないよう、それを悟られぬよう、封印士達を育てて来た。
「驚く程、中身の濃い人生になったな。やれることはやった」
「ええ。心残りがあるとしたら……子供達が伴侶を得るまで、見届けてやれなかったことかしら」
「そうだな」
リーレンとガゼットは、どちらからともなく手をつなぐ。指を絡め、年月と鍛錬の跡をしっかりと握る。掌から掌へ伝わる温度が、夕日よりも燃えてふたりの心を照らす。
「共に歩む者として、俺達が手本になっていたらと思うけど……ちょっと、欲張りかな」
「あら、同じことを思っていたわ」
笑って、リーレンはガゼットの肩に頭を預けた。
「クーは、抱え込みがちなのが心配ね。フェンは剣にばかり夢中だと、結婚が遅れそう。リドは料理が上手だけど、上の子を待ってしまいそう。……だけど、私達が幸せだって、わかっているはずよ」
「ああ。それぞれに、愛し合える人が見つかるように祈るよ」
リーレンとガゼットの結婚式の写真は、誰も片付けないから家に飾ったままだ。幸せの証は置いて来た。
「リーレン」
妻の名をゆっくりと呼び、ガゼットは握る手の力を強める。
「なあに、ガゼット」
目と目を合わせると、ふたりの脳裏には人間になって初めて再会した日がよぎった。あの時も夕焼け空のもとで、手と手を重ねた。
「ずっと、一緒だよ」
リーレンもまた、改めて夫の手を握る。
「ええ。いつまでも」
この生を共に過ごすことを約束する言葉。そして、次の世代にも向けた想いだった。子供達と、彼らの子孫や封印士達に、ふたりの足跡が寄り添う。
空の色が橙から赤、紫へと移り変わる空に重ねて、帰れない場所から進む道へと、心の向きを切り替えて行く。リーレンとガゼットは、最後まで歩みきることを、互いの掌に約束した。
定期的に大穴を訪れる際、いつも試練を課せられては手間がかかりすぎる。山門の台座には、目立たない切れ込みが入っている。そこにガゼットが剣を差すと、山頂までの一本道が出来上がる仕組みになっていた。進めば背後の道が変わり、他の人間が入る事はない。
ポリアンサで夜を明かし、再び山門の前に立ったガゼットは、神妙な面持ちで剣を台座に差した。岩が擦れる音と地響きを立てて、道が拓かれる。
今頃、登山道の上にある山岳神殿でも、頂上への一本道が組み立っているだろう。
「さあ……行こう」
「ええ」
リーレンの頷きを確かめ、ふたりで歩く最後の山道へと踏み出した。
一歩一歩を踏みしめて、ゆっくり山を登って行く。山頂に着く頃合いを見計って、神界の誰かが迎えに来る。だからその前に、山の中で一晩を明かすことにした。万全を期して彼の者へ挑むためだ。
山岳神殿の入り口で焚き火をし、星を眺めたり、コンスリンクトの方角に思いを馳せる。今は、この辺りは不純物が襲って来ないようになっているから、充分に休む事が出来る。ふたりは静かに過ごした。互いを信じるのに、もう言葉はいらない。
翌日、山頂に立つと、リーレンは一時的に大穴の封印を解いた。すると、待っていたかのようにひとりの神が降りてくる。
「お久しぶり。……はぁ〜、随分と貫禄がでましたね! おふたりとも!」
明るい緑の短髪が特徴的な女神は、未だにリーレン達とどう接したものかわからず、言葉が少し丁寧になる。
「ファナーツ。よく前線に出るあなたが来るとは思わなかったわ。それに、その服装……具合でも悪いの?」
風神ファナーツは中堅に位置する神で、卓越した風読みの技量を誇る他、不純物の掃討に赴くことの多い戦士だ。動きやすい服装を好むので、いつもは薄着なのだが、珍しく袖のある格好をしている。
「あは、こう見えてお・め・で・た。全然、動くのに問題ないんだけど……旦那が大人しくしてろ! って言うから、ヒマなんです」
歯を見せて笑う様子は幸せそうだ。これから自分達がしようとしている事を知ったら、体に悪いのではないか。そんなことを考えたら、返す笑みがぎこちなくなった。
「それは……おめでとう」
「おめでとう。ものすごく、元気な子が生まれそうだね」
前に出たガゼットが自然に振る舞ったから、ファナーツが何かを感づくことはなかった。
「はい。じゃあ、行きましょうか。ちょっと風が複雑だけど、あたしにとっちゃあ、簡単ですから。飛ばしますよ!」
風読みの術で大穴に入ると同時に、封印を元に戻す。高速で神界へと上っていきながら、リーレンは大穴の封印ができる封印士がどれだけいるかと考えていた。今現在では、長女のクリシェくらいだろう。
(いや、今は進むことだけを。あの子達に、あとは任せてきたわ)
いつからか武器として手にするようになった封印具と、懐の宝珠を握りしめる。そんなリーレンの肩に手を置き、ガゼットは深く頷いた。




