⑤
もとより、セオタスが外界に憧れを持ったのは、弟のめまいを治す方法が、外にはある気がしたからだ。リーレンに振られた時から、彼が守ろうとする対象は弟へと戻って行った。一時、その存在を霞ませていた負い目からか、セオタスはことに封印術や穴のことを知ろうとした。そしていつしか、リーレン達が最も信頼を置く仲間となっていた。ガゼットと共に武器の扱いを指導することもあるから、飲み仲間のようにもなっている。
「なあ、セオタス。今度の報告で霊峰を登る時、一緒に来ないか?」
「僕?……ああ、そうか。リーレンにあの山は厳しいよな」
ある晩、セオタスに招かれてグラスを傾けていた時、ガゼットは長い旅の話を切り出した。現状を神界に知らせるため、という名目で、リーレンとガゼットは定期的に霊峰の頂上に出向く。様子を見がてら、大穴を通して神と会話していると周囲には伝えていた。
(実際は、他の穴から行き来することもあるけどな。今回は話をするだけだし、他の人間を連れて行ってもいいだろう)
人間界と神界を繋ぐ重要な地点として大穴を印象づける意図から、わざわざ遠い所に通っている。だがガゼットは、セオタスを印象操作に利用する気はなく、外に憧れた彼と世界を回るのも楽しそうと思ったのだ。何より今は、新しい命を宿したリーレンを連れて行くわけにはいかなかった。
「そう。さすがに強力な不純物が多いし、連れて行くのはまずい。かといって、ここに置いて旅してる間に子が生まれて、すぐに顔を拝めないのも悔しい。お前となら、サッと行ってサッと帰って来られるだろう」
猟師として中々の腕前を持っているセオタスは、不純物を相手取る戦いに順応するのも早かった。今では安心して背中を預けられる。ガゼットの人懐こい表情に、セオタスも微笑みを返す。
「わかった」
グラスに残る酒をあおり、旅を了承する銀の瞳の奥には、色々な気持ちが折り重なっていた。世界を回れることへの期待、友の子が生まれることの楽しみと、不安。
「弟が付いて来ないように釘をさしておかないとね」
「確かに。でもセオティはリル姉ちゃん、の方が気になるんじゃないか?」
「はは、そうかもな」
こうして決まった旅で、ガゼットとセオタスが留守にしている間、彼らの思った通りセオティはリーレンをよく訪ねた。封印術を教わる以外に、もうすぐ生まれる赤子が気になってしかたないのだ。
「男の子かな、女の子かな。名前ってどうするの?」
「名前はガゼットと一緒に幾つか考えたけれど……生まれてみないと、どの名前がいいかわからなくて。まだ決めてないの」
目立って来たお腹をさすりながら浮かべるリーレンの笑みは、かつてよりずっと優しい。
「なんとなく、女の子のような気がしているわ」
「楽しみだなあ……ぼくの妹じゃないにしても、よその子って感じがしないもの」
「ふふ、ありがとう。この子が、私にとってのセオティのような存在になれると嬉しいわね」
封印術の修行の合間には、よくこんな話をした。見習いの封印士が増えるに従って、集会所が学校と呼ばれるようになる頃には、リーレンは「先生」になり、セオティも指導を受ける時は態度を改めた。「姉ちゃん先生」という奇妙な呼び方をするのは彼だけであったが。
やがて生まれたのは、元気な女の子だった。髪の色はガゼットに似て、瞳はリーレン譲りの深い緑。通る声でよく泣く子をセオティは率先して抱きたがった。母親に抱かれて泣き止むのはわかるが、父親よりもセオティの腕の中で落ち着くらしい長女を見て、ガゼットはこっそり悔しがる。同じく泣かれてばかりのセオタスと飲む酒は、長女クリシェが生まれてから、いっそう旨いことだろう。
人間達の封印術の扱いが安定するまでに、神界側も準備を進めた。方々に遺跡をこしらえて、クルクヌはてんてこ舞いだ。
未熟な封印士が穴に不要な影響を与えては困る。それを防止する意味で、穴を擁する遺跡などには仕掛けが施され、「試練」として行く手を阻んだ。世界のバランスをとるためにリーレンが出向く場合は、試練の機能を止めて速やかに封印が出来るようにしている。世界中に点在する穴の大きさや封印の難しさは、概ねリーレンの感覚で分類していたが、彼女にとって簡単でも他の者には難しい場合がある。学院に紛らせた術を使える下級神、或いはそれなりに習熟した人間の封印士を連れて穴を回り、情報の精度を上げていった。
ただ、一代で全てを軌道に乗せるのは難しい。神界への報告に行く途中、リーレンとガゼットは限りある命でどこまで出来るかを話し合った。
「私達の次の代からは……純粋に人間だけで行く道になるのよね。もっと上手く教えられればいいのだけれど」
まだ、封印術を教える側に立てる人間はいない。遠い昔から自在に術を扱っているリーレンにとって、それは呼吸に等しいようなものだ。教えることがかえって難しいという。剣術に置き換えればガゼットにも多少は理解できることだ。
「武術のように目に見えるものじゃないからな。術が使えても封印知覚を持たない子もいるんだろ?」
「ええ。反対に、知覚だけを持つ子もいる。先生って、生徒より勉強しなきゃならないんだわ」
肩をすくめるリーレンは、勉強を苦労とは思っていないらしい。顔には笑みがあった。
「出来る限りを尽くさないと。きっと、クリシェ達の為にもなる。何より、後の封印士達は皆」
「私達の子、だよね。俺も同じように思ってるよ」
封印士と護衛士は、世界を保つために戦う協力者。志を同じくする者は家族に近い。リーレンとガゼットは頷きあい、歩む道の先を見た。




