挿話 褪せてゆく印画
時期的に本編のこの辺りですが、もとは外伝として後から書いたエピソードです。
コンスリンクトという町は、長く閉ざされてきた。外へと開かれれば、物も情報もどんどん入る。
魔術を生活の動力にも使うため、利便のための発展も外界と差があった。珍しい物品を手にするたび、セオタスは目を輝かせる。普段の落ち着いた物腰を崩し、前のめりで質問を重ねた。
「なんだか、セオティみたいだな」
歳の離れた弟は、好奇心旺盛だ。出会って日が浅いガゼットにも、兄弟の似たところが分かる。それを聞き、リーレンは微笑む。
「確かにそうね。子どもの頃より無邪気だわ」
「あの町には、そんなに面白いものも無かったから。外は新鮮で面白いよ、やっぱり世界は広いものだったんだ」
今は、封印術の素養がある人間を探すためにテイタテイトを視察している。リーレンの感覚だけでは心もとない。封印知覚を知る前のセオティを見てきたから、セオタスの目も頼りになる。これは半分建前で、外に焦がれた彼を、真っ先に連れ出したい気持ちで指名した。幼馴染みが明るい表情でいるから、リーレンも嬉しい。
「このぶんだと、ポリアンサに行ったら、面白いあまりに眠れなくなりそう」
「それも、どこかの国なのかい?」
「ああ。俺の故郷になるが、リーレンが言うのは首都のほうだろ。外れに変わった爺さんがいてね、不思議な道具をあれこれ発明しているんだ」
「それはいい。君が育った風土にも興味があるな」
つい最近まで、リーレンを巡って睨み合っていたふたり。特にセオタスは、簡単に物事を割り切れる性格ではないのだが、案外仲良く過ごしている。彼女を心配させまいとする気持ちもあるし、剣を通して互いを認めたからでもある。
野宿の時は交代で休むから、リーレンが眠る間は男ふたりで話せた。
「冒険者というのは大変な生き方だね。ひとり旅ではこうはいかないだろう」
「たまたま居合わせたやつと、交代で火の番をすることもあるよ」
セオタスは、自然と助けあいが出来るのは素晴らしい、などと感心する。清い心を汚す気がして、現実を語るガゼットはほろ苦く笑う。
「素性も知らない相手を、信頼してはだめなんだ。始めと終わりに互いの所持金を見せて、取った取られたがないように確かめるのが、暗黙の了解。それも、手持ちの全てを見せるとは限らないけどね」
「なにやら物騒だな」
「冒険者も色々なのさ。盗賊紛いの者もいる。俺みたいに、世界中を歩きたいってやつのほうが少ないかも」
夜中の空気がそうさせるのか、ガゼットの顔に感傷がにじむ。羨ましいほど迷いとは縁遠いくせに。セオタスは嫉妬に近い感情を押し殺す。そろそろ友と呼べそうな男に、今更あら探しなどしたくない。
「君はどうやら、こっち側の人間だからね。世の中の悪いところも、知っておいた方がいいよ。楽しい旅のために」
「僕は……そんなに旅が楽しいものと、思っていたわけではないんだ」
なぜ外に焦がれたのか。リーレンにもはっきり伝えなかったことを、話してみようと思った。
「コンスリンクトにあるもの、そこで培われた知恵はだいたい知ってる。それでどうにもならない、病弱な弟を……何とかしたいと、都合のいい幻想に縋っただけさ」
知らない世界には、願いを叶える物や知恵が溢れているものと。ガゼットより深い感傷は、銀の瞳を地面にひきつける。
目を合わせていても、逸らしても一緒だ。ガゼットはセオタスの言い方が気になった。
「手合わせの時も思ったが、君、どうして自分を嫌うんだい」
「そう見える? あまり自分を好き嫌いで考えないけど……うん、そうだな、どちらかと言えば嫌いだ」
曖昧な答えを紡ぐ口元も、苦そうに歪む。
「弟を救う手立てを外に頼って、外に行きそうなひとを好きになって。結局、自分からは出られなかった。色々と言い訳をしながら、自分が外へ行くのを正当化したかっただけ。弱い自分には、けっこう、嫌気がさしているんだよ」
「それって、弱さなのかな」
眉根と口が鼻に引っ張られたような顔を、なぜだか憎めない。
「俺には、自分の本音に気づいて、ひとつ前に進んだように見える」
「はあ、本気でそんなことを言うからずるいよな」
今度は空を仰いで、セオタスは視界からガゼットを追い出す。いっそ嫌味な男なら、腹を割って話そうなんて考えなかった。まっすぐな言葉が苦しい。
「君にだから、本気で言うんだ。コンスリンクトで一番、俺を追い詰めたやつを相手に、焦らなかったと思うかい?」
「嘘だろ、あれだけ観察してやっと挑んだら、誰でも多少は追い詰めるよ」
「戦術を思い描くのと、実践するのは別だ。地味だとか言うやつは、妬んでるんじゃないか。ほら、ごらんよ」
ガゼットの目線に促され、幼馴染みの寝顔を見る。家で眠るのと同じ、安らかな様子だ。
「俺とふたりで旅する間は、もうすこし緊張感があったな。この無防備さは、野宿に慣れただけじゃない。君がいるからだとすると、妬けるよね」
「リーレンは君を選んだ。いい加減に安心しなよ、こっちは諦めてる。やけに頼もしい妹みたいな子さ」
「それでも、セオタスに負けないくらいには良い男でいたいと思う」
声にこもる熱は、焚火の温度か、想いのたけか。赤々と燃える目は、セオタスが見るずっと前から、彼を見ていた。
「君に対する、自分勝手な礼儀」
この男には裏も表もある。必要と判断すれば、平気で嘘もつくだろう。そう思うのに、今の言葉はどこまでも本当に聞こえる。
「……ガゼットは、へんなやつだな。妻に振られた男のこと、そんなに意識するものかい」
「リーレンが安らかでいられる場所は、多い方が嬉しい。俺もそのひとつになるよう、参考にしたいのさ。とんでもない大荷物を、ひとりでだって抱えようとするだろ? 一緒に抱えるために、こっちは必死だ」
苦労も笑顔で語る。それは、セオタスもよく知る感情ゆえのこと。
「なんだか、懐かしいな。小さい頃、排出口からの不純物を相手に、リーレンは無茶をした。氷の盾で、弟を守ってくれたんだ。高位の術を使った反動で寝込んで……変わらないね」
つられるでなく、浮かぶ笑みがあった。
「君だけでは、手に負えないかも。僕もその荷物を持とう。友人として」
交わす言葉のひとつずつが、絡まった糸をほどいて、新しい結び目を作っていく。リーレンを支えるふたりは、視線だけで握手だってできるのだ。
「助かる。君たち兄弟には、感謝が尽きないな。リーレンも、ふたりに救われているそうだよ」
「えぇ? 僕たち、何かしたっけ……」
目に映るままの景色を、紙に焼き付けて記録する道具がある。封印術の指導に役立てる名目で、ポリアンサの発明家から譲り受けた。
ときどき、本来の目的を離れ、思い出を捉える。撮るのが一番上手だからと、セオタスは進んでその道具──カメラを手にした。印画された紙は、そのうち写真と呼ばれるようになる。会話までは記録されないけれど、被写体は色褪せながら感情を伝える。
「さあ、レンズをよく見て。七つ数え終わるまで、瞬きは我慢するんだよ」
「五つくらいに加減できない? なかなか大変だ」
「いいけど、ゆっくり五つ数えるから変わらないな」
些細なふざけ合いをはさんで、リーレンとガゼットは集会所の前へ。石壁には、花や布の装飾があった。婿の赤いローブを背景に、白いドレスが引き立つのは、刺繍糸が補色の緑だからだろうか。人間界の結婚式では、こうした色で夫婦を飾ることがよくある。足りないものを補って生きる、ふたりの未来への祈りだ。
「ただ並ぶんじゃ、味気ないかな。肖像画みたいにポーズをとってみてよ」
セオタスの提案に、顔を見合わせる。
「だったら」
しばし考え、リーレンは左の手袋を外す。ガゼットが差し出した右手に、肌の色が重なった。
「これでどう? それらしい?」
手を携えてどこまでも。にじむ意志は、いっそうふたりを輝かせる。
「いいね。それじゃあ撮るよ。七つは我慢だからね」
今の幸せを焼き付けたいあまり、念押しはしつこいほど。心から祝福してくれる友がいるから、ふたりの笑顔は七つ数え終わっても続いた。
「現像が楽しみだ。うまく撮れたと思う」
「目を瞑っていないといいな。一生の宝だ」
「瞑っていても面白いわ。今日のこと、いつまでも思い出して笑えるもの」
こうして撮影した写真は、タナンテスク家の壁にずっと飾られた。あの時の他愛ない会話を子どもたちは知らないけれど、大好きな一枚だと口を揃える。セオタスがカメラの向こうにいるから、ふたりの笑顔はこんなに美しい。
少しずつ日焼けして、写真はいつか真っ白になるだろう。当時は綺麗に思えなかった、リーレンへの愛情。ガゼットへの嫉妬。弟に対して抱えた後悔まで、一緒に昇華されていく気がする。外に焦がれたセオタスの心は、揺れ動く感情の言い訳ではなく、ただの根っこ。いくら弱さを嘆いても、彼らはセオタスを認めていてくれた。己の心だけで生む自信は、驕りになる。他人にもらったものでも、自信が持てるようになっただけいい。
目を閉じれば、写真を撮った時の気持ちを、いつでも思い出せる。印画紙よりも鮮やかに。いつまでも、色褪せることなく。




