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 空が重くなって行く感覚は、いつしか地面が沈むような感覚へ。邪魔をする不純物を弾き飛ばしながら風に乗って行くと、急に明るい場所に出た。

 芝生の地面にぽっかりと穴が空いた広場。真っ白な壁に植物を模した彫刻が刻まれていて、24の石柱が高い天井を支えている。その天井に近い窓から陽光が降り注ぎ、穴の暗さと相反して眩しい空間を作り上げている。覚えのある場所だった。主神の居城の中央、大穴を擁する中庭だ。

「よっ……と」

 芝生の上に移動して風を解き、三人は神界の地面を踏む。大穴から上に向かって吹く微風が、それぞれの髪を微かに揺らした。

「ふう、無事に着いたな。そういえばクルクヌ、俺が風読みできなくなってるの、よくわかったな」

「今になってそれを聞くの? どれだけ長い事ヤヌクスの下にいたと思ってるのさ。今はなんだか……魔力の質が違うし、僕が送って行くと言ったら素直に乗ったでしょ。それでわかるよ」

「なるほどな」

 ガゼットとクルクヌが呑気なやりとりをしている間、リーレンは導管知覚を神界に広げてみた。登ってくる養分は、大穴のものを含め確実に減っている。

(ひとつの山は、越えたかしら。……あ、この気配は)

 中庭に近付く魔力を察知し、リーレンは城内への扉に向き直った。同時に両開きが勢い良く開いて、誰かが中庭に飛び込んでくる。顎辺りに揃えた内側に弧を描くこげ茶の髪、青と白を基調とした服装、生真面目を絵に描いたような顔立ちの女神は、珍しく感情を露にしていた。

「アイナンカルデ様……!」

「ディル!」

 アイナンカルデの下に付いていた、自律の神だった。高位神の代理を与る者同士として、暗黙のうちにクルクヌとの接触を避けていたが、気持ちを抑えられなかったのだろう。涙ぐんで、今は人間となったリーレンのもとに走り寄る。こっそり、クルクヌはガゼットに手を振って窓から外に出て行った。彼は浮遊の術も得意だ。

「覚えておいでですか、もう……もう、会えないと思っていました」

 顔も声も当時と同じ上役を前にして、ディルは芝生に座り込んでしまった。涙を流し顔を覆う彼女の肩にそっと触れ、リーレンはしゃがんで向き合う。

「ええ、覚えているわ。あなたには、たくさんの負担をかけて……ごめんなさいね」

 ディルが初めて代行したのは、アイナンカルデの堕神を執行する穴の選定だった。その時の毅然とした表情を思い出し、リーレンは言葉を詰まらせる。

「いくら謝っても、足りないと思うけれど」

「いいんです。あなたは人の身になっても、世界を案じて、行動してくれた。導管知覚に訴えるものが封印術と気付いたとき、どれほど私は救われたでしょう。アイナンカルデ様が生きていた、って」

 これを聞き、リーレンは悲しげに微笑んだ。やはりディルの中にも、前世が深く根を下ろしている。

「ありがとう。確かに私は世界を思って行動したけれど……もう規律神としての道を歩いてはいないのよ」

 はっと顔をあげて、ディルの頬に新たな涙が伝う。

「アイナンカルデ様は死んだと、そうおっしゃるのですか?」

「いいえ。神界で生きた数千の時は、今の……リーレンの命に繋がっている。人の身で、できるだけの事をしようと決めて、ここまで来たの」

 両手でディルの頬を包み込むようにして、優しく語りかけるリーレン。規律神の側面は、なりをひそめていた。

「だから上役としてあなたに接するのはおしまい。これまでと違う関係で、話せたらいいと思うわ」

 あなたより高い所にいる存在ではない。神々との接点が続くかどうか分からないが、もっと近い目線でディルに接したいと、リーレンは考えていた。アイナンカルデに憧れ、慕う彼女を、いつからか妹のように見ていたのかもしれない。

 今のリーレンには今の立場と役目がある。ディルはそのように感じ取り、小さく頷いた。心から納得するには時間がかかるとしても、憧れの存在がまだ生きていると思えたようだった。

「あっ」

 昂っていた気が落ち着いて、ディルは我に返る。

「お二人を、ヴィンツェスター様がお待ちなのでした。すぐに、ご案内します」

 急いで立ち上がり、先頭に立って中庭から城内に入る扉へと歩きだす。珍しくあたふたした自律神の様子に、リーレンとガゼットは微笑んだ。


 謁見の間の前でディルと別れ、二人は中へと通される。やけに高さのある重厚な両開きの扉がゆっくりと開いていき、足を踏み入れた床には長い絨毯が真っ直ぐ伸びている。左右には等間隔で太い柱が並び、話の内容によってはそれぞれの前に下級神が控えているのだが、今日は正面の台の上、玉座の主神と傍に控える妻だけだ。台の手前でひざまずいた瞬間、主神が口を開いた。

「よく戻った」

(その口からよく、その台詞が吐けたものね。……でも、とりあえず角を立てないようにしましょう)

 リーレンは主神の言葉が気に障ったが、まずは話を聞くことにした。

「ただいま戻りました。私達の行動については、ある程度伝わっているようですね」

「ああ。事態は急を要する、かしこまった挨拶は抜きだ。お前は気付いているだろうが、天界との穴が絞られている。それにより神界に養分が滞り、肥大化を起こしているのだ」

 ここまでは共通認識といった所だ。それぞれ頷き交わすが、ガゼットはネーブルサニアだけ無反応であることが気になった。

「ディルによると、アイナンカルデが封印の術式で養分の流量を調節する方法を編み出したのでは、ということだった。間違いないか」

「……はい。ただ、封印術を扱える者全てが、どの穴でも封印できるわけではないと思います。能力に見合った穴がどの程度か、量る必要があります」

 新たな名を名乗る間もなく話を始めてしまった。リーレンは少し悔いたが、今、最も重要なのはそのことではない。

 神々の中で封印術を使える者、導管知覚を持つ者が総出で事にあたっても、永劫に渡って世界の安定を保つには足りない。穴の数はそれほど多かった。

「それから、私達人間との協力を提案します」

 コンスリンクト以外にも、魔力が高い人間は散見した。中には封印術の素養を持つ者もいるのではないかとリーレンは言うのだ。神と人の立場を近付けるような話に、主神が賛成するものかと、ガゼットはこっそり渋い顔をした。

 ところが、予想に反して主神は頷いたのだ。これにはリーレンも驚いた。

「うむ。実は、天界からの不穏な動きは以前よりあったのだ。長い目で見て、役立つよう……禁忌を犯す罪を死罪と違う、堕神とした。人間との協力もやぶさかではない」

(人間に力が移るのも、想定内だったというの?)

 自分の転生も主神の策なのでは──頭を掠めた仮説を、リーレンは努めて忘れようとする。兎にも角にも、今の主神は下界を含め世界を守る気があるようだ。

「そこで、だ。封印術を用いて穴を保つ、下界での体制作りを、アイナンカルデに任せたい」

「私に?」

 息をのみ、リーレンは少し間を置く。嫌な感じではないが、背中を一筋、汗が伝う。

 その道が主神の掌の上であっても、そうでなくても。彼女はきっと、そこを歩くだろう。他の選択肢は無かった。自分で選ぶか否かの違いだ。主神を真っ直ぐに見て答え、隣にちらと目を移す。

「分かりました、引き受けましょう。……ガゼット、手を貸してくれる?」

「もちろんさ」

 二人が話すのを、主神達は表情を変えずに聞いていた。そして思い出したように、ネーブルサニアが口を開いた。

「ガゼット……今のあなたはそういう名前なのね。アイナンカルデにも、新しい名を聞いていいかしら」

「リーレンと申します」

「そう……記憶を持ちながらも、人として、生きているのね」

 堕神の刑を執行する立場にある彼女が、寂しげに手袋のない手を見つめる理由は分からない。ネーブルサニアは、それ以上は話に口を挟まなかった。

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