⑤
灯台が見える所で焚き火をして、しばらく経った。背後の林からひんやりした空気を感じる。木立が作る闇よりも、灯台の下方に漂うそれの方が深い。それに、海からの風も冷たくて、焚き火に枯れ枝をくべる頻度が高くなった。
「なんだか、喉が乾いたな。ちょっと水を汲んでくる」
宵の頃、ガゼットは水筒を持って立ち上がる。水を汲むついでに、少し焚き木を拾おうと思ったのだ。
「いってらっしゃい」
リーレンに送り出され、湧き水の所まで歩く。夜だからといって不純物は眠らないので、剣を腰に提げて行った。
(いい天気だ……月明かりでも歩ける)
木立はそう密集していないし、この程度なら夜目が利く。運良く不純物にも出くわさなかった。
水を汲み、適当な枝を拾いながら元いた場所に近付くと、ガゼットは不意に眉をひそめる。なるべく音を殺して、しかし急いでリーレンのもとへ。
「リーレン?」
焚き火が、土をかけて消されている。彼女の姿がない。集めた枝を取り落とし、ガゼットは屈んで地面を凝視した。複数の足跡がある。大きさから見て、灯台からネコ型不純物が押し寄せたわけではない。
(盗賊か? くそっ、人間のことを考えてなかった)
微かに草の匂いがする。どうやら盗賊はリーレンを連れて、草むらを通ったようだ。足跡を残さず、その後どこへ行ったのだろう。
「ねえ、誰か。女性が連れて行かれるのを見なかったかい」
草むらに頭を突っ込んで、ガゼットは聞いてみた。夜に活動する鼠などが潜んでいれば、きっと事の運びを見ていた。
「……いないか」
返事がなかったので、今度は林の梟に話を聞く。それでも手がかりは得られない。林を除いて考えると、この辺りで奴らが身を潜めるのは、海辺に散在する洞窟だ。砂上の足跡を消されていても、リーレンが何らかの合図をくれれば、あるいは動物に手伝ってもらえば見つけられる。ガゼットは海へと駆け出した。
海は風に揺れて波を立てていた。物音でリーレンの居場所を突き止めるのは難しい。だからといって無闇に動けば、賊がリーレンに危害を加えるかもしれない。
(術を使えば応戦できたはずだ。そうしなかったのは、人に術を見せないためだろう。俺もそうだが……今は急ぐ)
波打ち際を離れると崖があって、そこに洞窟が点在している。ガゼットは崖の下で神経を研ぎ澄ませて、動物と語らう力を使うことにした。それは術ではなく、感覚としては気合いに近いものだ。彼が「動物と話せる」と思うから話せる。ただ、リーレンが言うには魔力の動きがあるそうだ。
「気付いてくれ……」
祈るような声が漏れる。付近にいるコウモリや海鳥に、彼女の居所を教えて欲しいと念じていた。呼応した動物達のざわめきで空気が震える。
と、ひとつの洞窟に、起き出したカモメが入って行く。すぐに出てくると、今度はガゼットに向かって真っ直ぐ飛んできた。
「そこにいるよ!」
「ありがとう、起こしてすまないね!」
すれ違い様にカモメに礼を言い、すぐに洞窟へ。月光を背負って入り口に立った時、洞窟には五、六人の男がいた。
「やあ、石の宿は居心地がいいかい?」
剣に手をかけ、ガゼットは口の端を引き上げる。目は笑っていなかった。地面にはランプが倒れていて、既に火は消えている。カモメが倒して行ったのだろう。奥の石柱にロープが結わえられているが、リーレンの姿は確認できない。恐らく向こう側に縛られている。
「何だテメエは。人のねぐらに入ってくんなよ」
「凄んでも怯んであげないよ」
ガゼットが洞窟に足を踏み入れる。張り付いたように表情はそのままだ。すらり、剣を抜いたというのに、柄の悪い男共はひとりとして動けない。はじめに口を開いた者など、瞬きすら忘れている。
「奥の女性を返してくれれば許そう。乱暴、していないだろうね?」
数歩進んでランプの位置を越え、賊に囲まれる位置にいるのに、空気は鋲となって彼らを押さえつけた。
「ねえ?」
答えが返ってこないのが自分のせいだと気付いていないのか、ガゼットは手近にいた賊の顎を剣先で持ち上げる。体の震えによって皮膚が切れて、痛みで賊は声を取り戻した。
「ま、まだ……っ、何も」
「まだ?」
何かするつもりだったのか──瞬間で顔が熱くなる。剣を握る手に力が入った。
「だめよ、ガゼット!」
張りつめた空気を切り裂いたのは、リーレンの声だ。見ると、ロープがいつの間にか地面に落ちていて、石柱の向こうから彼女が姿を現している。
「ひぃぃぃいっ」
ガゼットの気迫が緩んだ瞬間、盗賊達は身動きがとれるようになり、一目散に逃げ出した。
「リーレン」
「来てくれたのね……きゃっ」
指の力が抜け、ガゼットは剣を落としてしまった。リーレンに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめる。突然のことに驚いて、リーレンは身を硬くした。
「すまないね、油断した……何もされなかったか?」
「あら、そんなに心配したの? 大丈夫、あなたがすぐに来てくれたから」
背を撫でる小さな掌が温かい。ガゼットは気が鎮まってきて、今更ながら自分の焦りや怒りを知る。
「いざとなったら、術を使うのもやむなしと思ったけれど。無事に済んでよかったわ」
盗賊達がガゼットにおののいている間に、石を操って後ろ手のロープを切ったそうだ。彼らの誰にも、魔術の存在を知られてはいない。
「それにしても驚いた。あなた、彼らを殺しかねない剣幕なんだもの」
リーレンはあっけらかんとしている。先刻、ガゼットの殺気を削ぐ判断をした冷静さから考えても、盗賊が怖くなかったようだ。
「はあ、君は自覚が足りないな。たちの悪い冒険者や商人には、美しいだけで金の山に見えてしまうんだよ」
「相変わらずお上手だこと。何にせよ、女性ひとりでいる時は気をつけろってことかしら。いつも今日のようにはいかないもの。ふふっ」
どうしてこんな時に笑うのだろう。自分の心配は大袈裟なのかと、ガゼットは困ってしまう。やっと、抱きしめていた腕を放しリーレンの顔をじっと見る。
「なんだか、嬉しそうだな」
「だって、ガゼットの色々な表情が見られたから。あなた、昔から微笑んでばかりで余裕があって……切羽詰まった様子なんて、ほとんど見た事なかったわ」
神であった頃からの一定した生き方が、表情にも現れていたようだ。余裕を失ったのは、堕神の術式に飛び込んだ時と、今だけだった。
「……俺も、人間だからね」
「ええ、そうね」
微笑みあうと、ずっと傍にいるのにもう一歩近付けたような、不思議な感覚がした。きっと、心の距離が縮まったのだろう。
ガゼットは落ちた剣を拾い、リーレンと共に元の焚き火の場所へ戻って行く。二人の旅は、もうすぐ一区切りだ。




