④
ラナンキュラスで封印したもうひとつの穴にも、クルクヌが訪れた形跡はなかった。北の半島の穴は二度目の封印をしなかったから、そこですれ違ったと思われる。
「なんだか、霊峰までの競走をしているようね」
「どうせなら、先に行って山道を歩きやすくしてくれるといいな」
ポリアンサ王都へ向かって森を歩きながら、主語を削って神の噂をした。
「ふふ、本当にそうだわ」
リーレンの自然な笑いが、少し増えた気がしてガゼットは嬉しい。しかし、言葉の端が風に流れるのに合わせて、彼女の意識が西へ向くのを見ると、冗談ばかりは言えない。
(コンスリンクトの山道を思い出したかな? 君は時々、故郷に気持ちを向けている)
はじめは封印のことや世界の様子に偏っていた話題が、最近は広がりつつある。二人だけの時に限るが、リーレンも故郷のことを話すようになった。
生まれた直後に言葉を発したせいで、町人から一線引かれていたこと。それでもコンスリンクトの一員としては見ていてくれたこと。料理上手な母と寡黙な父、幼馴染みがいたこと。そして町を去る時に、つい「行ってきます」と呟いたこと。
一応、ガゼットの出身はポリアンサの町なのだが、補給に寄るような位置でもなかったので、今回は素通りした。剣の扱いに充分な力を得てさっさと冒険を始めた彼は、故郷への愛着が薄い。
(何でも状況を受け入れて、へこたれない……例えば故郷を失っても、平気でいられる人でなしなのかもな、俺は)
記憶が戻った今は、冒険ついでに今後の人間達に真実の手がかりを残せればいいと考えている。来世どこに生まれたとしても、それならまた自由を謳歌できるだろう。世界の現状を何とかしなければと奔走するリーレンに、振り回されているようでありながら、ガゼットはぶれずに己を保っている。
(誰かのためにと頑張れるのは、ちょっと羨ましいね)
互いを知るにつれ、ガゼットの考えごとが増えてきた。
ポリアンサ王都に着いた日は、早い時間に補給ができたので、その日の内に封印に行ってしまうことにした。海沿いの崖の上に古びた廃灯台があり、その中に穴がある。灯台自体は町から目を凝らせば見えるが、穴は見えない。封印を施しても問題はないと踏んだ。
「これは、人の手による建物ね。わざわざ、穴を囲んで建てたということ?」
「ああ……穴の所有が権力になった時代があったらしい。近くに不純物排出口が開きやすいから、いつしか人里は穴から離れていった」
風雨にさらされて劣化した石造りを見ると、人の歴史に直に触れている気がする。ヴィンツェスターの命で神が人間界に干渉することはあるが、二人には回ってこなかった役割だ。
「そうなの……」
(知ることで、少しずつこの大地に根を張るのか。俺も、根無し草ではないのかもな)
感慨深げなリーレンの様子が、歴史を知った時の自分に重なった。
リーレンが穴に流れる養分の量を推し量っている時、皮膚が粟立つ不快な空気を感じた。二人は咄嗟に武器を構える。
「間の悪い……排出口が開くわ」
言うや否や、何も無かった空間が歪む。封印するつもりの穴を背にして向かい合ったのは、直径が片腕の長さ程の新たな穴だ。そこから、窮屈そうに闇が這い出してくる。頭と思しき潰れた球体から、尖った耳がふたつ生えた。
「ネコの人形、みたいな奴だ」
粘液など、形の定まらないもの総じて弱いが、形のはっきりしたものほど強いのが、不純物の傾向だ。必ずしもその限りではないものの、このネコ型の相手は幾分骨が折れそうだった。
いつでも反応できるよう敵を凝視するガゼットの横で、リーレンも魔力を高めて攻撃に備えていた。いざとなれば一瞬で、氷の壁を作るか、石のブロックを操るか。彼女自身の防御力は充分だろう。
すぽん。ようやく穴から完全に抜け出た顔を2人に向けて、ネコの不純物は三日月型の口で笑う。口も目も、真っ黒な顔面に妖しい光で描かれていた。それから一瞬で、ネコの頭は穴から飛び出した。天井で弾みを付けて2人の背後に回る動きは素早く、リーレンは振り向くのが間に合わない。同士討ちにならないよう、ガゼットはわざとリーレンの肩に自分の肩が掠るように動いて、彼女と背中合わせに立った。剣に重い衝撃が走り、目の前に三日月が浮かぶ。不純物は、細く関節が曖昧な四肢、丸い頭と体、という見た目に反して力が強い。得物はサーベルで、ガゼットの剣と火花を散らす。
「気をつけよう。数で来られると厄介だ」
つばぜり合いのうちに、リーレンに一言かけた。空気の動きで彼女が頷いたとわかると、すぐに攻勢に転じる。
「ふっ」
一気に剣を押し返して、不純物の胸を蹴る。倒せばひと突きにできたが、自在にしなる足で後ろへ跳んで回避された。それは織込み済みで、体勢を立て直すために尻餅で弾んだ所を狙う。素早く間合いを詰めたガゼットは、振り上げる剣で利き腕を切る。返す剣で首を落として、倒れた敵を意識から追い出した。排出口からの後続が、まだいるはずだ。
リーレンの様子を見ると、氷の盾で応戦する向こうに、膜が張ったようになった排出口をみとめる。緑色の光の膜は封印術のそれに似ていた。加えて、不純物が出てこなくなっていることに気付く。灯台の内部には、数体のネコ型不純物が跳ね回っているだけだ。
「ガゼット、排出口は塞いだわ」
「ああ」
「私は穴を封印する。その間……不純物をお願い」
細かい説明は後回し。とりあえず、封印を急ぐ必要があるらしい。
「任せて」
ガゼットはにやりと笑った。千年以上も剣を握ってきた彼に、この状況はぬるいくらいだ。
「右の大地に月の錘を」
高まる魔力を警戒し、不純物の一体がリーレンを狙う。初見では太刀筋の読みにくい相手でも、数えきれぬほど倒した経験があれば動きが分かる。突かれる前にサーベルの籠鍔を左手で押さえ、顔と胴体の間に剣を刺す。あるか無しかの首から闇が吹き出し、ただの大きなぬいぐるみと化したネコは床に転がった。
「左の大地に太陽の錘を」
前から後ろからかかってくる不純物に見向きもせず、リーレンは真っ直ぐに、封印する穴に集中していた。ガゼットの剣により空中分解する不純物もあれば、四肢を落として動きを鈍らせた上で仕留めるものもある。
「並べて天地の柱となれ!」
術式が完成するまでに、排出口から出た不純物は全て片付き、リーレンの周りに闇色の輪ができた。緑色の光の膜に覆われ、灯台の穴も封印された。血が付いたわけではないが、ガゼットは空に剣をひと振りし、リーレンを振り返った。
「首尾よくいったようだね」
「ええ。でも、排出口をいつまでも塞いでおくのはよくないわ。ひとまずここを離れましょう」
灯台を出て、王都方面に進路を取りながら、リーレンに事の詳細を聞いた。不純物排出口は、養分と一緒に神界に流れて行く不純物が多すぎる場合に、人間界へ跳ね返す仕組みだ。封印したままだと流れが滞り、排出口は閉じない。穴をめぐる世界の流れに、これ以上の不具合を起こすのは避けたいらしい。
「獲物がいなければ時間をかけて消えていくから、しばらくは、近付く人が各々気をつけるしかないわね」
各地で散発する現象であるし、人間達も心得ている。大風呂敷を広げる事なく、リーレンは灯台の方向に手をかざし、排出口の封印を解いた。
「せき止めていた分、しばらくは不純物が多く出てくるかもしれないわ」
「そうか……この辺りで野宿にして、様子を見るかい? 近くに湧き水があるから、不自由しないよ」
「そうね、いい考えだわ」
ガゼットが簡単に倒した相手でも、あのネコ型の不純物は手強いものだ。手練の冒険者ならともかく、商人などでは太刀打ちできない。二人は野宿の準備を始めた。




