②
「怖いのかい?」
ほんの少し震えのおさまった布団の塊は、深く頷く。ガゼットは腕を広げて、布団ごとリーレンを抱きしめた。
「それならそうと言ってくれ。天井から君を守るくらい、簡単なんだから」
腕の中で、リーレンが首を横に振っているのがわかる。そう、彼女が怖れるのはもっと大きなことだ。
「確かに、俺は君の不安を理解できないだろう。怖い、って口にすること自体、怖いかもしれないね」
ゆっくり、背中をさすりながら語りかける。
「そんな君に、ひとつ、聞きたいことがある」
低くなる声に、リーレンは顔を上げて布団の隙間からガゼットを見た。朱色の目はランプよりも明るく、リーレンから怯えを吸い上げて行く。布団と力強い腕に包まれて、段々に落ち着いてきた。
「君は何者なんだ?」
問いから削られた諸々は、彼の目から読み取れた。世界の全てを抱えるような旅路を、君は何者のつもりで歩くのか。まだ、神のつもりなのではないか。
「……私は」
濡れた頬を拭って、リーレンはひと呼吸置いた。まっすぐ、ガゼットと目を合わせる。
「私はリーレン。ひとりの……人間」
それは本音だと感じられた。神の嘘を知る人間で、封印術を持っているだけ。
「人間が足掻いたって、いいでしょう? 私が育った場所も、あなたも……世界の一部なんだから」
力があるから守らなくては、と考えての旅と思っていた。実際は、彼女は世界を守りたいから茨の道を行くのだ。はっきり言葉で聞けた時、ガゼットは気付いた。
(君に、アイナンカルデという先入観を持っていたよ。本当は、ずっとありのままだったんだね)
人の身に限界があるのは百も承知。それでも神の領域に入るような行動を起こすくらい、彼女は人間界を愛している。
(美しい)
布団の中で長い髪は乱れて、髪飾りは取れかけている。目の曇りが晴れたガゼットには、そんな姿も素敵だと思えた。すると、ひとつ気になる所が出てきた。
「リーレンは俺以上に冒険者だな。人間って自覚があって安心したけど……それなら、やはりこれは必要なかったんじゃないかな」
花を模した布の髪飾りは、かつてアイナンカルデが身につけていたものに似せて、ガゼットが作ったものだ。転生後、再会して渡した時、リーレンはこれが標になると言った。
ガゼットがそっと持ち上げた髪飾りに、まだ少し震えている指先が重なる。
「いいえ。これは、あの頃のものと違う。あなたがくれたものだから」
するりと外して掌に収めると、大事そうに握りしめた。
「堅い事を言って受け取ったけれど、あとからどんどん嬉しくなったの。手放せないわ」
話すことで、リーレンは落ち着いてきた。布団に包まれて温かいから、気が抜けたのかもしれない。
「喜んでもらえたなら、よかった」
微笑むガゼットは、内心では髪飾りに焼きもちを焼いた。少年の頃から、何度も失敗しながら完成させたのだから、思い入れのある品だ。ただ、どうせなら作った本人も拠り所としてほしい。今はそのために、ここにいるのだ。腕に力を込め、改めてリーレンを抱きしめる。
「こんな風に、色んなことを話したいな。……本当は、弱音を吐いたっていいんだ。何でも抱えて歩ける程、生き物は丈夫じゃない」
ガゼットが知りたいのは、現在の詳しい状況や、神界の肥大が限界を迎えるまでの刻限ではなく、リーレン自身のことだ。
「目的地まで行けるように、たまには休憩しようよ。俺の隣で」
はちきれる程に溜め込んで、今日のようになるなら本末転倒だと、ガゼットの言いたいことが腑に落ちてきた。彼に体をあずけ、リーレンはちょっと勇気を振り絞る。
「じゃあ……ひとつ、お願い」
「なんだい?」
「今夜、眠るとき……手を、握っていて」
まだ、不安を言ったら折れてしまいそうだから、これが精一杯の甘えだった。
小さな声に、ガゼットはくすりと笑う。
「いいよ。随分ささやかな願いだね」
その夜、二人はひとつのベッドで向かい合って横になっていた。ガゼットの掌に乗るリーレンの手は一回り小さい。細い指と、今までより幼い印象の寝顔を見るともなく見て、赤い瞳は閉じることをためらう。
人間の手は、ただ温もりだけを互いに伝える。簡単に心を通じ合わせることは出来ないけれど、弱々しく手を握り返すリーレンの気持ちが、少しは分かるような気がした。
(君は、自分で道を選び始めたばかりだ……不安で、それを二十年も背負ってきて、でも)
かつて月光に白く照らされた柔らかな手と違い、リーレンの手にはまめの跡や、棒術の訓練による硬さが感じられた。
(戦っていくんだね。人の世界のために)
コンスリンクトは魔術師の町。術を国同士の争いに利用されないよう、町を出て下山するのは禁忌だと聞いた。故郷を飛び出した後ろめたさもまた、彼女を必死にさせているのかもしれない。
「……」
微かな寝言が聞こえて、目を丸くした後ガゼットは微笑む。
(こうして眠っていて、気は張れないよな)
リーレンは、変わらず自由に生きる彼の名を呼んでいた。




