④
翌日にはテイタテイト王都を発ち、二人は参詣道から神殿方面へ進むことにした。神殿までの間に、大きな穴があるからだ。神殿を経由して自由国境地帯に降りた付近の穴と、北に足を伸ばして半島にある穴も封印した。
「いくつか、穴を回ったが。世界の様子は変わったかい?」
「少しは……神界の肥大が遅くなったわね」
導管知覚はどんどん研ぎ澄まされ、特に世界への影響が強い穴と、そうでないものとを、近付かなくても把握できるようになってきた。迷いなく行き先を決めて進むリーレンは、言葉の割に表情が暗い。
「ポリアンサ方面に……傾き始めたかしら」
町から離れた森の中、一度足を止めて目を閉じ、ほどなく説明を付け足した。
「この先で調整していけば、一時しのげるはずよ」
「そうか。コンスリンクトの方には調整が必要な穴はないかい? ポリアンサからだと、海流の関係で向こうに船では回れないんだ。戻るなら今の内だと思う」
現在地は、自由国境地帯北部の半島だ。少し西へ進めばテイタテイト領に戻れる。ガゼットの提案に、リーレンは考え込む。
(肥大が遅くなっても人間界にかかる負荷が減るわけではない。更に穴を絞って、養分を跳ね返せばこちらも肥大して……バランスが取れるかしら)
コンスリンクト方面にも、まだ穴はある。旅に出た時は封印する自信のなかった、最初の穴より大きなものだ。ポリアンサとは山岳を挟んだ位置関係で、距離感は近いので、今の傾きを直すにも効果がありそうだ。
「回る順番をもっと考慮すべきだったわね、ごめんなさい。コンスリンクトの穴を先に封印しましょう。遠回りになるけど構わない?」
目線が下がっていたリーレンは、問いかけとともにガゼットを見ると驚いた。いつの間にか剣を抜いている。
「いいよ。俺の目的地は君の隣だからね」
声の調子を全く変えずに、ガゼットはリーレンの手をとって自分の方へ引き寄せ、すれ違うように剣を突き出す。彼女の背後から迫っていた不純物は、ひと突きで倒れた。
「立ち話がすぎたな。行き先も決まったことだし、動こう」
「ええ……ありがとう」
自らも武器を手にし、集まってきた不純物に相対するリーレンの頬は、少し赤くなっていた。木々の影が長くなり始めたとはいえ、まだ夕日の時間ではない。
(ガゼットの言うことには、どきりとすることがあるのよ。色々な意味で)
以前から、彼の台詞はときに気障で、意を汲み取れないことがある。言ったままなのかもしれないが、それを素直に受け取るのは難しい。だからリーレンは、顔がほてるのは不純物への警戒を怠ったのが恥ずかしいからだと思い込む事にした。
森の中には、神殿へ参る人の休憩のためにできた小さな村がある。この日はそこで休む。酒場や食事処、それでなければほとんどが宿屋の村だ。今は神殿に関わる特別な行事のない時期なので、無事に二人部屋がとれた。個室や二人部屋が数カ所と、雑魚寝の大部屋がひとつの宿で、後者の宿泊者らしい客が廊下でちらほら立ち話をしている。その間を通ってあてがわれた部屋へ向かう。
「いいね、なかなか順調じゃないか」
軽い足取りで前を行くガゼットは、鼻歌でも出てきそうな明るい口調で呟いた。それがなぜか癪で、リーレンは喉の奥がむずがゆい。
「どこが順調なの? 私が先を見越していれば、回り道せずに済んだのよ」
言うつもりはなかったのに、抑える間もなく言葉が出ていた。体が震えて、黙っていられない。
「本当に全て上手くいっていれば、今頃……目的地に着いているわ」
声が小さくても、刺を持った言葉は他の宿泊客の耳に入る。ガゼットが振り向いたことで歩みが止まり、ぴりりとした空気の中で二人に注目が集まった。
「自分で蒸し返すのかい? 俺は気にしてないよ」
「あなたには些細なことでも、私はそうはいかないの」
両手で服の裾を握りしめ、うつむく面持ちは悲痛なものだ。床を踏む足の先まで力を入れて、なんとか震えを止めようとするけれど、視界が小刻みに揺れている。
(だめ、止まらない……ここから逃げたい、でも動けない。息が……苦しい)
「そんなに思い詰めるな、時間は進むばっかりなんだから」
微笑みや肩に置かれる手は、何の薬にもならなかった。
「当たり前よ!」
ガゼットの手を払いのけて、リーレンはつい声が大きくなる。
「時間は戻らないわ、行いは消せないし状況はコロコロ変わる。いくら頑張っても、無駄だとさえ思えてくる」
心の中で、糸がぷつぷつ切れていく。最後の糸が切れる時、公の場で言ってはまずいことが溢れてしまうのではないか──冷静に自分を見る目はすぐに消えてしまった。だんだん、リーレンは自分が何を言っているかわからなくなってきた。
「正しいと思って進んでいるのに。私がやらなくてはならないのに」
「また一人で背負い込む。言ったろ、俺が隣に」
「あなたがいても! 私の不安は私のものよ。あなたには分からない、分かりようが、ない……っ」
瞬間、頬を温かいものが伝う。涙を流しているのだと気付いた時、揺らいでいた視界が砂嵐にさらわれて真っ暗になった。ひどく寒い。
糸の切れた人形は動かない。ただ、床にくずおれるだけだ。




