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テイタテイトの王都は、大陸の中央にそびえる山に連なる、山岳地帯にある。そこから上は険しい岩場なので、大穴がある山頂までは行けないが、近付くことで大穴の状態を知る機会になりそうだ。道すがら立ち寄った下降流の穴は、それ以上拡張できるものではなく、術をかけずに通り過ぎた。
神殿が近いこともあり、信心深い傾向にあるという町は、テタと比べて静かに感じる。豊富な石材による統一した色彩の建物が並んでいた。広場のシンボルや噴水の装飾に彫刻が施されているが、やはり石の色なので強く目を引くものではない。
「整った町ね」
「ああ、ここは歴史が深い町さ。自由国境地帯の神殿まで参詣道が通ってるから、訪れる人も結構信仰熱心だ」
神界にいた頃から、幾らか人間界の地理や国のことは知っていたが、直に触れるとまた違う印象を受けた。テタは海運路の開拓に熱心ということもあり活気に溢れていて、王都は町の在り方を既に見つけて落ち着いている。同じ国でも、町によって随分と違いがあった。
少し散策してから、ガゼットはリーレンをステンドグラスが目立つ建物に案内した。町で唯一、様々な色彩を持つ建物だ。
「礼拝堂? 参詣道が通っていても立派なものを作るのね」
「年をとって、神殿に行くのが厳しくなっても祈りたいのさ。そら、もうすぐ出てくるよ」
ガゼットの目線を追って礼拝堂の出入り口を見ると、年老いた男性が祈りを終えて出てくる所だった。
「え……彼は」
リーレンは手で口を覆う。皺が畳まれて顔が変わっていても、間違えるはずがない。魔力の質がかつて堕神の刑を受けた神だと示していたし、コンスリンクトの外にしては、持っている魔力量が多い。彼は本当に人間なのか?
「やっぱり、そうか」
溜め息まじりの呟きに、ガゼットは言葉を続ける。
「彼だけじゃない。世界を回るうちに、何人か同じような人を見たよ」
「記憶は?」
「ないだろう」
のろのろと杖をついて歩く背中を見つめて、リーレンの口は開きかけ、また閉じる。やっと発した声は掠れて小さかった。
「もし思い出せれば……」
彼女がどういうつもりでそんな事を言うのかわからなかったが、この町で詳しい話をすれば、誰の耳に入るか。
「何か、新しく分かる事があるかしら」
言葉の終わりに向けて消え入った声に、ガゼットは眉をひそめる。
(確かに、二人の記憶だけじゃ世界の全ては見えないけど。思い出すのは彼にとって不幸なんじゃないか?)
主神の意図や神界の状況が掴めていない今、情報は貴重だ。老人に話を聞くのは有効な手段だろうが、他にも考えるべきことがある。
「俺は、知らない方がいいこともあると思うね」
「だって、彼は、ああして祈り続けているんでしょう」
悲しげに目を細めるリーレンは、効率の次も考えてはいたようだ。背伸びしてガゼットの耳に口を寄せる。
「自分を地に落とした者にこの世の幸福を祈るのは、不本意じゃなくて?」
堕神の罰は、人間としての生が終わるとき、記憶が戻ることにあるという。真実を知ることで祈りを止められれば、少しは老人を救えるのではないかと、リーレンは言っているのだ。
だが、ガゼットは首を横に振った。
「だから、さ。真実は彼の人生を否定するかもしれない」
神から人へ繋がる長い生でなく、人としての生を指しての答えだった。
「生きてみてわかったけれど、結構、いつ死ぬかわからないものだ。果たして、あの術はそこまで組み込み済みかな?」
これにはすぐ言葉を返せず、長い睫毛を伏せる。堕神に立ち会いはしたが、術の切れる時どうなるか、正確なことはリーレンも知らない。神々の対極が嘘であったように、記憶の改竄、そもそも罪を裁く法典だって疑わしい。
「……何とも言えないわね」
老人の前に姿を現し、記憶を呼び起こすのはやめた。ガゼットに従ったのではなく、どちらが先の短い命にとって幸せなのか、リーレンにはわからなかったのだ。
(形容するなら、私達は生まれつき前世を知る者。彼は違う。記憶が戻った時、心にかかる負担は比較にならない……かも、しれない)
自分で考え、思いやり、行動を決めるのは難しい。リーレンは迷いを溶かすように、もう大分遠くなった老人の背中越しに夕日を見た。
その日、宿の部屋に入っても、まだリーレンは悩んでいた。たまたま角部屋をあてがわれたので、隣に部屋のない方に置いてある、テーブルセットに腰を下ろす。
「幸福って……なんなのかしら」
剣の手入れをしていたガゼットは、つい零れた声を聞いて手が止まる。
「人それぞれだよ。彼のことを考えているのか」
「ええ。より幸福なのはどちらかなんて、想像するしかない。どうするのが正解か、答えはあるの?」
「それも、人によってだと俺は思う。自分に置き換えて考えるか、その人自身をよく想像するか……いずれにしても失敗するまで正解はわからないだろう?」
確かにそうだ。記憶を戻さなければよかった、あるいは戻せばよかったと、老人が後悔することでしか答えは出ない。
「俺だったら、記憶がなければもっと呑気に生きてるさ。今は今で楽しめるから、甲乙付けがたいけどね」
再び剣に目を落とし、手入れの続きをするガゼット。彼を見るリーレンの目は、冷ややかなものに変わっていった。
(なんてことを。今を楽しむですって?)
具体的に現状を説明しても、やはりガゼットは理解していないようだ。彼の心構えは、何も知らずに各地を駆け回る、人間の冒険者とおおよそ同じなのではないか。神の記憶を持ち、世界の異常に触れているくせに。
「……あなた、十二分に呑気だわ」
低い呟きを残して、リーレンは席を外す。ささくれ立った神経で向き合う前に、少し頭を冷やしたい。ガゼットが顔を上げたとき、リーレンは既に部屋の外に出ていた。




