③
長い道程になりそうだ。日の暮れた今は、まず必要なのは休息だった。焚き火を前に座っていると、リーレンは星を眺める間もなく瞼が重くなってきた。
いつしか視界は真っ暗になっていたが、耳に届く音がある。声……と言ったほうが正しいだろうか。まともに働くのは聴覚だけなのに、ふわふわした感覚の中で目を閉じているのがわかる。
(ああ、私は夢を見ているのね。誰? 語りかけるのは)
山で倒した守護者に似た、低い声。よく聴こうとすると、だんだん知ったものに思えてきた。
(ヴィンツェスター?)
長く仕えた主を思い出し、ぞくりとする。
「逃れられるつもりか?」
声を引き金に、凄惨な像が浮かんだ。世界が壊れる時、どんなに手を伸ばしても、また、ガゼットに手が届かない未来。
(……こんな夢!)
リーレンは強く拒否した。もしかして、目を覚ましたら一人なのではないかという不安を押しのけ、身を起こす。
焚き火が、穏やかな風に揺れていた。
「あ……ごめんなさい、眠っていたのね」
隣に座るガゼットの肩にもたれていたようだ。
「構わないよ。疲れているんだろう? それより、少しうなされていたけど」
「ううん、大丈夫。変な夢を見たけれど、それこそ疲れが見せた幻だわ」
リーレンは、ガゼットと火の番を代わることにした。彼は旅慣れているだけあって、すぐに寝付いた。焚き火とガゼットの寝顔を交互に見ながら朝を待つ。
(恐らく、彼はまだ記憶を改竄されたまま。町が近くなる前に、思い出すきっかけを作った方がよさそうね……共に、来てくれるのだから)
時々、神界を隠す雲を睨んだ。彼の者の深い業を、止める事はできるだろうか。
翌日はテイタテイト方面を目指しながら、色々な話をした。時折、不純物が現れるものの、二人にとって大した敵ではない。
「そうだ。コンスリンクトに人里があることは誰も知らないよ」
「ああ、だから人喰いの山なのね。慰霊碑のようなものが麓にあったわ」
町の名も存在も、晒せば無用に注目を集めるし、山に乗り込む冒険者が増えるかもしれない。人喰いの山から来たとなれば、リーレン自身が質問攻めにされるだろう。テイタテイトに入ってからは、隠した方が無難そうだ。
「あの場所に行って帰れた奴はいないからな。何か障害になるものがあるのか……降りてくるの、大変だったろう?」
「不純物を集めて、強力な守護者を作る装置があったわ。恐らく神界がもたらしたものよ」
「ああ、似たようなものを郊外戦で使っていたっけ」
ガゼットが思い出すのは、魔術を集めて二体の像から増幅して発射する装置だ。そうやって前世のことを考えても、自由神になる前のことは呼び起こされない。
「魔術が国同士の争いに使われることを嫌って、あの場所に魔術師を隔離しているの。旅の中で、魔術師は見かけなかったのではないかしら」
「装置は神サマのプレゼント、か。ほとんど世界中まわったけど、確かに魔術は見なかった。昨日の火柱が初めてさ」
「そう、昨日の話だけれど……神話でいう、創世記の頃のことは覚えている?」
「それが、考えてみたけど曖昧でね。すぐ答えられなかったのはそのせいだ。何しろ、随分と昔のことだから」
硬い赤毛を掻いているガゼットを見て小さく息をつき、リーレンはかいつまんで説明してみた。
「ヤクシャナマイカが大地を割った。壊れた世界をヴィンツェスターが修復し、穴で繋ぎあわせてひとつに戻した。それから、ヤクシャナマイカ側とヴィンツェスター側に分かれて争った……」
「ああ、そうだった」
「いいえ」
「へ?」
リーレンが首を横に振るので、ガゼットは目を丸くする。
「今のは、神話の創世記。フィエネが著したもので、書き換えられた、私達の嘘の記憶よ」
深い緑の瞳は澄んで、真実を訴える。今から話すことはすぐに信じなくていいと前置きして、リーレンは本来の歴史を語った。
神々の中で何人が、その時代から生きているだろう。高位神でも、創世後に生まれた者がいるくらいだ。人間と比べて寿命が長く、術等の力を持つ種族が「神」を名乗り始めた。当時、世界には様々な種族が混在し、国という共同体は持っていたものの、争いと分裂、統合を繰り返していた。それを明確な力の差で区分し、住み分けることで争いをなくそうとしたのだ。
平和。聞こえのいい結末で隠すのは野心。世界の再構成を実行したのは、支配欲に駆られた神族だった。こうして現在まで続く三層の世界が出来あがる。最も力のある者達は「賢人」を名乗って天界に住み、神を統べる立場を取った。「神族」が神界に住み、人間達を統べる。皆の幸福感や自然に流れ出す魔力が養分となり、世界を循環した。
神話において悪役として描かれたヤクシャナマイカは、世界の分割は共生に繋がらないと主張した者だった。賢人の後ろ盾を得たのは、彼らに同調したヴィンツェスターで、主神の地位を得て今に至るのだ。
「しかし……神界にいた頃、誰も賢人を崇めちゃいなかったぞ」
「存在自体、記憶から消されているもの。皆、天界には誰も住んでいないと思っているわ」
「ネーブルサニアの改竄術か。主神の主導だよな……ただ、目的が見えない」
話の辻褄は合うが、ガゼットはなかなか真実を思い出せない。元より魔力が低いぶん、強固に術がかかっているのだろう。
「これは想像だけど、最終的に主神は全世界を掌握したいのよ。敬意や信仰の向く頂点を自分にして、賢人を怒らせたんでしょう」
「大規模なケンカを売ったもんだ。神界の肥大は戦力を蓄えるためなのかな?」
「そうかもしれないし……違うかもしれないわ。天界への穴が絞られているの。それが賢人の仕業だとしたら、もうケンカは始まっている」
標高の高いコンスリンクトにいても、穴が天界と神界のどちらから絞られているかはわからなかった。もっと言えば、自然現象か故意であるかもだ。
「穏やかじゃないね。ああ、どうやらこの場所も騒がしい」
話の途中でも、不純物はおかまい無しだ。まだ町が遠い場所、いくつか獰猛なうなり声が近付いている。ガゼットは剣を抜いた。腕前は健在で、飛びかかる四足獣型の不純物を次々に切り捨てる。背中合わせに立ったリーレンは、数をさばけないものの棒の打撃で応戦している。万が一、冒険者などに見られても怪しまれぬように術は控えた。足りない力は魔力を付加して補う。
彼女が不純物を倒す度に、ガゼットは耳鳴りがした。はじめは気のせいと思っていたのだが、獣の爪と剣がかち合う音とは違う高音が耳の奥に響くのだ。
(強い魔力に触れるのが、久しぶりだからか?)
ひと段落するまで不覚をとることはなかったが、静かになった平原で、ガゼットは普段より息を乱していた。
「ふー。危ない、危ない」
地面や草に闇色のシミがつき、少しずつ蒸発している。すぐに自然な色を取り戻すだろうが、一時的にこの場を染めたシミの量は、不純物の多さを物語っていた。
「ガゼット、怪我をしているわ」
「……ああ、思ったより数が多かったね」
汗を拭うつもりで額に手の甲を滑らせたら、額に血が付いてしまった。浅いが、爪を食らっていたらしい。それを見てリーレンはガゼットの手をとり、傷を指先でなでた。すると、跡形もなく塞がる。
「驚いた。魔力の光を出さないで、治癒ができるんだ。ありがとう」
「ふふ、私、白兵戦では力になれないもの。このくらい当然よ」
かつての、凛々しさを緩めた涼やかな微笑みと違い、今のリーレンは甘い香を放つスイセンを思わせた。
(でも、何か……?)
前を閉めずに羽織っている、革のベストで額の血を拭いながら、ガゼットは考え込んだ。素手同士が触れても、心の内が共有されることはない。きっとリーレンも体は人間になったのだろう。心も幾分、この二十数年で変化した。
(やはり、まだ君は神に近い。俺に荷物を預けられるのは、創世記を思い出してから、か)
笑い返す表情に翳りを見て、リーレンは首を傾げた。
「大丈夫? どこか痛むの?」
「うーん、言われてみれば頭が痛いかな。何せ、術にふれるのが久々だ。すぐに慣れるさ」
指先で自分のこめかみを突ついた瞬間、ガゼットの脳裏に浮かぶ像があった。ヴィンツェスターとネーブルサニアに、術をかけられた瞬間だと思う。それは転生する時より、ずっと昔の記憶だ。
「こうして戦ううちに、ひょっとしたら記憶が戻るかもな」
仮定の言葉を口にしても、目は確信に満ちていた。ガゼットの記憶も、改竄の術が綻び出したのだと理解し、リーレンは頷いた。




