①
人喰いの山と噂される場所があった。グラオ平原の南、大陸の南端にある山のことだ。そこにコンスリンクトという町があることを、人間界に住む者のほとんどが知らない。未開の山は冒険者を惹き付け、最寄りの町であるテタには、自然と彼らが集まった。
「お前、あの光は何だったと思う?」
リーレンが町を封印した夜、冒険者達が術の光を目撃していた。酒場はどこの席も、その話でもちきりだ。
「さあ? なんだろうな」
窓越しに平原の方を見つめたままでいる赤毛の剣士が、素っ気なく答える。同業者は失笑した。
「何だ、興味ないのかよ」
「大ありさ。ちょっと行ってこようかな」
まるで酒を注文するような気軽さで言い、剣士は席を立つ。人喰いの山への中継地としてここに立ち寄る冒険者と同様、怖じ気づいて足踏みする者も多い所だから、話の聞こえた者は一様に目を丸くした。
「俺を喰ったって美味くないからな。きっと戻ってくるよ」
カウンターにお代を置いてから、笑って手を振る剣士。あとには、扉に付いたベルの音だけが残った。
補給を済ませ、平原へと踏み出す剣士は、髪の毛と似た赤い瞳をキラキラさせていた。
(緑がかった術の光……あれは封印術だ。君は、そこにいるのか?)
山の麓まで来て、リーレンは石の彫刻を見つけた。これはどうやら人間の手による作品だ。四角に近い形から、墓標のように思える。正面には鎮魂の言葉が刻まれていた。守護者に敗れた者、コンスリンクトに辿り着き、捕らえられ、戻らなかった者達のために作られたようだ。
「人喰いの山……ね」
故郷の言われように少し感傷的になったが、長めの瞬きをして気分を変える。ここからしばらく北に向かえば、目的の穴があるのだ。
コンスリンクト北の平原は、腰まで高さのある草が生い茂っていた。道ができるほどは、人の往来がないのだろう。おそらく不純物もいる。周囲を警戒しながら、導管知覚を頼りに進む。
日が傾く頃、西側が低い土地になった辺りに出た。草で隠れるようにして、黒と紫の渦が空間を歪めている。目的の穴だ。
(あったわ!)
瞬間、足取りが軽くなる。ここまで保ってきた警戒が緩んだ。
「えっ……」
その刹那、駆け足がもつれて倒れる。粘液状の不純物が、足首に絡み付いていた。穴の周囲には不純物が多い。思い出したところで、油断してしまった心はすぐに立て直せない。
(まずい、どんどん集まってくる)
新手によって、両足の自由を奪われた。締め付けられる足首よりも、転んだ拍子に草で切った指先が痛む。どこから湧いたのか、無数の不純物に取り囲まれていた。
(素手。素手でいる。今の私は人間……大した腕力はない、けど)
落ち着け。落ち着けば、こんな不純物は敵じゃない。草と土を握りしめ、リーレンは倒れたまま言葉を紡ぐ。先手を取れるか微妙な間合だが、やらなければやられるだけだ。
「焼き払え! リェッキ」
草原に火柱があがる。炎を発生させるだけの単純な術だが、自分を囲んだ不純物は蒸発させた。絡めとられた足首も、痛めてはいないようだ。リーレンはゆっくりと身を起こした。周りに、もう不純物の姿はないだろうか。
「誰かいるのか?」
不意に、男の声がした。火柱を見た冒険者でもいたのだろうか。聞き覚えがある気がして、声の方を見ようとするが、少しの間首が回せない。だって、まさか、こんなに早く彼が現れるなんて。
草を分けて、誰かが来る。リーレンは、窮地で荒くなった呼吸を整えようと深呼吸して、立ち上がりながら声の主を見る。赤い髪を揺らして走る剣士がいた。リーレンの姿を見て目を輝かせる。
(ああ……間違いない)
感情がこみ上げてくる。無邪気な笑顔が懐かしい。
「ヤヌクス!」
彼の胸に飛び込むと、しっかり抱きとめてくれた。髪に、背中に温かい掌を感じる。言いたいことは沢山あったはずだが、リーレンはしばらく腕の中で泣いていた。




