④
今、コンスリンクトは時間が止まっている。封印術を町全体にかけたのだ。穴の調整に使う術式は実践してみないと精度がわからないが、使い慣れた術式なら、もう神であった頃と同じく扱えるようになった。
「……いってきます」
誰にも聞こえないとわかっているから、リーレンは一言つぶやいた。町から森へと踏み出す時に、いつか帰れたらという淡い希望を胸中に押し込める。
(リーレンという人間を、半分は演じる気分でいたけれど。ここで過ごした時間は……私自身のものだったのね)
感傷にも気付かぬ振りをして、森の奥へ進んだ。ここから北側へ回っていけば、洞窟を通って山の中腹に出られるはずだ。
散歩で歩いた範囲の外をしばらく歩くと、ひやりとした空気を感じるとともに洞窟を見つけた。中は真っ暗で、夜目が利いても視界が悪すぎる。おまけに不純物の気配もあった。リーレンは武器である組み立て式の棒を取り出し、ひとつ深呼吸をする。
「ヴァロ」
短い言葉で指先に生じた光が棒の先端に移り、柔らかく辺りを照らす。この程度の魔術なら大した消耗はないし、火を使うより照明として確実だ。リーレンは洞窟へと足を踏み入れた。
どこからか、水滴が地面を穿つ音がする。時折襲いかかってくるコウモリ型の不純物は、魔術の光を瞬間的に強めて追い払う。足下の大きな鼠型のものは、なぜかリーレンに構わずどこかを目指して駆けていった。
(引き寄せられている? ならば、不純物排出口とは違う)
鼠達の行く先がいやに気になる。風の流れから察するに、その方向に向かって洞窟は徐々に下る。出口もあるだろう。
ここは、稀にコンスリンクトを訪れる、冒険者も通った道。彼らの中に生きて山を降りた者はいないから、洞窟の中に何が待ち構えているかは不明だ。
(でも、彼らは登ってきた。その事実だけで充分よ)
鼠の後を追って、リーレンは冷たい石の地面を進んだ。そのうち、湿っぽかった空気に変化を感じ、足を止める。凝らした目線の先には、不自然に平らな岩盤と、その中心に見覚えのある一対の灯火があった。岩盤の周囲は崩落したのか、底の見えない闇になっている。こちらから岩盤までは階段状の足場になっているから、これは明らかに作られた場所だ。
(先人が作った、というよりは……外界との隔絶を神に願った、コンスリンクトの昔話に重なるわ。神がもたらした、外界との間の壁)
リーレンは、階段を降りる前にしばし考えた。こんな場所に、燃え続ける明かりがあるのは不自然だ。レリーフを施した石柱の上に浮かぶのは火に見えるが、燃料もなくどうやって燃えているのか。神界に居た頃、似たような仕掛けを見たことがあった。レリーフに駆け寄っては姿を消す鼠型の不純物を見ていると、より詳しくどんな仕掛けなのか想像できた。
(町を出て、それなりに時間が経った。今なら術を解いても問題なさそうね)
夜明けには早いが、外ならば明るくなり始めた時刻であろうか。万が一に備えて、リーレンはコンスリンクトの封印を解くことにした。仕掛けは、恐らく不純物を集約して強力なものを作り出す。さしずめ、コンスリンクトの守護者といったところだ。封印に気を取られて戦うのは危険に思えた。
町の時間が動き始め、人々はリーレンがいたはずの場所に目を凝らす。彼女はこつ然と姿を消していた。誰かが発した「探せ」の声で、町、そして森へと人が散る。しかし、すぐに様子がおかしいと気付いた。夜が深まる時間だったはずが、空が白んできたのだ。
(我々は、立ったまま眠っていたとでもいうのか?)
状況が飲み込めず、リーレンの母親はその場に座り込んでいる。その身を支える父親も、呆然と娘の立っていた場所を見つめた。捜索の手に加わらず、セオタスも立ち尽くしていた。リーレンがどんな術を使ったのかは分からないが、近くにはいないだろう。長老は連れ戻すのを諦め、皆に捜索をやめるよう指示を出した。
「もういい……いかにリーレンが優れた術士でも、守護者には勝てないだろう」




