氷姫
「『ラヴィーネ・スティーリア』……!」
「ええ」
窮地を救ってくれた青銀色の髪の美女の姿を見た夜光が思わずその名前を口にすると、青銀髪の美女――「ラヴィーネ・スティーリア」は照れた様な表情で答える。
(やっぱりそうだ!)
「ラヴィーネ・スティーリア」は、夜光でもその名前を知っている有名なWTuberだ。
WTuberの中でも特に大きなパーティに所属し、自身の配信チャンネルの登録者数は二百万人を超え、WTuberでも数パーセントしかいない上位帯に名を連ねる人物の一人だ。
ちなみに、「ラヴィーネ・スティーリア」という名前だが、その中身は生粋の日本人であることが本人の口から告げられている。
「そういうあなたは、見ない顔ね……新人?」
「あ、はい。今日が初めてで」
小さく咳ばらいをして話を戻したスティーリアは、夜光の姿をまじまじと見て尋ねる。
WTuberは世界に数万人も存在しているが、名前と顔の認知度は百人ほどに限られている。
長く活動していても名前や顔を知らないことなど珍しくもないため、そのような自信のない聞き方になったことは明らかだった。
「そう。ついていなかったわね……いえ、見方によっては美味しいのかしら?」
「そうかもしれませんね」
初日からウルフの群れに追いかけられ、ラヴィーネ・スティーリアに助けられるというシチュエーションは、配信内容としては中々劇的と言えるだろう。
「WTuberは人数も多いし、同じようなことをしている絵になりがちだから、いかに差別化をするのかは大事よ。
もしかしたらあなたはWTuberとしての運に恵まれているのかもしれないわ」
「だといいんですけど……ところでお一人なんですか?」
スティーリアの言葉に苦笑を浮かべた夜光は、ふと思い至って周囲を見回す。
桂香に勧められたように、WTuberはよほどの変わり者でない限りは「パーティ」と呼ばれる複数人以上の仲間で作られた集団で活動している。
スティーリアが所属している「LIVEALIVE」というパーティは、WTuber界の一大勢力として知られている。
そのメンバーであるスティーリアが一人でここにいることに夜光は疑問を覚えていた。
「ええ。まだ配信前なの。いつも少し先に入って実戦訓練をしているのよ。あなたは、まだパーティは組んでいないの?」
「そうです。まだWTuberを始めたばかりなんで」
すでにウルフに倒されてしまったWTuberがいないことをたしかめたスティーリアは、夜光へと視線を向けてわずかに瞳を動かす。
本人の意識の中にしか表示されない画面を見る時特有の瞳の動きを見せたスティーリアは、おもむろに目を止めて口を開く。
「あ、あった。えっと……『かつては光の騎士だったが、ある事件がきっかけで離反した。それにより光の力は黒く染まり、今は何者にも縛られずに放浪している』」
「あ、それ俺のプロフィールですね」
スティーリアの口から紡がれる言葉に、夜光は声を零す。
「夜光」という魔動体に冒険者ギルドが用意した設定を読み上げられたスティーリアは、その視線を向けておもむろに呟く。
「ええ。見たところ、あまりロールプレイをしている様子はないわね」
「ハハ、そうですね」
(お任せで作ってもらったら、こうなっただけなんだよな……ま、さすがに配信でそんなことは言えないけど)
スティーリアの率直な意見に、夜光は曖昧な笑みと共に言葉を濁す。
魔動体のデザインや設定は、ある程度要望を聞かれた上で冒険者ギルドが依頼して作られる。
夜光――悠星はそこを冒険者ギルドに任せたために、闇に染まった光の騎士という設定で作られたのだ。
ちなみに余談ではあるが、夜光が光属性の魔法を使う際に黒い光となっているのは、その設定のためにエフェクト処理によって着色されているからだ。
WTuberの中には魔動体のデザインと設定にこだわる者の方が多いため、スティーリアはこんな設定をしている夜光がロールプレイをしていないことに違和感を覚えたのだろう。
「まあ、それは人それぞれよね。ごめんなさい。私はそろそろ配信の時間だから行くわね。また、何かの縁があったら会いましょう、夜光君」
「ありがとうございました」
そう言って現実の世界では想像できないほどの軽やかな動きで森の奥へと消えていったスティーリアの姿を見送り、夜光は思わず笑みを零す。
余談ではあるが、後に時のこの切り抜きがネットに上げられて一時話題となったのだが、この時の夜光にはそんなことは知る由もなかった。
「ふう……」
そのまま二時間ほど異世界に滞在したところで初日の配信を終えた夜光は、現実世界へと帰還して深く息を吐く。
『お疲れさまでした。本日夜光さんが獲得されたものはこちらで査定し、後日報酬が払われます』
それと同時に夜光――悠星のスマホが音を発し、マネージャーでもある桂香からの連絡が入る。
「了解です、と」
その内容を確認した悠星は、それに返信するとゆっくり立ち上がる。
長時間異世界にダイブし、意識の離れていた身体を動かして固まっていた筋肉をほぐした悠星は、今日の配信で最も記憶に残っている出来事を思い返す。
「すごかったな。魔動体を完全に使いこなしてた……俺も、もっと上手に魔法を使えるようにならないと、パーティにも入れないな」
悠星の脳裏に甦るのは、ラヴィーネ・スティーリアとの出会いと、その魔法戦闘だった。
魔動体は冒険者ギルドに管理され、常に最新状態にアップデートされている。
つまり、全ての魔動体が属性の違いや得手不得手こそあれど、ほぼ同じ性能を持っている。
だというのに、スティーリアの能力は悠星の扱う夜光のそれをはるかに凌駕していた。それはひとえに経験――魔動体の習熟度が違うということだ。
「にしても、スティーリアさんは、配信前に入って練習してたんだな。やっぱ、人気の人はみんな影で努力してるんだな。
俺もWTuberとしてやっていくなら、そのくらいのことはしないと生きていけないんだろうな」
配信の前に異世界にダイブし、練習をしていたというスティーリアの話を思い返し、悠星は思わず独り言ちる。
WTuberも数が増え、異世界での活動が行われてきたことで、本来の目的である異世界の探索やモンスターとの戦闘の難易度が高くなってきている。
初心者には厳しい話だが、そこについていける努力をしなければWTuberとして大成することは困難を極めるだろう――もっとも、悠星にとってはまずこのWTuberを本業とするかどうかの方が問題だが。
「『LIVEALIVE』……異世界での暮らしをライブするWTuberパーティ、か」
窮地を救われたということもあるのだろうが、瞳に焼き付いて離れないスティーリアの美しさに導かれるようにパソコンを操作した悠星は、彼女が所属するパーティのホームページを開く。
スティーリア――「ラヴィーネ・スティーリア」が所属する「LIVEALIVE」は、登録者人数、所属するWTuberの人数、閲覧数、案件数などの全ての項目において冒険者ギルド内で一、二を争うほどのパーティだ。
WTuberは世界中にいるため、多様な国籍のメンバーが所属しているが、元は日本生まれのパーティである。
その名前である「LIVEALIVE」は、異世界で生きていく、その様子をライブ(配信)などという意味に加え、日本語で発音した時に、配信者を意味する「ライバー」ライブと聞こえる、いわゆる言葉遊びの意味も含まれているらしい。
所属メンバーは全員が女性。いわゆるアイドル売りをしており、モンスターとの戦闘よりは異世界で可愛らしい女性陣が和気藹々としながらサバイバルや冒険をしたり、歌などを披露することで人気を博している。
視聴者にはいわゆる「ガチ恋」と呼ばれる人も多く、メンバーは登録者人数が軒並み百万人を超え、WTuberに詳しくない者でもどこかで顔を見たことがある程度には世間に認知されているほどの人気集団だ。
「また会えるかな」
そんなLIVEALIVEのホームページからラヴィーネ・スティーリアのメンバー紹介ページにとんだ悠星は、画面に映し出される青銀色の髪の美女を見て、思わず熱のこもった声を零していた。
その時、そんな感慨を打ち破るようにスマートフォンが音を鳴らし、悠星の意識を奪う。
「莉月か……もしもし」
画面に映し出された名前を見て、用件をおおよそ理解した悠星は、嘆息しつつもその電話に出る。
『お兄ちゃん、配信見たよ』
「ああ」
『ダサかったね』
「ほっとけ」
案の定というべきか予想通りというべきか、容赦のない妹からの評価に、少なくとも否定できない程度の自覚がある悠星は顔をしかめるしかなかった。
『ドンマイ。初めての配信なんだからあんなものだよ。ねぇねぇ! そんなことより、ラヴ様と連絡先を交換したりしたの?』
「ラヴ様?」
そんな悠星の心情を察したわけではないだろうが、取ってつけたような慰めの言葉を発した莉月は、嬉々とした様子で質問を重ねる。
『知らないの? ラヴィーネ・スティーリアの愛称の一つだよ。ラヴ様とか、ラヴィちゃんとか。一応公式設定ではスティーリアの方が名前なんだけど、ラヴ様って可愛いでしょ? ってわけでファンの人とかちょっと詳しい人はラヴ様って呼ぶの。――で、連絡先は交換したの?』
「するわけないだろ? あのやり取りでなんでそんなことしてると思うんだよ」
早口でまくし立てるように言う妹の言葉を聞いた悠星は、ため息混じりの声で答える。
『私、ラヴ様の大ファンなんだよ! WTuberになれたらLIVEALIVEに入って、大人気アイドルになる予定だったんだから』
「そんなのしるか。話が終わったなら切るぞ」
スマホ越しに自分の叶わなかった夢を嬉々として語る妹に、悠星は呆れ果てた声で応じると、有無を言わさずに通話を終了する。
「さて、メシでも作るか」
そう言ってのびをした悠星の目には、自分一人しか住んでいない1LDKの一室が映っていた。
WTuberになってから、悠星は冒険者ギルドが所有しているアパートへ引っ越し、一人暮らしをしていた。
異世界へ意識をダイブさせる装置――ディメンションダイバー。通称「DD」は、冒険者ギルドの独占技術であり、そのシステムを解析せんとした者達によって一時期盗難が頻発した経緯がある。
そういった理由から、冒険者ギルドは自分達の管理するアパートやマンションをいくつか所有し、所属しているWTuberや職員を住まわせているのだ。
厳重なセキュリティに加え、同じWTuberの仲間もいることから安心で便利な暮らしを送ることができ、現在では相当な割合のWTuber達がこの施設を利用している。
悠星はその中で最も格が低く、家賃の安いアパートを借りているのだが、その理由はセキュリティというよりもネット回線の方だった。
WTuberの性質上、その冒険をネットで配信しなければならないが、実家の通信スペックがあまりよくなく、そういった基本的な部分が充実しているこちらを利用することにしたのだ。
元々いずれは一人暮らしをしてみたいと思っていたこともあり、悠星はとりあえず新鮮な生活を楽しむことにしていた。
「小早川さんからメールか」
『初配信お疲れ様です。最初の配信としてはよい内容だったと思います。何か困ったことや分からないことがあれば遠慮なく連絡してください。これからも活躍を期待しています』
冒険者ギルドでWTuber部門に所属し、自分の担当になったマネージャー――というほど大仰なものではないが――である桂香であるから送られてきたメールを呼んだ悠星は、その内容に思わず笑みを零す。
その内容がビジネス的な文言であることが分かっていても、偶然出会ったラヴィーネ・スティーリアが大きな影響を与えているとしても、単純に褒められることが嬉しいものだった。
「よし! とりあえず、これからしばらくは魔法の訓練だな。それからパーティに入って……」
そんな高揚感と共に、初配信の反省をしつつ、悠星はWTuber「夜光」として活動した最初の日を終えるのだった。