初配信と遭遇
「よし。じゃあ、初めての異世界探索に行きたいと思います」
これまでの記憶を思い返しながら、初めて降り立った異世界の空気を吸い込んだ悠星は、何もない空中に向かって意気込みを述べると歩き始める。
WTuberには、二つの視点が存在している。
一つは悠星――WTuber「夜光」の視点そのもの。
そしてもう一つが、配信用の第三者視点――魔動体を観測している冒険者ギルドのメインシステムによって映し出される夜光の姿であり、この視点がWTuberとしての夜光の活動の撮影と配信を行ってくれる。
この画角はWTuberを三百六十度全方位から録画できる自動調整だが、自分である程度画面の位置を操作することもでき、先ほど空中に向かって話しかけたのも、この画面に向かって話しかけたからだ。
(接続数五人か……ま、ソロで最初なんてこんなもんだろ)
そうして配信を開始した夜光は、自分にしか見えない画面の端に表示されたリアルタイムでこの配信を見てくれている人の数を確認して、予想通りの現実と一抹の期待が裏切られた落胆の入り混じった吐息を零す。
(有名なパーティに加入すれば、初配信で同接十万超えるっていうけど十万越えって何なんだよ――っていうか、パーティに加入するのはこっちから売り込まなきゃいけないとか、俺にはハードルが高すぎる!)
パーティでの加入を勧められてはいたが、そのパーティに加入するためには自分から売り込みにいくか、勧誘してもらうしかない。
だが、勧誘してもらえるようなつながりのない悠星は自分で売り込まなければならなかったのだが、結局二の足を踏んでしまい、今に至っていた。
(気を取り直して、しばらくはWTuberとしてのソロ活動を楽しむとするか。今後のことは少し慣れてから考えればいいし)
一瞬落ち込んでいた意識を改めて奮い立たせた夜光は、一面に自然が広がっているのどかな風景を見回す。
「やっぱ、折角だし魔法とか使ってみたいな。どこかに手頃な奴はいないもんか……」
折角魔動体を動かしているのだから、今のこの身体でしかできないことをやってみたいと考えた夜光は、適当な相手を探す。
この世界「インバース」には、地球では空想上の存在とされるような生物がモンスターと呼ばれて生息している。
口から火を噴き、魔法や様々な異能を持つモンスターは、人類の生存を脅かし、毎年多くの犠牲者を出している。
そういったモンスターと戦う姿を配信することこそ、WTuberを見る視聴者から最も人気を博していることだ。
そしてWTuberの初配信ではとりあえずモンスターとの戦闘を行うことが暗黙の了解――というよりも形式的な儀礼となっていた。
「お! 発見」
そうしていると、夜光は少し離れた場所に狼を彷彿とさせる生物の姿を見止める。
(データによると名前は「ウルフ」……人里から遠いとはいえ、こんなところで狼に出会うなんて、さすがは異世界ってところか)
WTuberが共有している冒険者ギルドの情報でそのモンスターが「ウルフ」という名前であることを確認した夜光は、精神を落ち着けてその姿を見据える。
そんな夜光の視線――あるいは敵意に気づいたらしいウルフは、逃げるどころか牙を剥き、敵意を露わにする。
「……っ」
眉間に皺をよせ、牙を剥き出しにしたウルフの姿に一瞬たじろいだ夜光だったが、改めて気を引き締めると、その腕の中に身の丈に及ぶ大剣を呼び出す。
魔動体のデザインに合わせて作られた専用の大剣を手にした夜光は、陽光に輝く漆黒の大剣をまるで小枝を振り回すように軽々と扱うことができた。
(おお。こんな大きな武器を持ってるのに全然重くない……これが魔動体の力なのか)
こんな大きな武器を振り回すなど生身では困難だろうが、魔動体である今の自分にはそれができることを確かめた夜光は、ウルフに向けて剣を構える。
「いくぞ!」
(身体の中から力が湧き上がってくる……!)
大剣の切っ先を向けた夜光が意識を集中し、自分の中に眠っている力を使おうとすると、それに応えるように身体の内側から光属性の力が湧き上がってくる。
この世界に満ちる魔素が魔動体である夜光に取り込まれ、魂の波長と一つになって心臓の鼓動と共に身体中を巡っていく。
夜光の持つ光の属性を帯びた魔素が一瞬で身体を満たし、身体能力と五感をそれに比例して強化、向上させて臨戦態勢を整える。
「うおおっ!」
身体の内から湧き上がってくる力を操り、大剣の斬撃に合わせてそれを解き放つと、イメージした通りに黒い光の刃がウルフに向かって宙を翔ける。
(すげえ! なんか出た!)
自身の斬撃に合わせて放たれた黒光の刃に感動する夜光だが、その攻撃はウルフの軽やかな動きによって軽々と回避されてしまう。
「躱された!?」
驚愕に目を瞠る夜光の視線の先では、黒光の斬撃が命中した地面が土煙を上げ、ウルフが風のような速度で襲い掛かってくる。
一直線ではなく左右に移動することで、狙いを着けさせないようにするウルフの動きに翻弄され、初めて戦う夜光は全く対応することができないままに距離を詰められてしまう。
「疾……っ」
その動きに狼狽える夜光に肉薄したウルフは、好戦的な唸り声を上げながら妖しい輝きを放つその牙で大剣を持つ腕に喰らいつく。
「痛っ!……く、ないな」
自身の腕に牙が食い込む感覚に反射的に声を上げてしまった夜光だったが、恐れていた痛みが襲って来ないことに思わず緊張感のない声を零してしまう。
魔動体は仮想の身体であり、夜光となっている悠星はその意識だけでそれを動かしている。
いわばゲームのキャラを操作しているようなものだ。ダメージを受けても感覚はあるが、痛みなどを感じるわけではない。その感覚も精々ゲーム機のコントローラーが振動した程度のものでしかない。
また、魔動体は仮に戦闘で破壊されても一定時間が経過すれば再度起動することができるため、実質不死身の肉体を得たのと同義になる。それこそが魔動体という仮初の肉体を使う最大のメリットなのだ。
「悪いな」
自身の腕に喰らいつくウルフに声をかけた夜光は、手のひらを向けて黒い光をその身体に直接打ち込む。
その衝撃にウルフが苦悶の声を上げると同時、腕に食い込んでいた牙が離れると、夜光はその隙を逃すことなく大剣を振るう。
「これで、とどめだ!」
漆黒の光を帯びた大剣が奔り、天空に黒い斬閃を刻み付けたと同時、ウルフの身体が真っ二つに両断され、血飛沫が吹き上がる。
「え……!?」
(グロっ! これが言われてたやつか)
その光景を見た夜光は、思わず目を瞠ってしまう。
魔動体という仮想の身体を用いているが、この世界はあくまで「異世界」であってゲームではない。
生物を切れば血が出て、内臓が零れるのは自明の理。
配信では冒険者ギルドによってフィルターがかけられるために生々しいスプラッタな映像はリアルタイムでマイルドに加工されているのだが、当事者であるWTuber自身はそうはいかない。自分が殺した生物の生々しい死に様を目の当たりにすることになってしまう。
「うぇ……みんなこんなことやってるのか……すげぇな。これが魔動体じゃなかったら、俺どうなってたか分からないな」
肉片と化し、生々しい死体となったウルフを見ながら、夜光は不快感と吐き気を堪えながら呟く。
いかにこの異世界が現実であるとはいえ、魔導科学によって作られた魔動体が全てをリアルに繁栄するわけではない。
攻撃を受けた際の痛みはもちろん、肉を切る感覚、死の恐怖、あるいは嘔吐感などといった情報や反応は軽減、あるいは遮断されており、一般市民に過ぎないWTuberの異世界での活動と戦闘を補助している。
夜光はウルフを殺したことで気分を悪くしているが、それはあくまで少々スプラッタな映画などを見ているような感覚に過ぎない。
この機能があるからこそ、WTuber達はモンスターと戦う恐怖や痛みに心を折られることなく異世界で活動し続けることができるのだ。
「で、モンスターを倒したら、後はストレージにしまうんだったよな」
異世界でWTuberとして活動していくということの現実を見せつけられた夜光は、意識の中で魔動体を操作して、ウルフの死体を魔法の収納――「ストレージ」へと入れる。
「ストレージ」とは、魔動体に備え付けられた収納空間のことであり、先程取り出した武器も普段はここに入れられている。
WTuberの仕事の一つである「異世界の物資の輸入」を行うため、魔動体に取り付けられている機能だ。
「ふう、とりあえず、どこかで一休みして……」
初めての戦いで精神的に激しく消耗した夜光が大きくため息を吐いた瞬間、周囲に広がる森がざわめき、繁みの中から新たなウルフが姿を見せる。
「え?」
しかも現れたウルフは一匹だけではなく、二匹、三匹と姿を見せ、気づけば十頭を超える狼が夜光に狙いを定めて周囲を取り囲んでいた。
「……うそ、なんで!?」
驚いて視界と共有された画面をスクロールし、ウルフというモンスターについて百科事典を開いた夜光の目が先程は見落としていた一つの項目で止まる。
「え? 『基本的に群れを成すモンスターで、仲間意識が強い。群れからはぐれた個体でない場合、群れ全体で襲われるので注意』……」
自身が見落としていた項目に目を滑らせた夜光は、そこに書かれている内容を理解して顔を青褪めさせる。
「あ……えっと……」
視線を激しく左右に泳がせながら顔を上げると、ウルフの群れはじわじわと距離を縮めてきており、今にも襲い掛からんとしていた。
ウルフの群れが今まさに自分に報復しようとしているのを見て取った夜光が乾いた笑みを零すのと同時、その中で一際大きな個体が咆哮を上げて襲い掛かってくる。
「けど、ちょっ、待って待って! それはないだろ!?」
いかにも多勢に無勢だと戦闘を放棄した夜光は迷うことなく逃走を選択するが、瞳に怒りを宿すウルフ達は、それを許さずに追走してくる。
その形状故か、魔動体である夜光よりも速く疾走するウルフ達は瞬く間にその間合いを詰め、今にもその牙を突き立てんとする。
「ひぃいいいいっ!」
(もうダメだ。こうなったら、もうヤケクソで戦うしかない!)
情けない悲鳴を上げて逃げていたものの、もはや逃げられないと判断した夜光は戦闘を選択し、ウルフ達を迎撃せんとする。
「そこの君。頭を下げて」
「え?」
大剣を取り出し、敗北覚悟でウルフと戦わんとしたその時、脳内に響いた声に夜光は目を丸くする。
瞬間、背後から地面を奔り抜けた白銀の氷柱が夜光の眼前に迫っていたウルフ達の群れを貫く。
地面から天に向かって生える無数の氷柱にウルフ達は貫かれ、悲鳴を上げる間すらなく体内から凍てついて絶命する。
しかし、その一撃で全てのウルフを倒すことができたわけではない。氷柱を回避したウルフ達は四方に散り、牙を剥き出して夜光に――否、夜光の背後にいる人物に怒りの視線を向けていた。
(この人……)
それにつられるように背後に視線を向けた夜光もまたその人物を見て思わず目を瞠る。
そこにいたのは、腰まで届く青色の強い銀色のストレートヘアを風になびかせる美女だった。
人形のように整った顔に、切れ長の目に抱かれる金色の双眸。その身に纏うのは、青と白を基調とした着物を洋服にアレンジしたような独特な衣装。
そしてその腰には日本刀を思わせる太刀を佩いており、凛々しくも流麗な立ち姿を見せるその美女は、静かな声音でウルフ達に語りかける。
「悪いわね。なんの恨みもないけれど、倒させてもらうわ」
ウルフ達に人間の言葉が分かるわけではないが、凛と響く声でそう告げた美女は、腰の太刀を抜いて地を蹴る。
一瞬にして最高速へと到達した美女は、その身から溢れだす冷気によって地面を凍らせ、まるでスケートをするように地面を滑り、矢のような速度で瞬く間にウルフ達に肉薄していた。
「はあッ!」
抑制された裂帛の声と共に振り抜かれた太刀の一閃が空に銀の軌跡を描いたかと思った次の瞬間、ウルフ達の身体が両断されると同時に凍りつく。
太刀を鞘に戻す小さな音と共に骨の髄まで凍り付いたウルフ達は粉々に砕け、氷の破片が陽光を受けて光を乱反射させる。
(すごい。それに――綺麗だ……)
煌めく氷の欠片の中に佇む青銀髪の美女の姿に夜光は見惚れる夜光は、その姿を目に焼き付けたまま言葉を失っていた。
「大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「気にしないで。ただの通りがかりだから」
戦闘を終えた美女に声をかけられ、我に返った夜光は慌てて感謝の言葉を述べると、素っ気ない態度をとるその女性の横顔を見ておもむろに呟く。
「『ラヴィーネ・スティーリア』……!」