神の祝呪
「魂がこちらにある? それは、どういう意味ですか?」
エルフの女性の口から告げられた言葉にスティーリアが困惑しながら尋ねる。
その視線を受けたエルフの女性は、おもむろに姿勢を正し、胸に手を当てて礼儀正しく一礼する。
「そういえば名乗っていませんでしたね。改めまして――『エルフィナ』と申します」
エルフィナと名乗ったエルフの女性は、スティーリアと夜光の自己紹介を聞いてから呼吸を整えるように一拍分の間を置いて口を開く。
「私はかつて魔神を討伐した勇者の血に連なり、光の神に仕える〝カミナギの巫女〟。私の目は、魂を映すことができます。あなた方異界人は、身体に魂が宿っていないので、見れば分かります。
身体という器に意思だけを乗せて操っている状態、とでもいえばいいのでしょうか――ですが、夜光さんはその身体に魂が入っています。それはつまり、この世界に夜光さん自身の魂が来ているということです」
「……!」
エルフィナの言葉に、夜光とスティーリア、そして二人の配信越しに話を聞いている桂香が思わず息を呑む。
人間界の技術であるDDに精神や魂という概念はない。だからこそ、意思ではなく魂を魔動体に乗せて異世界を訪れている夜光の異変に気づくことができなかったのだ。
そんな三人の反応を横目に、見た者の魂を見る力を有するエルフィナは、夜光を改めて見つめて思案気に柳眉を顰める。
「でもおかしいですね。それならば先日見た時に気づいたはずなんですが……」
魂を見るエルフィナにとって、一瞥でこの世界の人間か、魔動体に意思だけを乗せた異界人なのかを見分けるのは容易い。
先日、スティーリア達と共に戦った際にそんな人物がいた記憶がないエルフィナは、しばしの逡巡の後に言葉を紡ぐ。
「最近、なにか何か変わったことはありませんか?」
エルフィナからの問いかけにスティーリアと顔を見合わせた夜光は、恐る恐るといった様子で答える。
「見たこともない能力があって……『DXXXFORCE』っていうんですけど」
「デクセサスですか……」
その言葉を聞くなり、その美貌に剣呑な表情を浮かべたエルフィナは、真剣な面持ちで夜光の顔を覗き込むと、おもむろに口を開く。
「――〝魔神〟に魂を移されましたね」
「え?」
「デクセサスというのは、こちらの世界における神の冠称です。つまりあなたは、魔神再誕の宿主になっているんですよ」
「――ッ!」
エルフィナの口から淡々と、しかし重々しい声音で紡がれる言葉に、夜光達は言葉を失う。
「私はカミナギの巫女として魔神復活の気配を感じ、それを防ぐべく戦っています。先日も今も魔神の気配を感じてあなた方と出会ったのです。
あの時倒した魔神の依り代は、あなたにも自らの力を植え付けていたのでしょう」
(あの時……!?)
それと同時に夜光の脳裏に甦るのは、先日戦った怪物――エルフィナの言葉を信じるならば、魔神の依り代となっていた怪物に身体を貫かれた時のことだった。
「で、でも、あの時あいつに傷をつけられたのは俺だけじゃなかったじゃないですか」
「誰もが魔神の依り代になれるわけではありません。夜光さんは魔神の力と親和性が高く、『器』として十分な存在だったのでしょう。
夜光さんに宿った力は、魔神の力の一端。だから、あなた方がこちらの世界に来るために使っている仮初の肉体を変化させることができたのです」
先日魔神の依り代となっていた怪物に殺されたストラーダ達や戦っていたスティーリア達に同様の力が宿っていないことへの疑問を呈した夜光だったが、それは即座にエルフィナによって説明される。
「そうやって魔神は多くのものに自分の力の一端を宿し、それを介して復活のための力を蓄えていたのです。
先日の依り代は、その中でも特に強力なものだったのでしょう。小さな砂鉄が集まって鉄塊になるように、魔神は長い時間をかけて復活の時を待ち続けていたのです」
「そんな……」
エルフィナの言葉に絶句し、言葉を詰まらせる夜光に、スティーリアは想像だにしていなかった話に混乱しながらも、自らの脳裏で整理をつけて尋ねる。
「彼から魔神の魂を取り除くことはできないんですか?」
「おそらく、夜光さんの本体を殺しても魔神の魂を完全に消し去ることはできないでしょう。むしろ、あなた方の世界に夜光さんの身体に宿っていた魔神の魂をまき散らすことになるだけです――待ってください」
スティーリアの質問に答えたエルフィナは、不意に何かに気づいたように真剣な面持ちで考え込み、おもむろに口を開く。
「そういえば、あの時の魔神の依り代は、あなた方が持ち帰っているのではありませんか?」
「え? あ……はい」
スティーリアの指摘で先日倒した怪物――魔神の依り代はWTuber達が戦利品として持ち帰っている。
その事実を聞いたエルフィナは、渋面を作って小さく歯噛みする。
「迂闊でした……すでに――いえ、ずっと前から魔神はこの世界だけではなく、あなた方の世界すらをも狙っていたのです」
「!? どういうこと?」
さらに深刻な面持ちで続けられるエルフィナの言葉に釣られるように、スティーリアが無意識に息を呑む。
「あなた方異界人は自分達の世界へこちらの世界のものを持ち込んでいますね? 魔神はそれすら触媒にしていたのです。
そちらの世界からこちらの世界に来られるのに、〝その逆〟ができない道理はありません。魔神はあなた方の世界にも顕現するつもりなのです」
「な……っ!?」
神妙な面持ちで告げられたエルフィナの指摘に、夜光とスティーリア、そして二人の話を通信で聞いていた桂香は言葉を失う。
地球から魔動体を介してこの異世界に来ることができるのに、その逆――つまり、この異世界側から地球へ行けない道理などない。
WTuber達が集めた異世界の資源。そこに宿った魔神の魂が地球側へ持ち込まれていても何ら不思議ではない。そしてそれは、今まさに「夜光」という一つの形として実現している。
「でも、私達がこの世界を超えられないのは次元の壁があるからよ。それに、私達の肉体はこちらの世界では生きられない。だから、私達は魔動体を使っているの」
「そうかもしれません。でも、神――魔神にとっては、そんなことなど造作もないことなのです」
信じ難い事実を告げられたスティーリアは、わずかに狼狽しながらもWTuberにとっての――地球における常識を告げる。
地球人が異世界で魔動体を使って活動しているのは、次元の壁を超えられないこと。そして二つの世界は似ているものの、世界の法則が異なり地球人が異世界で呼吸や食事といった通常の生命活動を行えないことが理由だ。
そしてそれは異世界の人間も例外ではない。地球人が異世界にいけないように、異世界人も地球に来ることはできない。
だが、神という名を冠する魔神にとって、その二つの世界両方で存在し、生存することなど容易なことだ。
「このままいけば、おそらく後数日――魔神が倒された解放祭の日。再び魔神は復活します」
「――ッ!」
「そんな、じゃあどうすればいいんだ?」
神に仕える巫女でもあるエルフィナの口から告げられた宣告に息を呑んだスティーリアと夜光は、思わず声を上げる。
「こちらの世界だけでなく、そちらの世界にも根付いてしまっているであろう魔神の欠片を完全に根絶することはできません。そうなれば、取れる手段は一つだけです」
そんな二人の言葉を受けたエルフィナは、しばらく目を閉じてから言葉を発する。
思案を巡らせていたというよりも、巫女として神に窺いを立てているような厳かな時間を経て答えたエルフィナは、魔神の復活を阻止するための唯一の方法を夜光とスティーリアに告げる。
「おそらく、どこかに魔神の本体――核とでもいうべきものが存在しているはずです。それをおびき出し、討伐すれば完全な復活を妨げることが可能なはずです」
いくら世界に散った自らの力で復活を画策していようと、完全復活の際にはその中心となる存在が泣ければならない。
それが力を失えば、再び魔神は長い眠りにつくことになるだろう。つまり、完全復活の前に魔神の核を倒す。――それが魔神復活を阻止する唯一無二の方法だ。
「そのためには、夜光さんの力が必要です」
「俺の?」
そしてエルフィナから名指しをされた夜光は、驚愕を禁じ得ない思いで呟く。
「はい。魔神の力に抗うためには是が非でも神の力が必要になります。皮肉にも魔神が自分を復活させるためにばらまいた力の欠片だけが魔神復活を阻止しうる可能性を秘めているのです」
欠片となっていても、復活を間近に控えている魔神の核を倒すのはWTuberはもちろんのこと、この異世界の実力者にも不可能に近い。
そのためには、魔人の力そのものを有する夜光の力が必要不可欠になる。皮肉にも魔神が現実世界にその存在を顕現させんと侵食した夜光だけが魔神の復活を止めることができるのだ。
「……もし、魔神が復活したらどうなる?」
エルフィナの言葉に釣られるようにスティーリアからも視線を向けられた夜光は、自分に世界の命運が託された重責に喉を鳴らす。
「こちらの世界はもちろん、あなた方の世界も魔神によって蹂躙されてしまうでしょう。あなた方に魔神と戦えるだけの戦力があるのか、私には分かりませんが」
「俺の力で勝てるのか?」
エルフィナから告げられた言葉を聞いた夜光は、その内容に神妙な面持ちでさらに質問を重ねる。
いくら魔神の力を持っているとはいえ、それで魔神の本体に勝てるのかという根本的な問題に、エルフィナはしばらく思案して口を開く。
「……正直に言って分かりません。いかに完全復活前とはいえ、魔神の力は絶大。そしてあなたに宿った力の根源でもあるわけですから、容易なことではないとしか」
「それでも、やるしかないのか?」
この異世界と地球の命運が自分の力に託されているということを指摘された夜光は、そのプレッシャーに表情を曇らせる。
自分が負ければ魔神が復活し、世界が危機に陥ってしまうという事態に重大な責任を感じずにはいられない夜光の様子に、スティーリアは案じるような視線を向け、エルフィナは真摯な表情で応じる。
「この世界のために命を懸けて戦う義務はあなたにはありません。ですから私にはあなたの意思に委ねる以外の方法はないのです」
「――少し、考えさせてください」
真剣な面持ちでエルフィナに言われた夜光は、しばらくの沈黙の後にそう答えることが精一杯だった。