異変
「さて、久しぶりの配信と行きますか」
怪物と遭遇し、ダイブアウトができなったあの日から三日。悠星こと夜光は、しばらく休んでいた配信を再開するためにDDに腰を下ろす。
「なんか、ちょっと使っていなかっただけだけど、懐かしい気がするな」
そう言ってDDの座り心地を確かめた悠星は、懐かしさすら感じられるほどに身に馴染んでいた感覚に気づいて独り言ちる。
「桂香さん達は異常はなかったって言ってたし、大丈夫だよな」
あの後、冒険者ギルドの技術スタッフが確認をしたものの、悠星が使っていたDDには取り立てて問題は見つけられなかった。
一抹の不安はあるものの、今のところWTuberとしての活動を辞めるほどではないと考えている悠星は、気を取り直してDDを起動させ、異世界へとダイブする。
「ああ、この感じ、懐かしいな……ま、三日前のことだけど」
一瞬視界が暗転した後、眼前に広がる青い草原を見た悠星は、肌に触れる風や自然の匂いを吸い込んで、異世界に戻ってきたことを確認する。
(……五人か。あの一件はちょっと話題になってたから、六時間ギリギリで離脱した新人が三日ぶりに戻ってきたくらいで人数が増えるなんてありえないか)
配信を始め、これまで休んでいたことへの簡単な説明と謝罪を終えた夜光は、視界の端に映る同接数を見て肩を落とす。
心の端では、異世界にダイブしていられる限界時間である六時間ギリギリで離脱し、紙一重で生き延びた新人の復帰配信を見てやろうと、面白半分で見てくれる人がいることを期待していた夜光だったが、その目論見は脆くも崩れ去る。
「ま、仕方がない。これまで休んでいた分、しっかりと取り返さないとな。――ん? なんか、変なコマンドが入ってる?」
気持ちを奮い立たせ、久しぶりの自分の魔動体の感触を確かめるように軽く身体を動かしていた夜光は、画面の中で自分のデータに新たな項目が追加されていることを確認する。
魔動体には、自分の状態を確認できるコンソールが存在している。
基本的には自分の属性や能力、状態を表示し、正常な接続ができているか、配信のオンオフなどを行うものだが、人気が出たWTuberには、魔動体に別衣装や別の髪型、猫耳や尻尾をはじめとした特殊アクセサリーなどが搭載されることがあり、この画面を通じてそれを切り替えることなどができるようになるのだ。
その項目に、夜光が知らない内に一つの項目が追加されていた。
「『DXXXFORCE』……? 効果は――『???』? なんだこれ? こんなもん入れたなんて聞いてないけど」
桂香から何も聞かされていなかった追加項目に、夜光は首を傾げる。
(とりあえず、ちょっと押してみるか……? それとも桂香さんに聞いた方がいいのかな?)
配信を始めたばかりということもあって桂香に連絡するべきか迷っていると、棒立ちになっている夜光が獲物に思えたのか、森の中から四足歩行のモンスターが姿を現す。
「っ! こんな時に……っ」
新しいコマンドをどうするか迷っていたところにモンスターを見止めて歯噛みした夜光は、武器の大剣を取り出してその切っ先を向ける。
そこにいたのは、初日にも戦った狼のような姿をしたモンスター――「ウルフ」。十匹ほどの群れが夜光を取り囲むようにその姿を木々の影から覗かせていた。
「なんか、今日はいつもと感じが違うな……?」
それを視線で追う悠星は、これまで何度も戦ってきたはずのモンスターを前にして、今までに感じたことのない感覚を抱いていた。
それが何なのかは判然としないが、少なくとも良いものではないことだけは明らかな夜光は、自分を囲むウルフを見て、一つの事実に気づく。
「あれ? このモンスターってこんなに迫力があったっけ?」
牙を剥き、獲物として自分を狩らんとするウルフ達が見せる捕食者の顔――これまで何度も見てきているはずのその顔に、夜光はこれまで感じたことのない威圧感を覚えていた。
そんな疑問が油断を招き、背後から疾風のような速さで襲い掛かってきたウルフに反応することができず、腕にその爪の一撃を受けてしまう。
「痛っ! ……え?」
ウルフの一撃を受け、腕に奔った痛みに顔をしかめた夜光は、その瞬間に目を丸くする。
(痛い? そんなわけないだろ? だって魔動体は痛みを感じないはずなのに……それに、血!?)
人間「真藤悠星」の意識を宿しているが、異世界で活動するための身体である魔動体に痛覚は備わっていない。
だというのに夜光は確かな痛みを覚え、本来は傷口から光の粒子が零れるダメージエフェクトのみであるはずの傷から、赤い血が流れていた。
(なんで!? そんなはずないだろ……!? でも、画面には何の反応もないってことは、配信には映ってないってことか?)
血肉など通っていないはずの魔動体から流血するという事態に言葉を失う夜光だったが、画面の端に見えるコメントに異変は見られない。
もし、この状況が配信画面にも見えているなら、コメントかどこかに反応があるはず。だが、その兆候が見られないことから、夜光は自分が傷を負った現実が配信画面の向こうには見えていないことを察していた。
それがモンスターのスプラッタを回避する冒険者ギルドのフィルターによるものなのかは不明だが、この異常に不穏なものを感じ取った夜光は、黒光を纏う大剣で肉薄してきていたウルフを両断する。
「くそ……ッ!」
真っ二つに切り裂かれたウルフが鮮血をまき散らし、飛び散った血飛沫が自分の肌を濡らす不快な感覚に夜光は眉を顰める。
仲間を倒されたことで怒りを覚え、牙を剥き出しながらもこちらを警戒しているウルフへ視線を向けた夜光は、さりげなく視線を動かして自分の腕から滴り落ちる血を一瞥する。
(一体どうなってるんだよ?)
自分の身に何が起きたのか理解できず、困惑している夜光が考えを巡らせる間もなく、その周囲にいるウルフ達がその数を増していく。
「しまっ……」
いつの間にか取り囲まれていることに気づいた夜の、考え事をしていてこの状況に気づくのが遅れてしまった己の失態に歯噛みする。
遠吠えで仲間を呼び集め、数十体にもなったウルフの群れは、魔動体一体の性能では倒すことがほぼ不可能なほどの強さになっている。
(この状況で殺されたらどうなる? ダイブアウトすれば逃げられるけど、それはWTuberとしては禁じ手だ)
この状況からでもダイブアウトすることで離脱することはできるが、WTuberとしてその行動は忌避されるものだ。
しかし背に腹は代えられない。痛みを感じるようになってしまった今の状態で死んでしまった場合自分がどうなるのかが分からない夜光は、自らの命とWTuberとしての活動を天秤にかける。
(――炎上するのは避けられないだろうけど仕方ない。死ぬくらいなら……)
「……!」
自分の中で決意を固め、ダイブアウトをしようとした瞬間、夜光は自身の視界の端に浮かぶ光を見止める。
魔動体の状態を管理するコンソールを開けば、そこにはまるで「使え」とばかりに赤い光を発しているコマンドがあった。
(これは……いや! そんなことしてる場合じゃないだろ!? さっさとダイブアウトするんだ。でも……なのに――)
「ああ、もう、クソっ! どうにでもなれ!」
早々にダイブアウトすればいいというのに、なぜかそのコマンドから目が離せなかった夜光は、その誘惑に負けて半ば自暴自棄気味に「DXXXFORCE」を発動する。
瞬間、夜光の胸の中心で、心臓が鼓動を打つような脈動が奔る。
「――ッ!?」
瞬間、身体の中心のさらにその奥から溢れ出した力が夜光を満たし、天と地を揺るがす力の波動を生じさせる。
それによって巻き起こされた土煙が消えた時、そこには夜光が無明の闇が具現化したような漆黒の力を纏い、その姿を変化させていた。
(これは……)
自身の姿が変化しているのを感じ取り、夜光は思わず自分の姿を確認する。
その両手足は禍々しい棘を持つ黒い金属めいた形状へ変わり、首に巻いていたマフラーは黒光りする鎧のようにと変化し、まるで尾のように揺らめいている。
頭部には王冠とも角とも見える黒金の装甲が顕現し、手に握られていた大剣も光を喰らい尽くしたような漆黒の刀身を持つ凶々しいものへと変化していた。
(姿が変わった? しかも、属性が「闇」に変わってる)
冒険者ギルドでの検査で光属性と判定され、それに合わせて作られていたはずの魔動体が対極に位置する闇属性になっていることに困惑していた夜光は、不意にその視界の端に自分に向かって襲い掛かってくるウルフを捉える。
(なんだ? 全然怖くない。こいつらってこんなに鈍かったか?)
先ほどまでは疾風のように感じられたウルフの速度が、まるでスローモーションのように見えた夜光は、反撃のために魔法を放つ。
「……へ?」
夜光の意思に従い、身体を流れて放出された闇属性の力が全ての光を消滅させるような無明の力となって吹き荒れ、ウルフを一瞬にして消滅させる。
だが、夜光が放った闇の魔法はそれだけにとどまることはなく、大地を数十メートル以上にわたって消滅させ、そこに存在していた全てを虚無へと還していた。
(ちょっ、なんだこれ!? こんなの、魔動体の性能の限界を超えてるぞ!?)
本気で放ったわけではないというのに、これまで使っていた魔法をはるかに超えた力を発揮してしまった夜光は、それによって書き換えられた風景と地形を見て言葉を失う。
何が起きたのか理解できずに困惑し、混乱する夜光に恐れ戦いたウルフ達は仲間の仇を打つことも忘れて一目散に逃亡し、瞬く間にその姿が消失する。
「ちょっ……」
呆然と立ち尽くし、その様子を見ていた夜光は、これまで数人しかいなかったリスナーの桁が一気に跳ね上がり、コメントが読むこともできないほどの量と速さで流れていくのを見て、さらに混乱する。
(視聴者数とコメントがものすごいことになってる! これもこの力の所為なんだろうけど……)
本来なら嬉しい悲鳴、望ましい状況であるはずなのに、今の夜光にはそれは全く歓迎できるものではなかった。
なぜならそのコメントに書かれている文は、夜光同様に困惑しているようなものとチートや不正を疑う否定的な意見ばかりだったからだ。
「すみません。ちょっと急用ができたので、今日はこれで配信を終わらせてもらいます」
結局、自身での対処を諦めた夜光は、早々に配信を終了することしかできなかった。
その日、夜光の新形態と既存の魔動体を超える圧倒的能力は瞬く間にバズり、ネット中を駆け巡った。