プロローグ
心臓の鼓動が高鳴る。
「よし、行くか」
どこにでもいる平凡な少年――「真藤悠星」は、早鐘を打つ鼓動を沈めるように一度深呼吸をすると、フルフェイスのヘルメットに似たヘッドギアをセットし、身体を包み込むような、ゆったりとした黒い椅子に腰を下ろす。
機械的なその椅子は、平均より少々割安な家賃のマンションの室内にはあまりにも歪な印象を抱かせる近未来的なデザインをしているが、それはもう今更というものだった。
高性能パソコンが一体となった椅子に腰かけ、ヘッドギアをセットした悠星は、肘掛の部分に備え付けられたタブレットを操作してシステムを起動させる。
「D-DIVE」と表示された画面が起動し、ログインを選択すると同時に悠星の視界が一瞬闇に包まれる。
それは、悠星が目を瞑ったからというだけの理由ではなく、今まさにその意識が身体を離脱しているが故に生じるものだった。
しかし、そんな闇も一瞬のこと。目の前に光が生じると同時に、悠星の目の前には、どこまでも広がる緑の草原が広がっていた。
「うわぁ……」
吹き抜ける風が緑を揺らし、空は透き通るように青い。都会の中では感じられない自然の匂いが鼻腔をくすぐり、日差しの温かさを肌で感じることができた。
「すごい……ここが、『異世界』なのか」
胸一杯に空気を吸い込み、悠星は今自分が確かにこの場所にいることを実感して、感動の色を帯びた声を零す。
どこまでも広がる豊かな自然、そして遠くに見える都市。それはいずれも日本――否、地球にあるものに似ていて、しかしどこか異なる印象を受ける。
異世界の勇壮で荘厳な景色を目に焼き付けた悠星は、次いで自身の身体へと視線を落とす。
「で、これが、俺――『夜光』」
その瞳に映ったのは、自分の身体でありながら見慣れた自分のものではない身体だった。
黒い髪に金色の双眸を持ち、首に巻いた長いマフラーをなびかせるその姿は、悠星のものでありながら悠星のものではない。
「自己紹介PRの時に少し動かしたけど、やっぱりすごいな。本当の自分の身体みたいだ」
夜光となった自分の手足を軽く動かし、その感覚を確かめた悠星は、改めて込み上げてきた実感に感嘆の声を零す。
「これから、俺は配信デビューするんだ」
※※※
二0XX年。人類はついに「異世界」を発見した。
異なる次元、時空を隔てた空間に存在するその世界には、竜や魔法、お伽噺のような力が満ち溢れていた。
それは人々に憧れと希望をもたらし、そこにある力、未知の資源――それらを手に入れることで人類の新たな発展と進化を渇望するようになった。
しかし、人類は異世界を観測することはできても、時空の壁を超えることはできなかった。
そして、その問題を克服するべく生み出されたのが、「魔導科学」によって作り出された仮想体――通称「魔動体」に人の意識を宿すというものだった。
次元の壁を超えることができる魔動体に人の意識を宿すことで異世界へと赴き、活動することが可能となった。
だが、誰しもが魔動体に適合することができるわけではない。
魔動体適性を持つ者は少なく、世界の人々は異世界に強い興味を示した。
そんな人々の要望を叶えるかのように、異世界を探索する魔動体はその冒険を世界に配信するようになった。
異世界を旅し、その様子をインターネットを通じて世界に中継する彼らは、「WorldTuber」――略して「WTuber」と呼ばれるようになった。
そして、今真藤悠星は、今「夜光」というWTuberとしての活動をスタートさせたのだ。
※※※
「えっと、まずは配信を開始しないとな……」
異世界「インバース」。
地球でそう呼称されるようになった、この異世界へとやってきた興奮を抑え、夜光はWTuberとして自分がするべきことを始めるべく、行動を開始する。
WTuberは、異世界にダイブしている間常に配信をしているわけではない。いつ配信をはじめ、どこまでを配信するのかを自分で設定することができるのだ。
そのための機能――自分にだけ見える空間に表示されたディスプレイを操作していた夜光は、ふと苦笑を浮かべる。
「なんか、ファンタジーなのか、SFなのか分からないな」
この異世界インバースには魔法が存在し、地球ではファンタジーとされているものが実在している。そんな世界にいながら、自分がしているSFを思わせる科学的な行為は不釣り合いというか、不適切にも感じられる。
そんな他愛もないことを考えながら、事前に教えられていた通りに配信の準備を整えた夜光は、一つ呼吸を整える。
「良し。じゃあ、配信を始めるか」
自身の中で決意を固めた夜光は、画面に映し出されたスタートボタンをクリックして、配信を開始する。
「え~、どうも夜光です。PR動画を見てくれた人も見ていない人も初めまして。今日から異世界配信を始めていきたいと思います。よろしくお願いします」