第三話 「変わったね」なんて言わないで!
「父さん、今日……花ちゃんが転校してきたよ」
帰宅した俺は、ソファに座っている父親に報告する。
「花ちゃん……ってあの、幼馴染の?」
「そう、『かしわん』の大ファンの」
「おいおい、お前までその名前で呼ばないでくれよ〜!」
『かしわん』こと柏木悠仁は、俺の頭をぐりぐりと撫でる。
そう、花宮が大好きな『かしわん』は、俺の父親だった。
柏木悠仁は、今や中堅となった大人気声優である。
デビュー当初から結婚していたのだが、事務所の方針で妻子の存在は公にされていない。「結婚していない」とは言っていない、というグレーな隠し方だ。
故に俺は母方の「高木」姓を名乗っている。
マンションの出入りの際は必ず時間をずらし、外出は一緒にしないことを徹底しているため、世間には俺が息子だということはバレていない。
変装して一緒に出掛けたことが数回あるのみだが、家では一緒に居られるので寂しいと思ったことは無かった。何より、父親の仕事を尊敬している。
「それで、どうだった?お前を見た花ちゃんの反応は……」
「やっぱり嫌われているのか、全然顔を合わせてくれなかった……。でも何故か、お弁当を作ってきてくれるって」
「……ほう」
父さんは顎に生えた髭を、ゆっくりとした動作で撫でる。
「大好きな花ちゃんにいつか振り向いてもらえるように、今日まで努力してきたんだろう?『かしわん』みたいになれるようにな!」
父さんは腰に手を当てて、ガッハッハと笑う。役を演じている時の雰囲気とは大違いだ。
「そうなんだけど……トレーニングをして筋肉も体力もつけたし、勉強もした。それに声だって……良い声になれるように練習してきた」
「お前の声は『かしわん』にかなり似ているぞ!親子だし、本人が言うんだから間違いないよなぁ。……違う部分ももちろんあるが、それはお前の良さだ」
父さんが俺の肩をバシバシと叩く。
「父さんは、脈アリなんじゃないかと思うぞ!自信を持って頑張れ!努力は裏切らん!」
──ガサツで繊細さのカケラもない父さんの姿を見たら、花宮はどう思うんだろうか。
◇◇◇◇◇
「な……によ、それ」
体育の時間、ジャージ姿となった俺を見て花宮が呟く。
「え……と、ジャージだが……」
この学校のジャージ、そんなに驚かれるほど変わっているだろうか?何の変哲もない、ただの青ジャージだと思うが……ラインの入り方か?
「そうじゃなくて!その筋肉……」
花宮が俺の腕を指差して、口をパクパクしている。
「これは……父さんの筋トレに付き合ってて、自然に」
花宮に振り向いてほしくて、なんて言えるはずもなく、格好つけてそう言ってしまった。
「……ユースケ、本当に昔と変わっちゃったのね」
花宮が何故か寂しそうに呟く後ろで、ふざけた男子が放ったバスケットボールが、勢い良くこちらに向かってくるのが見えた。
「花ちゃん、危ない!!」
俺は思わず花宮を押し退け、ボールを顔面で受ける形となる。
鼻が熱い……と押さえていたら、指の間から赤い血がポタポタと流れてきた。おまけに痛さで涙まで滲んでくる。
──あれだけ花宮の前で格好つけてきたのに、鼻血なんて……。
昼の放送の時だって、あわよくば花宮が聞いてくれないかな、良い声だって思ってくれないかな、と内心ドキドキしながら話していた。
結果がどうだったかは分からないが、こうなっては終わりだろう。あまりにも格好悪すぎる。
「ユースケ!!大丈夫!?」
花宮が慌てて駆け寄り、ポケットからハンカチを取り出して俺の鼻に当ててきた。
「私をかばって……ごめん」
「いや、いいんだ……それより、ハンカチが」
「ハンカチなんて気にしないで!……ああ、ダメダメ!鼻血が出た時上を向いちゃダメなのよ」
花宮は服が汚れるのも厭わずに、細い体で俺を抱き起こす。
「昔もさ、こういうことあったよね。ドッジボールの時私を守って、ユースケが顔面でボールを受けて……」
花宮が遠い目をしながら、くすくすと笑う。
「ダサくて弱い昔のユースケが、すっかり居なくなっちゃったかと思ったけど……ユースケはユースケなのね」
「花ちゃん……」
「……ちょ、ちょっと待って!耳元で名前を呼ぶのは絶対ダメ!反則!」
力いっぱい押し退けられた勢いで壁に頭を打ち、俺は気を失って保健室に運ばれたのだった。……全く、格好がつかない。