-馴れ初め-
私=現在の視点
僕=当時の視点
これは私の「懺悔」である。
誰に向けてでもなく、自分自身に対する赦しを、あるいは否定を求めて。
これは私の「記憶」である。
この事実を忘却の彼方に置いて行かないように、背負って生きると決めたことを、その決心を揺るがないものとするため。
私の稚拙な言葉と醜悪な声で告げる、たった1人に対して犯した今も私を呪う罪とその後悔を。
「私は恋をした」そんな普遍でありふれた言葉から始まる話に沿って。
冷たい風が肌を掠めるが確かな暖かさを感じる春、僕は彼女に恋をした。してしまった。
新しく始めたバイト先で出会った5つ歳上の彼女は、夢も無く僻な毎日煙草を蒸しているだけの大学生の僕から見れば、自分の知らない遥か遠い世界を知っている大人そのものだった。
背は低かった。髪はピンクだった。服装も派手だった。
けれど、離れてみているとどこか落ち着いている。可愛くも弱さを感じない顔。細くもはっきりとした声。真面目に仕事と向き合いながら、よく笑う。人見知りだと言いながら人と打ち解けるのは早かった。そんな飄々とした、多くの未知と矛盾を詰め込んだ彼女。
僕はそれら全てが魅力的、いや神秘的とさえ感じた。感じてしまった。彼女は煙草が嫌いだった。
純粋に惹かれていった。夜の街灯に群がるあの蛾のように。
バイトの日は会って話せるのが楽しみだった。サンタを信じていた日のクリスマスイブのように。
自分でも信じられないほど前向きな感情を抱えて追いかけた。色鉛筆を握り、白紙を目の前にした幼な子のように、何を描くかもわからず、他人も時間も、枠さえも、一切を気にせず無我夢中にただひたすらに。
それら全てがまるで予定調和だと思えるほどに順調に円滑に上手くいった。御都合主義的に、つつがなく。
バイトの休憩が被ればご飯に誘い、話し足りないからと早上がりの日も彼女が上がるまで待ち一緒に帰った。それが次第に彼女からも誘われるようになる。いつのまにか手放せなくなっていた煙草も、喘息を患っている彼女の前では吸わないでいられた。
「普段休みの日ってどこで遊ぶんですか?」
何気ない会話だった。
彼女はいつものようにそそくさと仕事をしながら言う。
「私?私は、、んー、MMとかはよく行くよ!」
「じゃあ僕とも行きましょうよ。」
自分史上最も速いレスポンスだったのではないか。
MMって何だろう。考えるよりも先に声を発していた。
初めて僕からデートに誘った。そして彼女は仕事をしていた手を止め、僕の方を向き、刹那の驚いた顔を僕に気づかれないよう満面の笑みで塗り替えながら返事をした。
「えっ、、、行く!」
みなとみらいをMMと略す、そんなダサいところにも彼女らしさを感じて笑みが溢れた。
初めて2人で出かけた日。場所は横浜、みなとみらい。
普段通り黒色のシャツに黒色のパンツ。
地味に思われても構わない、変だと思われなければ、マイナスさえ無ければそれでいい。
そんな僕とは違って彼女はきっと今日も派手なのだろう。
豹柄か花柄か、紫か赤か、煌びやかな彼女を想像し期待する。同時に自らの服装が視界に入る度不安が押し寄せる。
憂わしげに駅で待つ僕の前に現れた彼女は、黒い服を着ていた。
「いつも黒だもんね、合わせてきた。」
当日のそれはデートと呼ぶにはあまりに拙い、お粗末なものであった。
待ち合わせをし、ご飯を食べに行く。そのあはてきとうにブラブラする。
それだけなのに動悸がはげしい、息が詰まる、陸に上げられた魚の様だ。
一挙手一投足に不安が付き纏う。髪は?声は?何を食べよう、何を話そう、次は何処へ行こう、
そんなことを考えながら覚束無い尾鰭で歩く滑稽な僕。
それとは対照的に彼女は生き生きとしていた。
僕の考えている事が全て杞憂であったと思わせる、その爛々とした振る舞いは、水を得た魚の様に見えた。
初デートは何事もなく無事に、そして無難に終わった。
僕はひたすらに安堵した。キスをしたわけでもなく、告白したわけでもない。手すら繋いでいない。しかし距離を縮めることはできた。ただ楽しかった。彼女も楽しそうだった。その結果に僕の心は安寧を得た。
世間一般でいう成人男性の基準から見ればこの時私が感じたことはあまりに矮小で実直、無垢で初々しかった。
されど間違いなく1度経験して仕舞えば2度は感じ得ない、価値のある唯一のものだった。と、今は思う。
彼女に出会ってから伸ばしていた襟足を切った。髪色も銀になった。買ってから1度も着ていなかったセットアップを着た。色や柄のある服を新しく買った。ピアスを開けた。いくつも。
僕は変わったのだと思う。変えられたの方が正しいかもしれない。そんなもの主観に帰属する些細な感覚的問題でしかない。
見た目だけでなく中身も、明るくなったとか口数増えたとかよく笑うようになったとか、周囲からの声が度々聞こえた。これまで全く使ってこなかった絵文字も、彼女と連絡を交わす時だけ使うようになった。それも含めて全部自発的だったと思っているが、彼女に好かれる為であったことは否定しない。
それらが幸いにも彼女の好みに当てはまり、彼女もまた変化していく僕に惹かれていったことは言うまでもない。
新しいバイトにも慣れてきた夏、彼女と付き合うことになった。
8月7日。
僕から告白した。これも初めてだった。
しかし、結果だけを見れば良しと思えるがここにたどり着くのにも多くの苦労を要した。
微かに蝉の聲が耳を刺し、僕を包む陽射が少し鬱陶しくなってきた頃、バイト中に彼女と花火をする約束をした。
初デートから数えて、4回目の2人で遊ぶ約束だった。バイトが同じ時間に終わる日、彼女の家の近くの海辺にある公園に行くという。
そして当日、僕はミスを犯した。嫌な日だ。
その日のバイトは僕と彼女、それともう1人。僕と同い年の女の子が同時に上がった。
彼女はその子と仲が良かった。僕は数回話したことがある程度だった。
3人同時にお店から出て、僕と彼女は公園に向かおうとした。その時僕は1人違う方向を向くその子に何を感じたのか、声をかけてしまった。
「これから花火するんだけど一緒にどう?」
数回会話をしただけの僕が誘っても絶対に来ないと思ったから、万が一誘いに乗ってもその子と仲良しの彼女は喜ぶかと思ったから、2人で同じ方向へ歩いて行く自分たちを恥ずかしく思ったから。
そのどれもが事実であり間違いである。
良かれと思っての言葉だった。けれどその言葉は彼女にとってあまりに残酷かつ無慈悲なものだと僕が気付いたのは暫く3人で歩いてからだった。
彼女の口数が明らかに減った。減ったなんてものではない。まるで無い。一言も発しない。
僕は無声映画を見ているようなそんな気分になり、どうにか払拭しようと彼女と女の子と交互に話しかけた。
彼女は沈黙を貫く。女の子は気まずそうに相槌を打つ。
なんだこれは。どうしてこうなったのだろうか。
僕は自分の犯したミスにも気付かずただただ悩む。
そんな事をしている内に彼女は痺れを切らし行動する。急に電話が掛かってきたと言うと、1人足早に進行方向を変え、僕らの視界から消えていった。僕と女の子は茫然と立ち尽くし、顔を見合わせた。
この時の自分を私は酷く恨めしく思う。
無知は罪だ。しかし、この場合の罪は無知なこと自体では無い。
僕は知っていた。何故彼女が不機嫌な様子で声を発しなくなったのか。少し考えれば馬鹿でも猿でも分かる。
というより、考えなくても当然として感じられるものだ。それに気付かない振りをした?気付いた上で信じられなかった?信じたくなかった?どれも違う。
僕が信じることに恐怖していたことは事実である。
だがこれも私からすれば自己を正当化するための言い訳に過ぎない。相手の好意に気づかない、誰にでもやさしい、特定の人間に固執せず自由でいる、そんな綺麗事や鈍感さに美学を感じていただけの僕を。
彼女が僕らの前から去って少し。僕と女の子は当然何故彼女はあのような態度だったのか話していた。
僕は相変わらず自分でも認識していない内に罪を重ねていた。
対して女の子はとっくに答えが分かっていたようだった。
同性故の真っ当で正確な見解を述べる。僕はそこでようやく気付き、女の子に諭され、彼女を探しに走り出す。
正しくは、気付かされたふり、諭されたふりであるが、今は気にしない。
走り出したは良いが彼女の居場所は見当もつかない。電話を掛けながら何処へ向かうでもなく走り回る。
3回目の電話で漸く彼女は応じた。
「、、なに?」
淡々としているが少し上擦る彼女の聲が僕の耳を刺した。
装いきれていないその声に僕はより一層焦燥する。何処にいるか尋ねる。
「もういいから。」
「ほんとにもういいって。」
何度も何度も、何度も聞いた。
どうしたのだとか、心配だとか、話だけでもだとか、あらゆる気遣いの言葉を引き摺り出し、投げ掛けた。実に白々しく滑々と。
本来の目的地である公園の裏に差し掛かった頃、彼女は居場所を教えてくれた。今僕の目の前にある公園で海を見てるそうだ。
彼女は、周囲より少し高くなっている丘のベンチに座っていた。
僕は横に座り、話をする。
僕の第一声は
「どうしたの?大丈夫?」
我ながら反吐が出る。
「、、、わかんないの?」
電話の時よりもはっきりと上擦るのが分かる。激しい怒気を少しばかりの悲哀で必死に包んだような声。
僕はそれでもシラを切った。
「言ってくれなきゃわからないよ。」
「、、、だとしたらバカだね、本物の。」
彼女には似つかわしくない強い語気に驚いた。
それから僕はひたすらに謝った。
思い当たるもの全てに対して。
許されるとは思っていなかったけれど、ただ必死だった。
嫌われたく無い一心に。原因に気付いている自分に気付かないように。
暫く謝り続けると彼女は
「もういいよ。何とも思ってないから。」
と僕に告げる。
それは何に対してだろうか、僕の脳裏に絶望が過る。
「困る、それは困る。」
と僕が言う。この言葉が悪かった。
「何で?何が困るの?」
「私が前に煙草嫌いだって伝えてから煙草やめてるでしょ?」
「私は君の親じゃ無いし保護者でもない。そこまでの強制力も無ければ従う義理もない。」
「なのに何で君は煙草をやめたの?」
彼女は何の脈絡も無く驟雨の如く僕に質問を浴びせた。
これらの言葉に先程のような怒りや悲しさは感じられない。感じられたのは純粋な懐疑心だけ。そんなはずないのに。
戸惑う僕はただ沈黙することしか出来なかった。
「私は君の何なの?」
ここで一つ言っておかなければならないことがある。私は女性が苦手だ。皆が思っているよりもずっと深く。
もちろん過去の経験からであるが、その話は別の機会に。払拭されることなく現在も尚、私に纏わりつく呪いの一つである。
当時の僕はかなり悩まされていた。
そんな中にありながら彼女には魅了された。
枯渇していた感情が湧いてくる、いつかに捨てた神や運命を信じる心が還ってきた気がした。
しかしどこかで女性である以上信用しきれない部分があった。故に距離を保っていたかった。
近づきすぎると傷つくのは僕だから。そして必ず彼女を傷つけてしまう。
こういうのを山嵐のジレンマというのだろうか。
これは彼女に関係のない僕の我儘でしかない。
先を望む彼女にとって綺麗事でしかないことは分かっていた。彼女の為という建前を、自らの本音と履き違え、そんなを体裁の良い言葉を平気な顔で撒き散らす。
僕は自己保身の責任を他人に向けることで善人を装うただの屑だった。
話を戻そう。この時の僕の頭の中を巡っていたのは彼女の問いに対する答えではなかった。この関係に変化があることに対する恐怖が僕を埋め尽くした。
彼女の問いの答えはあまりに明確だったから。
楽しかった。女性と出掛けたりご飯を食べたり、他愛の無い会話をするのが。
そんな風に感じてしまったのはいつ以来だろうか。
けれど、どれも彼女からの好意が前提になければ存在しない時間である。
その好意が溜まり、形を変え、彼女という枠を越え向かって来る。
周り諄くされど一直線に、僕が必死に隠したはずの脆弱な境界へ。
付き合いたく無かった訳ではない。寧ろ、付き合えたらどれだけ良いかとさえ考えていた。
女性が苦手で先の見えない暗雲立ち込める僕に一筋の光明を差してくれた彼女。
彼女だから行動できた、彼女だから好きになれた。そうとしか思えなかった。
その光を信じきれない弱い僕。
そんな僕さえも変えようとしてくれた。
その機会をくれたのだと思うことにした。
言葉が出ない。僕の感情を伝えるための言葉が。
僕が口を開いたのはそれから40分後だった。
「…好き……なんだと思う…。」
「ん、知ってる。」
この瞬間僕はもう1度彼女に恋をした。
彼女の顔を見ると笑っていた。ずるいよ。
可愛らしさと美しさを兼ね備え、大人の余裕を感じさせる上品な儚さを演出する。
そんな一生忘れる事の出来ない笑顔で僕を見ていた。
「私もだからね。」
硝子玉のように丸々と透き通った瞳で僕を見る。
その後自然と付き合うことになった。
彼女は幸せそうに僕にくっつく。先程までの張り詰めた緊張感がまるで嘘のように無くなっていた。
記念日は今日だねとか一緒に何がしたいかなとか、嬉々としてそんなことを話す彼女。
その横で僕は自分の感情に整理をつけるため躍起になっていた。そして彼女を家までの送る帰り道、僕はそっと胸ポケットの煙草を捨てた。
うれしい。
そんな明瞭に思える言葉でも、よく知れば複雑な感情。
シンプルでありながら形容し難い。多くの思慮を巡らせたが最終的に感じたのはやはりうれしいだった。
憧れの人と付き合えたのだから当然である。
突拍子も無い幸福の侵攻に可笑しくなっていたのだろう。
いつもの景色が碧く青く、鮮やかに見えた。
玲瓏たる太陽にあの鬱陶しさは感じない。
本当にこんな事があるのだと、これが「青春」かと、そんなくさいことさえ考えてしまう。
しかし、この「青春」は燦々と彩られる碧さだけでなく、未熟であるという意味の青さを包摂することを僕と彼女が知ることはない。
きっと彼女は分かっていたのだろう。僕が知っていることを。知っているうえで知らないふりをしていることを。
だから逃げ場を無くしたのだ、彼女は変化を望むから。
緻密に練られた計画的犯行であるかのように、迅速かつ着実に僕は追い込まれていた。
ずっと彼女を追っていたから、いつの間にか追われ、試されているのが自分になっていたことに気付けなかった。
彼女の静かな策略は見事に僕を背中から丸呑みにした。
これは彼女にとっての予定調和だった。
ここまで僕と彼女の馴れ初めのようなものを長々と書いてきた。
人は恋をすると詩人になるという。
まさにその通りだと思う。
まるでドラマみたいだ、そんなことを考える。
順当な滑り出し、一難去って又一難。避けることの出来ない問題、迫られる決断。そして結ばれる2人、創られたハッピーエンド。下げて上げる、お涙頂戴的な、言ってしまうならベタな展開である。
寧ろここまで山あり谷ありの方が珍しいのではないか。
今思えばこの時から始まっていた。
この先辿る、醜く足掻き続け、傷つき、傷つけ、多くを失う結果となる、茨の道が。
成長か堕落か、昇ったのか堕ちたのか。上がって下がる、運命を感じた2人を待つバッドエンド。
僕は虚しさと心中するだろう。
トゥルーエンドが何だったのか、それが知りたくて思い出し事細かに綴れば分かると思った。
しかし淪落した私にはもう分からない。
抑々そんなもの必要ない、或いは存在しないのかもしれないとさえ考える。
第2部へつづく…
ここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございます。
もう少し続きます。掲載した際によろしければまたご覧ください。
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