#96 アンデル 最後の登城
城の裏門に着くと、イズベルを乗せた車と進路が別になり、私は彼女を見失った。
どうか無事でいてほしい。
祈る私を人目を避け城の裏手で出迎えたのは、レクト・メイズだ。城に入る前に、改めて持ち物の検査を受けるよう促す憲兵を制止して、彼は私を城内へ誘った。手荒な取り調べを覚悟していたので、面食らう。
「クラウシフのことは、残念だった」
人目がなくなると、突然のお悔やみの言葉をもらった。私は小さく「はい」と返す。そんな簡便な言葉で、兄の苦悩を、苦痛を片付けないでくれ。湧き上がる言葉と涙を震える吐息に変えて、私はなんとか自分を抑える。いつ決壊してもおかしくないくらい、過敏になっている。
人気のない廊下で立ち止まり、レクト・メイズは供の者もなしに、私と向き合う。
「陛下は、次のシェンケル当主となるお前との面談を希望している。クラウシフが亡くなって数日、毎日シェンケルに登城を打診してきたが、家宰から、当主の体調がすぐれないと断られてきた。今日はついに迎えを出したが、屋敷にいないということでお前が逃亡したのかもしれないと、探しに人をやったようだ」
「昨日まで寝込んでいました。きっと家宰が気を回してくれたんでしょう、休めるようにと。あまり体が丈夫ではないのです」
「なぜ、ユーバシャールの敷地にいた?」
「……人に会いに」
レクト・メイズは私の真意を確かめようというのか、じっとこちらを見つめてくる。
「魔石を持っていると報告が上がっているが、それは?」
「陛下がおっしゃるとおり、兄に陛下が下賜してくださった魔石です」
「見せろ」
ためらったが抵抗しても無駄だと、懐のものを取り出して手の平に乗せた。ころんとした滑らかな青い石に、しかつめらしい顔をしたレクト・メイズが映り込む。
クラウシフの死因を知っているだろう彼なら、一発で、この魔石がクラウシフにヨルク・メイズから下賜されたものではないとわかるはず。傷一つない完璧な魔石。観賞用という証明がない限り、武器・兵器に準ずる危険物である。中に魔族が仕込まれている可能性もあるのだから。
「陛下からの賜り物、くれぐれも丁重に扱うように」
てっきり取り上げられると思っていたのに、彼はそうせず、踵を返した。どうしてと問いかけていいのかわからず、私は遅れないよう、愚直にその後ろを追いかけた。
「いいかアンデル・シェンケル。陛下には逆らうな。そんなことをすればクラウシフのように全てを失う。その覚悟がお前にあるか?」
「そんなもの……」
兄の死の悲しみにひたる時間さえ与えられず、未だ自分の身の振り方を決めかねている私に、どうしろというのだ。
ただ、クラウシフの最後の手紙の言いつけを守り、ハイリーの手紙の最後の言葉を実現するためには、慎重な立ち振舞いを心がけなければいけないのは理解している。しくじってヨルク・メイズの不興を買えば、死が待っている。私が死ねば、甥たちはどうなることか。
「前線から急報が入った」
廊下を律動的に歩みながら、レクト・メイズは前を向いたまま続けた。
「昨日、国境の結界がゆるみ、交戦中だったイスマウル軍ともどもプーリッサ軍は魔族に襲われた。たくさんの部隊が壊滅したらしいが、中でも激しく応戦したユーバシャールの者たちは、将軍含め全員、戦没したと報告が上がってきている」
「え……?」
歩みを止めた私を待つように、数歩先でレクト・メイズが足を止めた。
「……ハイリーは?」
「死んだ」
レクト・メイズは眉一つ動かさない。
「遺体は混乱の最中に見失われたそうだが、死ぬ直前、ハイリーは魔族化しているところを目撃されていた。お前もシェンケル当主なら知っているだろう、ユーバシャールの受け継いだギフトの弊害を。
軍でユーバシャールは魔族だという糾弾があって、速やかにプレザのユーバシャールに縁ある者を捕らえることになった。国を守る立場にありながら、魔族の血を隠してきたのだから処刑しろという声があがっている。まずは、釈明を聞く予定だが、残念ながら、さきほどイズベル・ユーバシャールは、城に到着する前に自裁したとの報告があった。フィトリス・ユーバシャールの妻や弟夫婦もじきこちらに連れてこられるだろうが、そちらはなんとか無事に確保できるように、配慮するつもりだ」
なにか、眼前の男が言っているが、その言葉は私の耳を素通りしていく。
自分の呼吸音が大きく聞こえる。それしか聞こえなくなる。
ハイリーが、死んだ。
ハイリーが。
◆
どうやって歩いたか記憶にないが、私はヨルク・メイズの執務室で、レクト・メイズの隣に座っていた。
大きな机の前に置かれた、応接セットに腰をおろしているのだ。
ヨルク・メイズはこんな顔をしていただろうか。縦長な顔で、横長の輪郭で。
こんな声だっただろうか。間延びしているようで性急で、耳障りでいて癒やされる。
「兄を喪って、気が滅入っているだろう。だが心配はいらない、クラウシフは息子のようなものだ。つまりお前も私の息子のようなものだし、お前の甥たちは私の孫も同然だ。困ったことがあれば相談しろ」
「ありがとう存じます」
「ところで、耳にしているかもしれないが、ユーバシャールが余計な置き土産をしていった。隠し通さねばならない秘密を、あのハイリーが死に際にぶちまけていったそうだ。稀代の英雄になるかと思いきや、とんだ期待はずれだ。魔族の襲来くらい軽くさばいてみせるものとばかり思っていたのに、荷が勝ちすぎたようだな。これでは今までのユーバシャールの勇士たちは、斃死も同然」
「陛下はハイリーを試されたのですか」
「試すなんて人聞きが悪い。英雄に押し上げてやろうとしただけだ。魔族の大軍はそのための演出でしかない。
英雄がいる国は強いからな。プーリッサのような小国がここまで保ったのは、ひとえに、建国の三英雄の存在があったからだ。ハイリーには、新たな英雄になるにふさわしい資質があった」
「結界を故意に解いたのですね」
クラウシフが予見していたことだ。
ヨルク・メイズは口の端を上げたまま、肩をすくめた。
「いいや。長く全力で結界を維持していたせいで、一時的な魔力切れを起こしただけだ。わざとだなどと言ってくれるな。こうして休んでいるのは、魔力が回復したら地下の神殿にこもるためだ。前線の兵士たちには苦労をかけるが、なに、クラウシフが遺したマルート鋼とやらの武器がある、メイズの結界などしばらくなくても問題ないだろう」
――マルート鋼製の武器だけでは未だ国防は担えまい、暗にそう示しているのだろうか。このひとは、やれるものならやってみろと、死んだクラウシフに、そして彼と一丸になってマルート鋼の輸入を推し進めた政敵たちをせせら笑っているのか。
大きな魔力を使ったあとの体の反動は、私も体験したばかりだったのでよくわかっている。――このように悠長に話している余裕など、ない。だがそれを問いただしたところでなんの意味があるだろうか。
「レクト閣下に結界を代わりに張っていただくことはできないのでしょうか」
「残念ながら、メイズの能力は、土地との契約が必要になる。その土地に縛られる。土地は術者に縛られる。契約のない別の術者が同じ場所に結界を張っても、正規の術者の魔力の残滓と打ち消し合って機能しない。排他的な能力なのだ。つまり私が居る限り、レクトにはこの国土を守護する結界は張れぬ」
「陛下、無理を申し上げているのは承知です。……何卒、結界を一刻もはやく」
「魔力切れでできぬと言っているのに。お前は案外融通がきかなくて頑固なのか」
「陛下、お願いいたします。どうか」
にやにやとヨルク・メイズは私を見やる。
どこまで本当なのだろうか。
……それは、私には関係のないことだ。
この人がハイリーを殺した。
クラウシフを殺した。
イェシュカの想い人だったビットを殺したのもこの人だ。
たぶん、この先も無邪気にたくさんの人間を殺すのだろう。蟻を踏みつけるようにして。今まさに、前線の戦士たちはこの人の気分次第で生きるか死ぬかが分けられている。
「さてアンデル、話を戻そう」
私の頼みなど、蚊の羽音より無害だ。ヨルク・メイズは脚を組み替え、肩をすくめた。
「ユーバシャールの手落ちで、この先、三英雄の求心力は地に落ちるだろう。いや、もう三英雄と呼ぶべきではないかな。
メイズとシェンケルは、互いに協力してこの難局を乗り越えなければならないと思わないか。ついては、我が孫娘とクラウシフの子――長子がいい――の縁組を提案する。
英雄たちの末裔が手をとって歩みだして、この国を導こうじゃないか」
晴れ晴れした顔でこの国の展望を語るヨルク・メイズの目はきらめいている。
我が家の庭先で剣を打ち合っていたハイリーとクラウシフのように。ビットと見つめ合っていたイェシュカのように。実父に話しかける甥たちのように。
シェンケルと婚姻させるということが、自分の孫娘にどのような未来をもたらすかなど、些事か。
私は、懐から青い石を取り出した。立派な魔石。おそらくは以前この部屋に飾られていた、二対の魔石の片割れ。
それを見て、ヨルク・メイズがきょとんとした顔をする。なぜそんなものを持っているのかというように。私は思わずレクト・メイズを振り返ったが、彼は動じた様子もない。……そういうことか。
「陛下、兄がお預かりしていたものをお返しいたします」




