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#85 ハイリー 光降る

 からっ風に巻き上げられた砂粒が、兜にあたってかすかな音をたてた。おそらくそれは気のせいだ。周囲には音が溢れている。風の音、人と馬の呼吸音、馬の蹄が立てる足音にいななきの声。


 太陽の照り返しの強烈な平野の先に、帯のように広がっているものがある。大蛇の胴体を彷彿とさせ、蠢動しているようにみえるそれは、時折、しろがねに輝く。地響きをたて、じわじわ距離をつめてくる。

 イスマウル兵(侵略者)たちだ。


 突撃の号令とともに最前列の騎兵が飛び出し、その後塵をくぐり抜け敵兵に接近する、わずかな時間。自軍の鬨の声の肌を震わせる心地よさに酔いしれて、一挙動が間延びしたように感じた。


 その次の瞬間、私は敵陣に到達した。盾を持つ最前列の歩兵を踏みしだく。


 脇に柄を掻い込んだ矛で、敵兵の喉元を切り裂く。横一線に薙ぎ払えば、斜め下で蠢いていた歩兵が、空を仰ぐようにしてくずおれる。倒れ際、懸命に剣を振りかざした勇者の兜を刃先で弾き、無防備になった鼻筋に矛を叩き込んだ。硬いものを貫いた後、急に刃の通りが良くなる。その感覚を篭手越しにもはっきり感じ取れるということは、腕の調子も上々。いや、良すぎるくらいだ。握力も、精密動作もいつも以上。


 勢いそのままに、敵兵の体を地面に縫い止める。木から落ち外皮が割れた果物のように、ばちゃ、と血が乾いた土に広がってすぐに染み込んでいった。


 誰かが叫んだような気がした。プーリッサの魔女だ、と。


 魔女で結構。もっと怯えろ。この場から逃げ出せ。追いはしない。


 私の周囲を守るのは、長年ともに戦ってきた精鋭たちで、対応もよく心得ている。あえてむごたらしく殺戮する。動揺を誘って、相手を烏合の衆にする。


 もっとも近い位置で戦っているサイネルは、この十数人の精鋭のなかで一番膂力に劣るが、やりかたは巧みだ。わざと息のあるものを残して逃げ帰らせ、その恐怖を伝えさせる。……もしかして、ただたんに実力が足りなくてとどめを刺す前に逃げられているだけか? 本人に聞いたところで認めなさそうだ。


 歩兵の集団に突撃してある程度削ったら、脚が鈍る前に後退し、陣形を整えて再突入する。数で圧倒的に劣るプーリッサは、正面衝突を避けなければならない。だからこの戦法が最良にして唯一。

 それだって、プーリッサ側にもじゅうぶん過ぎる損害がある。我が隊の犠牲者も魔族討伐のときと比べると二割増しだ。


「隊長、来たぞ!」


 部下の注意喚起で振り返った先に、この周辺を固める歩兵とは明らかに装いの違う連中がこちらに向かってきていた。騎兵。全身くまなく厚い鋼鉄製の鎧に覆われた重武装だ。これまた重そうな柄まで金属の長槍や大剣を構えて、脇目も振らずこちらに向かってきている。この見るからに重量物な鎧や武器を持って峻険な山を越えてきたのだ、その苦労が忍ばれる。荷引き馬の。


「やあプーリッサの魔女、その後調子はどうだ!」


 親しげに問いかけながらも大上段から槍で切りつけてきたのが、向こうの隊長だ。兜の下からのだみ声では年齢も顔貌もはっきりわからないが、実力はたしかだ。私の左腕をちぎってくれたのはこの男だ。

 

 イスマウルの精鋭の重騎兵、それを預かっているのがこのファールストらしい。三日目の奇襲から、我が隊への対抗措置としてこの男の部隊が置かれるようになった。


 くそ、面倒くさい相手がきた。この男、口数が多くてうるさいのだ。


 無視して繰り出した矛は、ファールストの喉元に刺さる直前に、槍の柄で弾かれる。矛を引き寄せ柄を短く持ち直し、ファールストの懐めがけて飛び込んだ。愛馬ダールトンが、相手の黒毛馬に正面からぶつかりいななく。馬上でもわかる長身のファールストに、体重をかけて上から押し込まれたら、私はひとたまりもない。だから競り合いは短く、相手の隙を生じさせるだけにとどめた。


「ほうほう、すっかり本調子というところか、よかったよかった! 腕が再生したときは、すわ魔族の仲間かとうっかり後退したが、違うらしいな、祝福を受けし者よ」


 あと二日。プレザの文官たちの報告ではあと二日だ。それだけしのぎきれば、形勢が変わるはず。覆せない状況へ相手を追い込める。

 だからここは相手の首をとらずとも、無事に退却しきるべきだ。幸い、ここにこの男を釘付けにできれば、他の部隊がもろくなっているイスマウル軍を削れる。のらりくらりと躱し続けるが利口というもの。


「それにしてもまさかお前が、プーリッサ建国の三英雄とやらの末裔だとは! 女だてらに軍人とは、よっぽどプーリッサは人材に困窮しているのか? それともお前が、他の女たちのように男に仕えるのが嫌なじゃじゃ馬だったのか? いやまて、もしや男に見向きもされぬ醜女なのか? どれ、その顔を見せてみよ、嫌がらなくてよい、オレは守備範囲は広いほうだ。なんならオレがもらってやってもいいぞ、強い女は好きだ」

「私は殺す相手が醜男でも美男でも興味はない」


 挑発に乗るなよ、とサイネルに後から怒られそうだ。

 つい、口の端があがってしまう。

 殺して犯して奪って。その単純明快さがちょっとだけ好ましい。相手の裏をかくようなことが、私はたぶん苦手なんだ。


「ははは、声は悪くないじゃないか。俄然お前の顔に興味が出てきたぞ、ほれ、兜を脱いでみろ」

「脱がせる気概のない男の前で、自分から素顔を晒す気はないな」

「なるほど」


 ファールストは楽しそうに声を張り上げ、刺突を繰り出してきた。身を捻って避けるが刃先が肩当てにかすって、きいきい嫌な音がする。


 円を描くように威嚇するダールトンに足を任せ、切り結ぶ。相手方の膂力任せの振り下ろしをいなし、小手先だけの小競り合いののちに本命の切り上げ、横から払われる前に引き寄せての刺突。どれにも致命傷を負わずに対応してくるファールストは、やはり手強い相手だ。


 イスマウルは飢餓にあえいでいると聞いたが、この男や周辺の精鋭にはそれはあてはまらないようで、みな体力にも精気にも満ち溢れている。体力で劣る私は、引き際を誤らぬようにしなければ。また腕を切断されてはたまらない。


 切断された左腕の肘あたりが疼いた。ぎゅっと柄を握り直し、ファールストの股めがけて刃先を繰り出したが、弾かれる。


 その衝撃でも、私の左腕はちゃんと矛の柄を捕まえていられた。

 手の甲に生えた鱗が篭手に擦れる違和感も、一瞬で消える。いける、と再確認し、手首を返してファールストの顔を切り上げる。ぱっと血が飛び散って、目深に降ろされていた鉄の兜が宙を舞った。


「くく、先にやられてしまったか」


 額を割られておきながらなんでそんなに楽しそうなんだろうか。兜の下にいたのは思っていたより年かさの、たぶん五十年配の男。頬骨が高くやけに目が大きく、お世辞にも美男子とは言えないが、はつらつとした表情のせいか嫌味は感じない顔立ちだった。


「ますます、お前の素顔を見ずにはいられなくなったな! 今日じゅう、蹴りをつけろと総大将のお達しだ、嫌でも今日は素っ首いただいて帰るぞ、プーリッサの魔女! おまけに体ももらってやる」


 今日という期限を持ち出したのは、カマかけか? それとも理由はない?


 突進してきたファールストをいなし、背後をとるように回りこむが、たくみに体勢を整えられて、うまくいかなかった。また柄同士を打ち合ってにらみ合う。


 ――あと二日。明日の夜には、西の街道を渡ってこちらに向かっているマルートの援軍が、ここに到着する。


 星霊花の群生地は、彼の国との共有資産という扱いになっている。そしてマルートはマルート鋼の生産に不可欠なこの花を、なんとしてもイスマウルにわたすなといい、援軍を渋らなかった。魔族相手ではない戦闘であれば、マルート軍の新兵器を思う存分試せる、という魂胆もあったのだろう。あそこの国はもっと南の国に新兵器の輸出を検討しているらしいから。


 マルートの最新鋭の武装を整えた援軍が到着すれば、イスマウルは退却を考えるだろう。経済成長目覚ましいマルートは、長期戦にはうってつけの物資の豊かさを武器にしている。同盟を結んでいる同様の国々の援助も背後にある。


 死の間際のクラウシフが、宰相を通して、マルートの懇意にしている相手に、万が一があったらと連絡をとっていた。越権行為に近いそれを、宰相は追認したというから、おそらくはクラウシフと同意見だったのだろう。


 残り二日。二度の日の出を迎えれば、この戦――大勢の命をかけたヨルク・メイズの茶番劇だ――も終わりだ。


 そうしたら。私は前線を退く。魔族化のはじまったこの身をどうしようか結論はでていないが、争いの火種になる気は毛頭ない。この戦が終わってから、身の振り方はじっくり悩めばいい。……アンデルに会いに行ったとき、変貌ぶりに驚かれないといいんだが。それだけが悩ましい。


 ――これだけ人を殺して派手に立ち回ったんだ、もう満足だろう、ヨルク・メイズ。


 もしまだ流血が足りないというのなら、目の前の男を捧げるとしよう。ヨルク・メイズ好みの、派手な剛の者。


 眼前に迫っていた槍の刃先を避けずに、私はそのまま前進した。頬骨にあたってわずかに軌道の変わった槍は、耳たぶを切り裂いて顔の横に流れていく。がん、と音をたて兜が吹き飛んだ。



「なっ……あ……」


 脇の下に矛の刃をめり込ませたファールストが苦悶の声を上げた。この男は、私が、通常なら致命傷になりかねない一撃を、避けもせず受けるとは思わなかったんだろう。長年の経験で染み付いてしまった振る舞いが仇となった。


「隊長!」


 私の兜が吹っ飛んだのを見て慌てたらしいサイネルが、自分の切り結んでいた相手をどうにかやりすごして駆けつけてきた。

 

 ぐり、と柄を回し刃先を抉ってやると、ファールストの巨躯が痙攣し、持っていた槍を取り落とした。もう意識は朦朧としていたっておかしくない。ところが、彼はぐいと馬の上でなんとか体勢を整えると、苦し紛れか笑みを作る。引きつった口の端から血が垂れている。


「なんと……まさに、魔女、だったな」


 どういうつもりかわからないが、こちらに手を伸ばしてきたから、私はそれを切り落とすため矛を引き戻した。


 ざわ、と首筋が粟立つ。悪寒が走ったのだ。


 ファールストの手を掴み、馬上で傾いでいたその巨躯を引き寄せる。ずり落ちながらの「え?」という間の抜けた声が、彼の最後の言葉になった。


 ファールストの顔面が爆ぜる。右肩が爆ぜ、その馬の首が半分に抉られる。

 地面に黒々した影を落とし、上空をなにかが猛烈な勢いで横切っていった。それを追いかけるように、あちこちで悲鳴があがった。馬のいななき、破裂音、そして恐慌に陥った兵士の声。


「光蛾だ! サイネル、全軍撤退!」


 空を覆う密度で、青白く光る馬ほどの大きさの巨大な蛾が、北の空から襲来していた。そいつらが時折落とす鱗粉の塊のようなものは、着弾すると爆ぜ、鉄の防具ごとイスマウル兵の体を爆散させていく。


 盾にしたファールストの体を投げ捨て、ダールトンの手綱を繰って全速力で離脱する。


「なぜ光蛾が? 今日は魔石の散布はないはずなのにっ」


 退却命令が広がっていく中、私に追いついたサイネルが悲鳴のような声をあげる。そもそも虫のほうの蛾が嫌いな彼には、見るだけで怖気が走る魔族だ。


 そういう私も、止まらない寒気に自分を叱咤した。これほどの数の魔族の出現は、今までに遭遇したことがない。


「わからんが、次元の裂け目が緩んだのかもしれない。今はあいつらを相手する備えがない、まずは結界まで退くぞ!」


 くそ、まったく想定しなかったわけじゃないが、このタイミングで魔族が沸くとは。マルート鋼の鎧をまとっていても、光蛾の爆撃はやっかいだ。

 ちらりと振り返ると、光る蛾が飛び交う北の空の下、もっと背の高いなにか――周囲の兵士より明らかに大きな影だ――が蠢いているのも見える。定かではないが、もしや他の魔族も出現しているのではないか?


 背後は阿鼻叫喚だった。隊列や、敵味方の区別などない。みな突然の魔族の襲来に混乱し恐怖し、統率も取れずに逃げ惑っている。そんななかで、我が隊は七割ほどの隊員がきちんと集合してきていた。今回は騎兵だけを率いてきた上、退却が速やかだったのが幸いしたか。


「隊長……あいつら、結界を越えてくる」


 並走していた部下が振り返って呆然と告げる。

 彼の言うとおりだった。不可視の結界が本来あるはずの線を越えても、当然のように光る蛾が追いかけてくる。すべてだ。一匹もその進路を妨害されずにまっすぐこちらを追ってくる。


 どういうことだ? 結界が――ない? 山脈寄りの第一結界をヨルク・メイズが気まぐれに緩めることは想定していたが、国土への魔族侵入を遮蔽する第二結界も完全に取り払ったというのか。これではもう、プーリッサは丸裸だ。


 舞台は派手でなければ。そうヨルク・メイズが両腕を広げて哄笑する姿が脳裏に浮かんだ。どこまでやれる、ハイリー・ユーバシャール。そう問われているとしか、思えなかった。


 私はサイネルに怒鳴った。


「サイネル、進路を変える。このまま光蛾を迎撃するぞ!」

「しかし、弓は数も少なく」

「このままでは基地が襲われる。基地に伝令を出せ、大至急だ。結界が破損している、迎撃のために全部隊をマルート鋼で武装させて出せ、と」


 サイネルがさっと騎首を巡らせ離脱し、私はそのまま兵を率いて方向を変える。

 すでに混乱から立ち直って、私の命令どおりに方向転換する部下たちを頼もしく思いながら、彼らのうち何名が生き残れるか、そんな余計なことを考えた。


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