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#77 クラウシフ 勤労報酬

 翌日俺は、自室の机に向かって書きものをしていた。遠方にいるドニーに、手紙をしたためていたのだ。ドニーとはもともとそれなりに親しかったが、今では『最も』親しい友人になったように思う。俺が彼に頼りきりな部分もあるが。


 イェシュカのことがあって、チュリカの情報を集めてもらったとき、彼はかなり無理をしてくれたらしい。

 どうしてそこまでしてくれるのかわからないが、その頼もしさに甘えてしまいたくなる。


 今日はいい天気だ。窓の外は抜けるような青空で、風も強くない。庭木が濃い影を地面に落としている。それを二階の窓から見下ろし、一息ついた。


 アンデルは図書館へ行き不在で、子どもたちは三人揃って庭を駆け回っている。ユージーンが双子の前で、家庭教師に習ったばかりの剣の握り方を実演しているのが見える。


 書き終えた手紙に封をして、あとでバルデランに渡すとして。


 俺は宝石箱から家宝の首飾りを取り出した。

 手の中で、光を帯びていない琥珀色の石を矯めつ眇めつする。


 果たして、ハイリーを納得させることができるだろうか、俺は。


 フィトリスは明日、プレザを出て前線基地に戻るという。そしてハイリーに婚約のことを告げる。一度、俺と話すように仕向けてくれる手はずになっている。

 そのとき、俺はヨルク・メイズの企みやこれまでのやらかしを、すべてハイリーに話すつもりだった。当然、シェンケルの事情も。それで、ハイリーが俺の話を聞いて、一緒にメイズの企てを阻止すると言ってくれるのは……可能性としては五分以下、だろうか。


 どうしたって、俺がイェシュカを殺しちまった、その原因を作ったことには変わりない。それを正直に話したとき、ハイリーはきっと俺を軽蔑する。俺の感情は抜きにして、そこは仕方のないことだ。だがそこで止まってはいられない。説得しなければ。


 昨日、時間をかけて準備した計画も説明しなければならない。

 メイズが、シェンケルに課している妻の精神操作の判別方法は、首飾りの輝きの確認に頼っている。魔力の感知に優れていると言っても、『誰が』『何に対して』『どんなギフトを行使したか』の詳細まではわからないだろう。実際にそうかは、近日中にレクト・メイズに尋ねてみる予定で、想定内で済むことを祈るばかりだ。


 家宝の首飾りを輝かせるのは、魔力であって、シェンケルのギフトに限定されない。それは昨日、フィトリスに試してもらって実証済みだった。


 フィトリスが回復のギフトを発動させるとき、やはり首飾りは光った。

 

 俺は、フィトリスに、手の内にかみそりやら針やらを握り込んで常に体を傷つける方法と、死なない程度の毒物を摂取する方法を試してもらったのだが、安定して石を輝かせるのは後者だった。子供だまし、めくらましだが、いっときヨルク・メイズを騙せればそれでいい。老眼のおかげでころっと騙されてくれりゃいいが。


 それにしても、「ようハイリーちょっくら毒飲んでくれないか」というのは我ながら狂気じみた依頼である。それをしなければならないのだから頭が痛い。いっときとはいえ、苦しい思いをさせるのかと思うと、気乗りしないが仕方がない。心を操るよりは絶対にいい。ハイリーもそう思ってくれりゃいいが。


 やれやれ。


 深くため息をついたときだった。門前に、車が一台停まるのが見えた。観察していると、身なりの良い男が下車し、出迎えた下男になにかを告げた。下男は、彼を連れて玄関の方へ戻ってくる。


 来客に気づいた子どもたちが、興味津々で後ろをつけているが見えた。失礼のないようにな、と心のなかで呼びかけながら、俺も立ち上がった。


 誰が一体何の用だろうか。


 玄関ホールに出ていくと、ちょうどその客が入ってきたところだった。壮年の、襟の高い上着を着たその男は、白くなった髪を後ろになでつけ、良い姿勢で俺に礼をした。

 応対しようとしていたバルデランが俺を振り返る。


「クラウシフ・シェンケル殿、ヨルク・メイズ陛下の使いで参りました。お祝いの品を」

「祝い?」

「ご婚約のお祝いです。この度は、おめでとうございます」

「……ありがとうございます、と陛下にお伝え下さい。後ほど、直接御礼を」

「伝言も賜っております。『貴殿の働きに、ねぎらいを。これまで、よくやってくれた』とのことです」

「はあ、どうも」


 どういう風の吹き回しだ?

 疑う心でその男に礼を返す。

 だが、その男は肝心の祝いの品とやらを携えていないように見えた。手に、ビロードの布だけを持っている。なにかを包んでいたのか。

 

 俺の視線に気づいたようで、男はにこりとした。


「ご令息たちが興味津々だったので、預けました」

「げ。ぶっ壊されたら陛下に申し訳がたたない」


 というか、妙な因縁をつけられたくない。


 俺は男の横をすり抜けて、半分を開放している観音開きの玄関ドアをくぐった。男も着いてくる。すれ違いざまに彼の腰にぶらさがった立派な一物()に目がいった。さすがというか。なんというか。帯剣したまま他人の家に踏み込んでくるとは、やはりヨルク・メイズの使者だなあ。当たり前のように、愉快な気分にはならない。


「おとうさん! おじさんからもらったよ! ありがとうってちゃんとした!」


 双子の兄のジェイドが誇らしげにそう言って、弟のジュリアンが伸ばした手から、美しい象嵌(ぞうがん)の箱を遠ざける。その様子を見て、長男のユージーンが止めに入った。


「ジェイド、落としたらだめだよ」

「おにいちゃん、それぼくがおとうさんにあげるの。はい、おとうさん」

「あー、いいからジェイド、それはそのまま……」


 ――そっと持っていろ。落とすなよ。

 

 出かかった言葉が、喉で凍る。

 三人がもみ合った結果開いた箱には、青い輝き。魔石だ。それは、傾けられた箱から転げ落ちて、地面にぶつかる。


 かん、という高い音がして、石が割れ、子どもたちが呆然と立ちすくむ。その眼前で黒い煙とも霞ともつかないものが噴出した。


 ぶくぶく膨らんだ青白い肌に、べったり黄色っぽい液体を含んで皮膚にまとわりつく、髪のような黒い体毛。水死体みたいな不気味な様相をした魔族が、顕現した。頭の片隅で、はるか昔にハイリーと図鑑で確認した魔族の通称を思い出す――悪霊と呼ばれる種だと。


 あのときと同じだ。アンデルが死霊を呼び起こしてしまった日と。違うのは、呼び起こしたのが俺の子どもたちで、俺は――剣を佩いてない。


 咄嗟に俺は振り返り、ニヤケ顔をしていた元客の襟首を掴んでいた。まさかそうくるとは思わなかったというのか、男は「ひっ」と息を呑み身を固くした。その体を悪霊に向けて突き出す。脚をもつれさせた男は、悲鳴をあげる暇もなく、首を悪霊にへし折られた。枯れ枝を踏み折ったときに似た、軽くてちょっと湿った音がした。


 男の体が痙攣しながら後ろ向きに倒れていく。その腰の剣を抜き放ち、上段から振り下ろされた悪霊の爪を防ぐ。重い一撃、剣を取り落としそうになってなんとか耐える。とっさに刃に添えた右手の平が傷ついて、ぱっと血が飛び散った。内勤ばかりで体が鈍ってる。


 魔族の一撃でも砕けず腐食しなかったその剣は、マルート鋼製だ。こんなところで自分の功績に助けられるとは。


「逃げろ!」


 硬直していた子どもたちがびくりとした。ぱっと身を翻して逃げ出したのは、はしっこいジェイドで、追いかけて転んだのはジュリアンだ。そしてそれを庇おうとして、ユージーンがなってない構えで悪霊に子供の訓練用の木剣で斬りかかる。


 ユージーンを振り返った悪霊の、人間でいえば目の位置にある暗い穴に、橙色の光が灯る。


 ああ、まったくふざけた話だ。


 『貴殿の働きに、ねぎらいを。これまで、よくやってくれた』

 

 八年の勤務への報いが、死とはね。よっぽどハイリーの快進撃を見たかったんだな、あのクソったれ国主。


 運動不足がたたった、華麗なとは絶対に言えない足さばきで、悪霊の前に回り込み、その顎の下から剣を突き立てる。同時に、胸に重い衝撃が走った。


 おとうさん、とユージーンの悲鳴が背中にぶつかる。

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