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#76 クラウシフ 最後の面会

 フィトリスにヨルク・メイズへの面会の申込みは待ってもらって、俺が先にヨルク・メイズに会うことになった。その方が、報告に都合がいいからだ。


 ヨルク・メイズは俺が自分から面会を求めたことに驚いたような(てい)で、にやにやしながら、ソファの背もたれに体重を預けた。模様替えをしたようで、執務室の様子は変わっていた。装飾品も違っている。目を引いていた机の上の観賞用のでかい魔石もなくなっている。あれはきれいだったから、ヨルク・メイズのクソみたいな話を聞いているときの精神統一用の目印にさせてもらっていたんだが。いつの間にか二つのうち一つがなくなっていたので、撤去されてしまったんだろうか。


 俺は膝の上でゆるく拳を握る。


「まずは陛下にご報告を。婚約しました」

「ほう、相手はどこの誰だ」

「ハイリー・ユーバシャールです」


 髪と同じく白く染まった眉を大げさに跳ね上げ、ヨルク・メイズは肩をすくめた。おどけた表情だ。


「ハイリーか。以前私が勧めたときは、あまり興味がなさそうだったが、どういう心変わりだ?」

「本人は未だ退官して家庭に入る気はさらさらないようですが、フィトリス殿に打診してみたところ、快諾いただけました。娘に血みどろの道を歩ませたくない親心ですね。()()()便()()()()をさせても、その方がいいとの判断だそうです。たしか、陛下はこのあとフィトリス殿と面会なさいますよね、そこできっと説明があるはずです」

「ハイリー本人は納得しているのか?」

「陛下、シェンケルの婚姻ですよ。ハイリーの意志など関係ありません」


 事実、ハイリーにはこの話はまだ伝わっていない。聞いたら激怒するだろうな。剣を持って俺の首を跳ねにくるかもしれない。次はレモン水だけじゃ収まらないだろう。恐ろしい。


 ヨルク・メイズは顎に手を当て、首をひねる。眉間にシワを寄せて大げさに悲しげな顔を作ってだ。


「そうなのか……。そうなると不安なのは国境の警備だな。聞いているだろうが、イスマウルの側に不穏な動きがある。もうすぐ議会にも案件が降るだろう。ハイリーほどの戦力がいなくなると、心もとないうえに」

「つまらない?」

「そう、つまらない。あの子がイスマウルの侵略者どもを相手取って、見事な旗頭になって荒野を駆ける姿を見てみたかった」


 そんなこと言ったって前線に行きやしないくせに。どうせあんたはこの城から出られない運命なんだよ。それを盾にとって、そうじゃない可能性は自分で捨てて、好き勝手にやってきた。やろうとしている。


「だからこそ、フィトリス殿も許可してくれたんでしょうね、この婚約を。ハイリーに危ない橋を渡らせるくらいなら、シェンケルの妻にさせたほうがいいと。

 戦力を低下させるのは国民として申し訳なく不安ですが、そこは他のユーバシャール兄弟に期待しましょう。いざとなったら、とんと姿を見せなくなった魔族が急に沸いて出てイスマウル軍の撹乱をしてくれることを祈りますかね」

「はあ……つまらんなあ。実につまらん。このすけべめ、興味ないと言ったくせに」

「別に興味がなかったわけじゃありません。それこそ、過去、一度は妻にと望んだ相手ですから憎く思うはずがないじゃないですか」

「アンデルはどうなのだ。ハイリーがお前と婚約することを、歓迎しているのか?」

「関係ありませんよ、アンデルの意志だって」


 アンデルにもまだ話していない。

 ピリオア家令嬢との結婚の話が具体的になるにつれて、ギフトを行使せざるを得ない状況に追い込まれて、塞ぎ込むようになっているあいつとは、同じ家にいながらほとんど会話をしていない。きっと、ハイリーとの婚約の話を聞いたら、あいつは凹むだろう。再起不能になるかもしれない。彼女への手紙を書いている様子を、しばらく見てない。それはけじめの意味もあるだろうが、なによりアンデル自身がハイリーへの思いを断ち切ろうとしているようにも捉えられた。


 あとあと、なにか手を考えなければならない。アンデルを立ち直らせるようななにかを。


 俺の返答に、諦めがついたのか。それとも別の悪巧みが思いついたのか、ヨルク・メイズはあっさりと「では次の妻とは末永く幸せになれるよう、祈るとしよう」という最大級の嫌味をくれて、そっけなく退室を促された。


 

 ハイリーに殺されるのは避けたい。

 自分の頭の上で勝手に婚約成立したと知られれば、八つ裂きにされちまう。

 だが、話せばわかる……と思いたい。なにもあいつだって、自分が争いの火種になっても構わないとは思わないはずだ。


 俺は城から帰宅し、夕食を軽く摂って、寝かしつけられた子どもたちの様子を確認していた。


 双子はとっくに寝付いていた。俺が部屋のドアを開けたところで無反応だった。並べたベッドの上で、左右対称の寝相を披露している。変なところで同調するのは、双子ならではなのだろうか。


 隣の部屋のユージーンは、蹴っ飛ばしてベッドからずり落ちてしまったらしい毛布をかけてやると、うっすら目を開いたが、すぐにまた寝息を立てはじめた。丸い額と柔らかな頬の線には、イェシュカの面影がある。この先成長期に入ったら面差しも変わるのだろうか。俺より、イェシュカに似たほうが幸福になれる気がするから、ぜひ母親に似てほしい。


 初等教育の対象年齢になったため、この子には家庭教師を付けている。教会にはやってない。友人ができにくいかと心配していたが、アンデルと一緒に出向く図書館で同年代の子供たちと知り合って、ときどき招待されて家にあそびに行ったりしているらしい。社交的な性格をしているようだ。同じように、年上といっつもくっついていても、ずっと引っ込み思案だったアンデルとはまた違うらしい。


 子供部屋を出て、すぐ隣の部屋のドアの前で立ち止まる。薄暗い廊下の床に、ドアと壁の隙間から、光が細く漏れ出ている。


「アンデル、起きてるか? 話がある」


 返事はない。

 そっとドアを開ける。部屋の中はひどく荒れていた。以前は整頓されているとまではいかなくとも、人の歩けるだけの床があったのに、今はない。破かれた本の頁や、丸められた紙、枯れてぼろぼろになっているがたぶん植物だったもののかけらなどが散乱している。


 奥の机に突っ伏して、アンデルは寝息をたてていた。骨ばっているのがシャツ越しにわかる肩が、規則正しく上下している。目を覚ます様子はない。疲れ切っているのだろう。ベッドから引っ張ってきた毛布を、その肩に掛けてやった。

 

 アンデルの腕の下敷きになっている書きかけのノートは、気に入らないことがあったのか、文字の上からぐしゃぐしゃ塗りつぶされている。折れた羽ペンがそばに転がっていた。


 イェシュカの死後、アンデルは学舎を卒業し、俺と一緒に城に上がって仕事をしているものの、あらゆることに積極性というものを欠くようになった。思春期に入って少しはそれが出てきたと思っていたのに。

 ユージーンや双子の面倒をみるのは変わらないが、それ以外の場面で笑顔を見せることは一切なくなったし、俺に意見することもなくなった。不安や不満がその胸中に渦巻いているのは想像に難くないが、俺には一切本心を語ろうとしない。


 はい、兄さんの言う通りにします。なにかあれば二言目にはそれで、従順なようで俺には完全に心を閉ざし反抗しているのが、近頃のアンデルだった。


 バルデランには、少しだけ、本音を話すことがあるらしい。


 ――どうしようもなく不安になって、耐えられないと思うことがある。何日も眠れず疲れ切って、それからようやく眠れるようになる。その不眠のせいか、考えがまとまらないことが多くて、近頃は好きだった読書も研究も、億劫だし抵抗を感じる。


 シェンケルのギフトの真相を知ることは、アンデルの心の負荷になったんだろう。まさか自分がイェシュカの死の原因のひとつになっているとは思わなかったに違いない。

 伝えなければよかったとも思うが、凶器の正しい扱い方はいつか教えねばならないのだ。


 その上さらに、シェンケルの儀式を強要されたことが、重い負荷になったにちがいない。


 (シェンケル)のことを軽蔑した目で見ているときがあるが、それはそのまま、アンデルが自分自身に向ける目でもある。


 苦しんでいるこいつに、メイズとシェンケルの確執や、今、ハイリーが立たされている状況をどこまで語ってよいものか。俺の抱えているものについて、まったく無関心でないことは知っている。バルデランに俺の動向を確認しているらしいから。どこで誰と会っていたか、誰から手紙を受け取ったか、さりげなく聞いている。別にバルデランが俺に報告したわけじゃない。俺にはいちいち問いかけなくとも人の記憶を見る術がある。


 複雑だろうよ。俺に反抗しつつ、俺のことを心配してもいる。もし反抗するだけなら、俺に対してギフトを行使して、頭の中を覗き込んだっていいわけだ。俺と同じレベルに堕ちるのを嫌がっているだけかもしれないが、本当に俺のことを唾棄していたら、そんな遠慮しないだろう。従順なフリでくっついてくるのも、もしかしたら俺の考えを測ろうとしてのことかもしれない。


 そんな温いやり方しかしない、よく言えば心優しい弟の扱い方の正解はどちらだ。


 すべての理由を話して、アンデルにも納得してもらうか。

 これ以上はなにも話さず、ハイリーと婚約したと結果だけを告げるか。


 どちらもアンデルのことを苦しめるだろうが、心の負荷は、俺を恨めばいいだけの後者のほうが軽いように思える。すべてを話したとしたらきっと、恐怖と閉塞感に再起不能になるだろう。


 寝苦しそうにしているアンデルの睡眠の質が少しでも向上するようにと、机の上のランプを消して、俺は部屋を出た。


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