#75 クラウシフ 当主たち
もしや、俺は駆け引きが下手なのか?
いや、そりゃあ最初っからでかい弱みありで、切り札持ちのおっさんとやりあえば、誰だってこう後手に回るだろう。
どうでもいいことをくどくど惟みつつ、俺はハイリーの父、フィトリス・ユーバシャールに連絡をとった。イェシュカとの結婚式以来の再会だ。前線基地とは距離もあるし、予定の調整が難航したが、あちらもプレザに予定があると、予想よりは早く面会の約束ができた。
何年ぶりかもわからないが、俺はユーバシャール家に赴いた。
使用人の顔ぶれはほとんど変わっていたが、メイド長の白髪の老女は変わらなかった。彼女が淹れてくれた紅茶をすすって、厳しく皺深いフィトリスの顔を見やる。
堂々たる、という言葉がぴったりな偉丈夫だ。蓄えられた髭の下の唇はぎゅっと引き結ばれていたが、俺がカップを置くとゆっくり開かれた。
「久しいな、クラウシフ。立派になった。細君の不幸、お悔やみ申し上げる。……遅くなってしまったが」
「いいえ、こちらこそ、弔辞をありがとうございました。そして、ご令息のこと、お悔やみ申し上げます」
ハイリーの兄、このフィトリスにとっては次男が戦没したのはイェシュカが亡くなる約半年前だ。
互いに家族を亡くし、喪が明けるかどうか。妙な親近感がわく。
「それで、用件はなんだ。ハイリーのことと聞いたが」
「単刀直入に申し上げますと、彼女を私の妻に迎えたい」
フィトリスは、かすかに眉を跳ね上げた。
「理由を聞こうか」
即却下されなかったことに、俺は安堵した。
フィトリスはユーバシャールの当主だから、シェンケルの事情を知っている。婚姻の申込みの理由など聞かれず拒絶される可能性は高かった。以前、ハイリーに俺が求婚したときは彼女の長兄に断られたが、あれはハイリーの体の問題でだ。もしあのとき、長兄ではなくこの人に話をもちかけていたら、きっと別の理由で断られたに違いない。――娘の尊厳を踏みにじるような婚姻をさせたくない、と。
それが今は、耳を傾けてくれている。
「イスマウルのことは当然ご存知ですよね、小父さま。あちらがわの不穏な動きのことです。おそらく、そう遠くない未来、仕掛けてくる。魔族の出現が抑制されて、今プーリッサはあちらからすると裸の状態だ」
「もちろん、それに関してはこちらも斥候を出し確認している。あちらがわの斥候が目撃されることもある。お前たちプレザの文官が思っているより、ずっと事態は切迫している」
「だからです。俺は戦を止めたい。別に愛国心だとかそんな大層なもんがあるわけじゃないです。ですが、これ以上家族や親しい人間に辛い思いをさせたくない。とくに、クソッタレな誰かの思惑でそう仕向けられるのは我慢できない」
「クソッタレ?」
試すような、確認するような問いかけに、俺は逆に質問する。
「小父さま。メイズは俺たちの味方ですか?」
フィトリスは沈黙した。こげ茶色の目がじっと俺を見つめている。
俺も沈黙していると、フィトリスの方から声を出した。
「ハイリーの剣術や戦術の師が誰か、お前は名を聞いたことがあるか?」
「いいえ。家庭教師を何人かつけているとだけは。名のある人だったのですか」
「地下に住む、最強の武人。そういえばわかるだろう?」
「……すみません、無知で」
本当に心当たりがない。
フィトリスが片方の眉を持ち上げた。
「ユーバシャールが抱えている黒い歴史について、先代からなにも聞いてないのか?」
そこまで言われてようやく思い出した。
父に聞きそびれた、ユーバシャールの秘密。最高の武門がメイズに逆らえない理由というものを。父が残した代々の当主の手記などにはそのことが一切残っていなかった。他家の秘匿事項を間違ってももらしてはいけないと、口伝にしたのかもしれない。あるいは代々詳しいことをなにも聞いてないのかも。
「ええ、なにも。黒い歴史とは」
「ユーバシャールのギフトは、諸刃の剣だ。濫用の先に待つのは、魔力枯渇によるギフト喪失、あるいは身体の魔族化」
意識したわけではないが、ごくりとツバを飲み込む音がしてしまった気がする。
魔族化。やがてあの異形たちのようになるというのか。ハイリーも?
「どこまで保つかは、個人差がある。だが大きな負傷を繰り返すほど、体にかかる負担も大きく、枯渇か魔族化の期限も近くなる。
そしてユーバシャールでは魔族化がはじまった一族の者は、前線で戦没する定めになっている。もし、魔族化する一族だと知られれば、三英雄どころか外敵でしかないからな」
「……それが、黒い歴史ですか」
「だが、これまで例外的に魔族化がはじまっても生き延びている者がいた。テリウス・ユーバシャール。ハイリーの一番の師は彼だ。もちろん、三英雄の一人と同名なのではない、本人だ。あの方は今も、とある場所の地下で生きている」
「冗談ですよね。五百年ですよ?」
苦笑した俺に、フィトリスは真顔で答えた。
「今は冗談を言い合う時間ではないだろう、クラウシフ。魔族に人間の理が適用されないことは知っているはずだ。テリウス・ユーバシャールはすでに人ではない。長きに渡って地下に監禁されている。なにをしても死なないのだ。ユーバシャールが魔族化する一族だという生き証人としてそこにいる。彼をそこにとどめているのは、メイズが張り巡らせた結界である。これで我が一族はどうにか秘密を封じている」
「ユーバシャールの恥部ってわけですか」
「そうだ」
おそらく国で一番魔族を屠ってきただろう一族が、魔族にもっとも近しい存在だとは、国民の誰も思わないことだろう。
「このことをメイズには盾にとられて、代々、ユーバシャールの当主は無理難題をきいてきた。
ハイリーが軍に入ってからはとくに、メイズの干渉がひどい。あの子も、事情を知らぬから仕方ないとはいえ、私に反抗するためにメイズの口利きを請うなんて愚かな真似をしたしな。
我が子ながら戦の才能があると思うが、自分の力を過信している節もある。そのうえ世間知らずだ。甘やかしたからな。
そしてこれを言えばあの子は怒るが、……今になっても、私は娘に平凡で穏やかな家庭を築いてほしいとも思う」
「馬鹿にしていると怒る様が想像できますね」
「そうだろう」
はじめて、フィトリスが頬を緩めた。
「だがな、それははじめから難しい話だったのだ。あの子はギフトが強すぎて子が産めぬ体。
……ああ、ハイリーから聞いたか。そうか。
そして、そう生まれついた娘は、まだ生き続けているあの方、テリウス・ユーバシャールの地下生活の無聊を慰め、その場に留め置くために、世話係として宛てがわれるのがさだめだった」
きっと、言葉通りの意味ではないだろう。人の顔色を窺うのに慣れた俺には、フィトリスの目が暗くなったのが、なんとか見て取れた。
「ハイリーはそれに猛反発してな。軍にあがると言い出したのだ。あの方もそれを許すというから、……その方がよいかと思って本人の希望を通した。女であることの不利を覆すためという名目で、あの方はハイリーを鍛え上げることで溜飲をさげ、ハイリーは運良く才能を開花させたのだが、あのような苛烈な戦い方を繰り返していては、遠からず限界がくる。ましてや、人同士の戦いとなれば、本能で戦う魔族とは違う」
眼の前の偉丈夫の顔には、懊悩の影が差していた。
比肩するもののない武の名門の当主だとはいえ、人の親だ。家族を守りたい気持ちはわかる。俺にだってある。
「実は、私がこうして前線からこのタイミングで戻ってきたのは、ヨルク・メイズに陳情にあがるためだ。
ハイリーを北軍の所属にするのはやめてほしい、というな。北軍で指揮官が負傷して退官することになって、その後釜にハイリーを据えてはどうかと提案されているのだ、ヨルク・メイズに。このままでは、戦が起きたときあの子は体のいい囮役にされてしまう」
いつだったか、北軍の将軍とフィトリスの折り合いが悪いような話を耳に挟んだが、それはまだ継続されているのか。だとしたら、彼の心配はただの杞憂では終わらないかもしれない。
「クラウシフ、お前はハイリーを妻にと言ったが、それを許可してもいい。当然、私を納得させるだけの条件を用意してきたんだろうな。当たり前だが、娘の頭の中を引っ掻き回すことを容認はしないぞ。お前の哀れな前妻のようには」
威圧的な物言いに、そしてイェシュカのことを示唆されて胸が冷えた。
だがフィトリスの言うことはもっともだと、納得して気持ちを均す。
この程度のことでは動揺もしないくらいに、俺のことをおちょくって忍耐力をつけてくれたヨルク・メイズに感謝すべきか?
「提案があります」
俺は姿勢を正して、フィトリスに向き直る。懐から、あの家宝の首飾りを取り出す。
ヨルク・メイズの悪ふざけ全般を人に説明するのは初めてで、頭の中で整理し、要点だけをかいつまんで話すのに苦労した。
なにせ八年分の長い話になってしまうからだ。話のやまは、あのクソッタレ国主が面白半分に結界を全方位に展開して戦を誘発しているところと決まっていた。




