#74 クラウシフ 悪巧み
レクト・メイズに城の外で私的に会うのは初めてだ。呼び出されたのは、首都プレザの旅籠で、界隈では最高級の店だ。広くて、うまいものを出す食堂がある。一度、アネトに招かれて来たことがあるから、迷うこともなく到着できた。
わずかな供の者を廊下に立たせ、レクト・メイズは俺と向かいあってソファに腰を降ろした。部屋には他に誰もいない。
「戦争になる」
「開口一番ぶっこみますね。お久しぶりです、閣下」
「久しいな。何年ぶりだ?」
「一年半ほど、こうしてお話していないような。お元気そうで。どちらにいらしたんですか? 会議でもお見かけしなくなって。まあ、陛下が真面目に会議に出席してくれてよかったですが」
「兄上の命で、あちこちを見て回ってきた。主に前線基地のあたりを。非公式にだ」
「非公式とは言っても、メイズ家ですよ、あなたは。もちろん、一人じゃないでしょう?」
「お前の言う通り、これでもメイズだ、魔族から身を護るすべは心得ている。だからこそ、前線基地に逗留して、国境周辺の結界の様子を確認しにいった。
兄上から命じられたのは、結界のほころびがないかの確認作業だ。以前あった西部基地周辺の事故のようなことがあってはならない、という理由でな」
「……なんのために?」
「マルートとの関係改善のため」
「それは驚きました。まさか陛下がそんなことをお考えだとは。それで、結界の様子はいかがでしたか? 近頃は魔族もほとんど攻めてこない。メイズ家はお役御免となりそうですか」
「完璧だった。……いいかクラウシフ・シェンケル。兄の結界は、ほころびなどひとつもなく完璧だった。魔族の湧き出る時空のひずみすらほとんど覆い隠せるほど、完璧だったんだ」
レクト・メイズは俺の言葉を待つように、膝の上に肘を付き手を組み合わせて顎を乗せる。
俺は、脚を組んだ。
「……では、これまで魔族が湧いて出て、我が国を脅かしてきたのはただ単純に、ヨルク陛下が……出し惜しみをしていたと? 今になってどういうわけか、本気を出そうと考えた?」
「なぜ、兄がそうしたか、わかるかクラウシフ・シェンケル」
わかるだろう、とレクト・メイズが俺にむかって顎をしゃくってみせる。
どうせ、ヨルク・メイズの行動原理なんか、自分が面白いかどうかに限られている。だから答えは「そうするほうが面白くなるから」だ。
父が死ぬ前に言っていた。
――今は、魔族が邪魔でキューネル山脈を越えては来ないが、その方法はずっと考えているだろうな。
――膨れ上がった自国民を食わせるために。
……小麦の買い占めは、食糧難だからではなくて、備えだったのか。なるほどね。
笑ってる場合じゃないのに、俺は口の端が勝手に持ち上がるのを感じていた。
ぞわぞわと背を小虫が走り回っているように錯覚する。寒気だ。
「はあ、それで戦争、ですか。大国の食料事情も相当貧しいんですね」
つくづく、どうしようもない男だ。ヨルク・メイズ。
人がつくった積み木の城を崩すのを楽しむ。壊された側の怨嗟の声も涙も、甘くてうまいものなんだろう。
認めざるを得ないのは、あの男が、事態を引っ掻き回すことに関しては、天才的だということだ。
「もともと、メイズ家には隔世的に、国境の結界を完璧に張り、魔族の出現すら抑制するだけの能力を持つ者が産まれてきた。
だが、完全に魔族を封じてしまえば、山向こうから他国が攻め入る危険もあるし、背後のチュリカから、山向こうイスマウルを攻めるための足がかりとして突き上げられることも考えられる。緩衝区以上の価値がない我が国だからな。だからこそ、国の体裁を保てるだけの魔族の出現は許すように調整してきた」
「はっ……メイズにもあったんですね、人には言えない秘密が。そんな事実が公開されたら、信頼もなにもあったもんじゃないですよ。国民の生殺与奪を調節してきていたなんてね」
魔族の襲撃に関しては、天災のようなもんだと国民もある意味納得していることだろう。そこで食っている連中だって少なくないのだから。
だがそれが作為で加減されていたとわかったら?
「問題はそこではないだろう、クラウシフ・シェンケル。このままいけば、数ヶ月でイスマウルは攻めてくる。迎え撃つのは当然、前線基地の兵士たちだ。我が国の守護者たち。
一番恐れなくてはならないのは、戦時に、兄上が気まぐれで結界を緩めたら、彼らがどうなるかということだ」
「阿鼻叫喚でしょうね。魔族と、飢餓で鬼になっている大軍勢と三つ巴だ。ヨルク・メイズ陛下好みの派手な舞台のできあがり」
「深刻な打撃を受けるのは必至。そうなれば、我が国は他からも突き上げられ、国の体裁を保てなくなる可能性もある」
「しかし、そんなことをしますか。それこそ、プーリッサが消耗するだけで、なんの得もない」
「学舎の講義で、戦術の演習があるだろう。駒をもちいて、ミニチュアの盤上で互いの陣を取り合う」
「ええ、やりましたね。懐かしい」
「お前は、ハイリー・ユーバシャールのことを兄上に話したな。兄上は『温故知新の、ハイリーの対人戦とやらを見てみたいと思わぬか。きっとユーバシャール秘伝の戦術があるに違いない。始祖テリウス・ユーバシャールが考案したような』と繰り返しわたしに言っていたぞ。先週もだ。心当たりがあるだろう」
「まいりましたね。まるで俺が焚き付けたみたいじゃないですか」
どうしてそうなるんだよ。
絶望的な気持ちになる。何をしてもあいつのおもちゃか、俺は。
「とはいえ、本当にイスマウルが仕掛けてきたら、為す術ありませんよ。あの国は山の手前のこちら側のどの国々とも親しくない。俺たちの外交努力でどうにかなるとは思えない。切迫した理由もあるようですし」
「現実的にはそうだな。だがそうゆったり構えている場合か? お前は幼馴染がどういう道をたどるか、わからないわけじゃないだろう?」
「……職業軍人ですからね」
ハイリーはイスマウル軍と交戦するだろう。
最前線に出るかもしれない。魔族相手には鳴らしたもんだが、果たして対人戦はどうだ? 創意工夫でどうにかなるのか? 彼我の戦力差は今の所想像するほかないが、国土から考えるとあちらの兵数はプーリッサの五倍以上になる可能性はある。
山を下ってくるような地の利をとられるとさらに不利だし、かといって先手必勝、山越えして迎え撃つとなると、魔族に見せる背中が不安だ。もしヨルク・メイズの気まぐれで結界が緩んだら、魔族とイスマウルに挟み撃ちにされる。
そもそも、山越えは地の利は得られても、物資の運搬なども考えなければならないから、簡単ではない。それに関してはイスマウルも同じで、山越えしてでも攻めてくるとなれば、決死の覚悟だろう。物資に人員、つぎ込むものを考えたら、後には退けないはず。
いや、そんなことよりだ。
もしハイリーが出陣せねばならない状況になったら。ヨルク・メイズが本当に戦を望んでいると仮定したら、きっとそうなるように仕向けるだろう。そうなったらあいつのお得意の、捨て身の戦術は使えない。魔族相手ではその不死にも近い力が役立ったが、人間相手となれば別だ。
死なないのではなくて、死ねない。捕らえられたら、仮にも中級以上の軍人だ、情報を搾り取るためにどんなむごい仕打ちを受けるか。
悪いことを想像するのだけは得意になったな、この八年。そしてたいてい、ものごとが悪い方向へいくことも学習した。俺に関しては、とくにだ。
「クラウシフ・シェンケル。ハイリー・ユーバシャールをどうにかしろ。前線基地から引っ込めるなり殺すなりして、戦争は避けろ。いくら飢えているとはいえ、イスマウルの兵はあなどれない。数で圧倒されるだろう。そうしたら、我が国は跡形もなく消滅する」
「簡単に言いますが、あのじゃじゃ馬はもしこの予測を話したら、きっと憤慨して陛下をぶっ殺しにいくか、任せろとか言って自ら最前線に躍り出ますよ。説得の自信はありません。というか、いいんですか? メイズの秘密を教えてしまっても」
「では殺せ」
あっさりいう。俺たちも幼馴染だと知ってるんだろう? やっぱりこの人も、兄貴と同類なんだな。メイズの秘密は守れ、ハイリーは説得できなかったら殺せ。おそらく、俺がここでいやだといえば、俺もどうにかされるだろうし、ハイリーだってどうなるか。殺せずともあいつを表舞台から引きずり下ろす方法はいくつもある。思いつく限り、全部不快な方法だ。それを俺にやらせようというのは、どういう了見だ。ヨルク・メイズがらみはなんでもかんでも俺に振るの、本当に止めてほしい。
「俺が簡単に殺せるような相手だったら、もうとっくに死んでますよ、あんな無鉄砲を絵に描いたような女」
「どうにかする方法はお前なら心得ているだろう、クラウシフ・シェンケル」
俺の姓を、ゆっくり丁寧に発音し、レクト・メイズは沈黙した。
「鍵を鍵穴にぶっさせば秘密のドアが開いて脱出路が開けるってわけじゃないですよ」
おまけに鍵は折れて役に立たない。修復のめどは立たないし、このごろそんなのもうどうでもいいって気分だ。
俺の下品な冗談にはレクト・メイズの頬も眉もぴくりともしない。
会話は終わりだ、ということらしい。
いつから上司がこの男になったんだよ、と不平不満を抱えたまま、俺はその場を後にした。茶の一杯くらいはだせよな、と出口の兵士に注文つけつつ。




