#72 クラウシフ 予見しても
葬儀の二日後、まだ職務復帰も果たしてないのに、ヨルク・メイズから相談事があると城に呼び出された。私的な呼び出しという建前だが、だったらなおさら後回しにしてほしいものだ。
自分の執務室のソファに座した俺に、ヨルク・メイズはねっとりとしたはちみつの投入された紅茶を勧めたが、食欲はない。甘いものに食指が動かず、香りを嗅いで満足してしまう。
ふと、物足りなさを覚え俺は少し考え込んだ。そういえば、レクト・メイズがいない。このところあの人がヨルク・メイズと一緒にいる姿を見ない。仲違いでもしたのか?
まずは定番のお悔やみの言葉から入ったヨルク・メイズが、すぐに本題に入った。
「次の妻は誰にするか、決まったのか?」
「いえ、まだそんな余裕はありませんし、喪も明けてませんので」
「候補者探しを手助けしてやろう。それとついでに、お前の弟の方の妻も世話してやろう」
俺は口をつぐんだ。
後妻に話が及ぶのは想定内だったが、アンデルのことは考えていなかった。あいつは今頃高熱でうなされているだろう。
「陛下。アンデルについてはシェンケル側で良縁を探します」
「遠慮するな。今も何人かよい相手が思いつく」
「まだ本人は学舎も卒業していませんし、学究の徒志望で、その研究に勤しんでもいますから、妻帯はしないか、大幅に遅れるかと。次男ですから、まあ、自由なんですよ」
あいつまでシェンケルのしがらみに縛られる必要はない。させない。
迂遠な言い回しで、牽制したものの、ヨルク・メイズはにたりと笑った。
「まあ、急がずとも良い。アンデルも、お前の亡妻のことで忙しかっただろう。学舎の卒業もしたほうがいいだろうし、お前の弟は一芸に秀でているからその道を極めて国に尽くしてほしい。いい機会にいい相手を紹介できるようにしよう。もちろん、私が紹介するよりいい相手がいるのであれば、不要だろうが」
亡妻、という言葉が、俺の胸に鋭く刺さる。
「お気遣いありがとうございます。すべては喪が明けてからですから、じっくり考えたいと思います」
「もうひとつ、アンデルのことだが」
俺は表情を崩さぬように気をつけながら、心の中では身構えた。
「あの子はどうも、相当にギフトが強いようだな。制御できてない魔力が漏れ出している。周囲にも影響があるのではないか?」
「……といいますと」
「やはり気づいていなかったか。どうしてあのような危険な状態で放置するんだろうと不思議だったんだよ、私は。……まあ、メイズはもともと能力として魔力の感知に長けているから気づいたのかもしれんな。
数年前からアンデルは無制御のギフトを振りまいていたぞ。おそらく、お前の数倍は魔力量があると思うが。まだなら、早めに対策を講じろよ。弱っている者は精神を乱される恐れがある」
手元の湯気を立てている紅茶は、その白髪頭めがけてぶっかけるために用意されたのかね。それとも俺の自制心を試すための小道具か。
深い赤茶色の表面にさざなみが起こる。
紅茶の色よりも赤く、視界が染まっていく。噛み締めた奥歯が痛む。
まわりくどい方法なんか選択せずに、ビットのことがあった時点でこの男を殺すべきだった。今それをしよう。
しかし、脳裏にイェシュカと子どもたちの姿がよぎって、――俺は声を絞りだす以上のことをしなかった。
「ご忠告痛み入ります」
アンデルのことは、昨日のうちに調べていた。
これまでのシェンケルの記録によれば、アンデルのように、意図的に行使してないギフトで他者に不調をもたらすほどの魔力を有した人間は、二人ほど確認されていた。どちらも、周囲に不幸が重なって、それでその異常な魔力量にようやく気づくという流れだ。近しい人が何人も心身耗弱になり、自殺が相次ぎ、ようやく気づかれる。
多く、シェンケルのギフトが発現する時期は、第二次性徴以降とされるが、それも周囲への影響はかすかで術者本人は「ついている」くらいの自覚しかないことがほとんどのため、術者の精神的な安定が見込まれる思春期の終わり以降にギフトについての説明を行うのが通例だ。だが、その二人については、第二次性徴期のおとずれと同時に、周囲で不審死が相次ぎ――ひとりは二月で家族三人が連続して自殺している――ようやく気づく。何十代も続くシェンケル家で、希少なケースだ。
アンデルはおそらく、彼らと同類だ。
発見が遅れたのが、俺の至らなさだという点には変わりない。そうは思うが、だからこそ、……気づいていたならなぜ言ってくれなかった、と思ってしまう。こんな男になにを期待しても無駄だとわかっていながら。
「だからこそアンデルには早めに妻を与えたほうがいいと思うのだ」
だからこそって意味がわからん。
俺は平静を装って、答えた。
「先程も申し上げましたとおり、アンデルの妻帯につきましてはまだ検討中ですから。我が家でもよく話し合いたいと思います」
「これはシェンケルだけの問題ではないぞ、クラウシフ。前途有望な若者が、さらには驚くべき才能を秘めていた。うまくすれば国の未来を明るくするほどの才能だ。それも二つも。素晴らしいことだ。
当然、兄のように、憂国の情のある青年に育つだろうから、兄と同じようにそのギフトを活かせる道を進ませろ。国主としての意見だ。それができるなら、他国への研究員としての派遣の道を拓くのだって手伝うぞ」
「お心遣いありがとうございます。しかし」
「しかし、はない。もしお前がそれを拒むなら、国主としてこの国の平安を守るため、お前の弟にしかるべき処分をくださねばならない」
「処分?」
つい、嘲笑混じりに聞き返してしまった。そんな俺に対し、ヨルク・メイズは場違いなにこやかさで答える。
「そうだ。私にはこの国の守護者としての責務がある。お前たちの始祖のように、たくさんの人間を扇動することができる能力を有しているというのなら、それ相応の対応をしなければならない」
守護者! 守護者ね。
心の中では腹を抱えて転げ回っていた。どの口がそんな白々しい言葉を吐くというのか。
ただ、笑えないことに、この男の真実はともかく、建前はたしかに国の主であって、その権限を有している。
そしてそもそも、俺達シェンケルの人間がくだらない儀式とやらで忠誠を示しはじめたのも、その信用されにくいギフトがあるから。その自己防衛のためになのだ。
今更原点回帰しろってか。
ヨルク・メイズはさらに続ける。
「思いついたぞ、クラウシフ。
実は昨日、ハイリーが挨拶に来たのだ。あの娘は随分美しく育ったなあ。いろいろな劇団の花形役者があれの役を演じてきたが、本物ほどの迫力はない。この先もきっとたくさんの武功をあげるだろうと私は大層期待していたのだが、なんと、最前線から引っ込むというのだ。部隊が大所帯になったから気軽に前に出られないとか」
嫌な予感がする。
ハイリーという、自分にとって馴染み深い名前がこの男の口から出たことに警戒した。
「がっかりしたな。あの子には、以前頼まれて、前線に立てるよう口添えをしたことがある。その甲斐がなかったというか」
「軍内での事情があるのかもしれませんね。俺はよくわかりませんが、前線で剣を振り回すだけが軍人ではないでしょうし、あいつは指揮官としてもうまくやっていくんじゃないかと思いますよ。戦術の講義でも誰もあいつに勝てなかったくらいです」
実際、どのくらい兵法書を読み漁ったらそんな解が出る? というような古い戦術を持ち出して、逆にそれが新しかったりして、あいつに戦術の講義のシミュレーションで勝てた人間はいなかった。もちろん、天候や時間、兵站、練兵の具合などでも変化する戦況は、机上の舌戦での勝利とは完全には結びつかないが、そこでも勝てなかった人間が実戦で勝てるのはのぞみ薄だろう。
目を伏せた国主は、肩をすくめた。
「私は思うのだよ。物語は締めの華々しさがすべてだと。国で人気の騎士姫は、同じく三英雄の末裔のシェンケルの妻になって、死ぬまで国の平穏を影から支えたのでした、めでたしめでたし、と括るのが収まりがいいのではないかな。
ちょうどよく、シェンケル兄弟はあの子とも懇意だしな。アンデルは微笑ましいほどわかりやすく、ハイリーに懸想しているようだったし」
「そうなのですか?」
「以前、私が開いた宴で、仲睦まじくダンスをしていたぞ。アンデルが必死にリードしていたのは、まわりの大人たちを微笑ませたものだよ。あのころから時間は経っているが、まあ、過去の想い人だったらアンデルも憎く思うことはあるまい?」
アンデルあのバカ、浮かれて舞い上がっていたんだな。そう罵ったところでもう遅いし、あいつが悪いわけではない。誰だって、想い人とダンスできたら嬉しいはずだ。俺も新月祭はハイリーと踊れたらと夢想して、酷い気分になったもんだ。
「お前の後妻かアンデルの妻が、あの子に適当な椅子だとは思わないか。それに、ちょっと興味もあるのだ、ユーバシャールの回復力とシェンケルの操作、どちらのギフトが強いのかと」
このジジイのしたり顔の腹立つこと。
きっと、ハイリーが最前線を退いたところで退役する気がないのは知っている。つまり結婚するつもりもないのも知っているはず。
アンデルがハイリーの心を縛るか、あるいは俺がハイリーの心を縛るか。どの道、この男の娯楽になるということだ。俺が弟の想い人を無理やり奪うか、弟が愛する人を無理やり縛り付け、あるいは喜んで傀儡にするか。俺たちが失敗してハイリーとこじれても、それはそれで面白いと思ってるはず。
クソ性格の悪いことで。とくに悪いなと思うのは、きっと俺がこうやって自分の思考をちゃんと読み取るだろうとわかっていて、その端緒だけ散りばめるところだ。謎掛けや宝探しじゃねえんだぞ。お前にとってはそうだろうが。
「まあ、喪が明けるまでには結論を出しますよ。アンデルのギフトについては早急に対処いたしますので、心配ご無用です」
心の中で唾を吐きながらも、笑顔を張り付かせるだけの技術は、この数年で鍛えられてもはや意識せずともできる容易な作業になりつつあった。




