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#70 クラウシフ 退けず進めず

 ギフトを調整する、わずかに状態が好転する、しかし夜には悪化する。

 イェシュカの体調は、そんな二歩進んで三歩戻るような状態が続いた。

 調子がいいときは、うちに嫁いできたばかりのときのように、笑顔で会話ができるのに、決まって夕刻になると、彼女は不安定に戻る。やはり暴力は止まらず、俺はいやいやながらも子どもたちをメイドひとりをお供にし、ケートリーに預けた。


 ケートリーのクソババアに子どもたちを預けるのは、それこそ断腸の思いだった。

 あいつ、俺の目を盗んでイェシュカに手紙を届けやがった。なにが「あなたは母親失格です、せめて名家の妻の体裁だけはしっかり保ちなさい」だ。病んで倒れた娘に投げかける言葉か、それが。激励のつもりなら手紙の書き方を一から勉強しなおせ。教本を買ってやる。


 当然、イェシュカは傷ついてひどく荒れた。その日を境に、彼女の体調の悪化はさらに加速した。


 俺は大慌てで彼女のその記憶を隠蔽したが、どういうわけかうまくいかなかった。


 なにがいけない?

 なにがだめなんだ?


 理由がわからない。俺のギフトが急速に衰えているのか?


 自分でこしらえた怪我でしょっちゅう寝込むイェシュカは、食事を拒否し痩せ、死にたいとか、俺に捨てられる、という妄想に取り憑かれて、会話すら成立しない日が増えてきた。俺のギフトが彼女の心を締め付けようが緩めようが、その影響は数時間しか保たない。


 もしかすると、彼女の気の病はギフト由来ではないのかもしれない。どちらにせよ、俺の術ではどうにもできないことははっきりした。


 ――ではまさか、このまま……?


 これまで生きてきて、はじめて感じる不安だった。母が亡くなるとき、寂しさはあったがしっかりは理解しておらず、父が亡くなるときに感慨はなかった。自分の未来をヨルク・メイズに握られていると知ったときだって、反骨精神が刺激されたり、辟易する気持ちやむしゃくしゃする気持ちはあったが、こんな風に眠れぬほど落ち着かないことはなかった。


 うつらうつら船を漕ぐと、イェシュカとの楽しかった日々が夢に出てきて、それを失う恐怖ではっと目が覚める。いつか、ハイリーが死霊にぶった切られて死にかけたときのあの姿に、なぜかイェシュカの顔が重なるのだ。


 不安がって立ち止まってはいられない。


 国外に出ずっぱりの友人、ドニーに頼んで、チュリカのシェンケル家の記録やギフトの情報を集めてもらうことにした。できることは少ないよと前置きしながらも、ドニーは精力的に、渡した金額以上の価値ある資料を見つけては送ってくれた。イェシュカへの見舞いの品と一緒に。それでも、やはり一般人が入手できる情報は限りがあって、星読みとしての情報しかみつからなかった。


 皮肉なことに、家庭内がめちゃくちゃになるほど、仕事は捗った。


 マルート鋼の精製の触媒になる物質を多く含む、星霊花という透明な花びらを持つ不思議な花を、アンデルが詳しく研究してその生育過程に晒された魔力量と開花後に集められる触媒の関係性、効率的な触媒の採集方法の提案(何度聞いてもよくわからん)を発表したところ、プーリッサの学者に会うために学舎を表敬訪問中だったマルートの学者が食いついて、あれよあれよと言う間に持ち上げられてしまった。


 あらゆる研究者を動員し、わずか半年で、マルート側はアンデルの考えた方法である程度の触媒の抽出ができることを確かめて、あらためてプーリッサ側に申し入れてきたのである。マルート鋼の輸入量制限の完全撤廃について。その条件に星霊花の共同採集権をぶら下げて。


 国で一番力を入れている特殊金属の輸出にならいくらでも予算は割けるが、魔族の出現場所にしか群生しない花の採集のために、一応はプーリッサの国土にあたるそこに踏み込む建前がほしかった。なにせ生育仮定で一定量の魔力を浴びなければ触媒が蓄積されないから、国内での養殖はできない。


 付け加えるなら、多種多様、年中無休で精力旺盛な魔族どもをはねのける手法を自国軍に覚えさせ、何度も何度も金と時間をかけ遠征させるくらいなら、魔族に対しては大陸一の経験と手段を持つプーリッサ軍に頼り、そのときに使用するマルート鋼を優先的に売る(当たり前だが、譲渡するという選択肢はない)ほうが、儲かる。

 マルートのその申し出には、そういう背景があったに違いない。


 もちろん、プーリッサ側だって、大きな利益がある。条件を調整し、すぐに乗っかりたい話だった。


 これで軍事費が大幅に圧縮される。こんな好機が転がり込んでくるなんて、国内の誰も予想しなかっただろう。論文を発表したアンデルだって、そうだ。


 そのアンデルは、イェシュカのことを心配し、勝手に休学を決めた。周囲は当然驚いて惜しんだが、本人の意志は固かった。俺は助かるが、……申し訳ない気持ちもあった。アンデルが負うべき責任ではないからだ。

 だがそれを言ったら、珍しくあいつは怒り心頭の様子で突っかかってきた。「僕だってイェシュカの家族だ」と。そういう意味で言ったわけじゃないのだが、理由や背景をすべては語れないから俺は黙るしかなかった。


 イェシュカの呪縛をほとんど解除し――あのクソババアの手紙の記憶だけは隠蔽したままでよいだろう――容態を医師に委ね、薬と療養で彼女の回復を待つと決めてから、国内のあちこちから名医を呼んだが、結果は芳しくなかった。

 そんななか、アンデルの手厚い看護はイェシュカにとってもありがたいもので、あいつと一緒だとたまにイェシュカも調子を良くしたりするらしい。ギフトもなしにイェシュカの気持ちを明るくさせることができるのは、アンデルの気持ちがあいつに通じているからなんだろう。


 それでも、イェシュカの調子は日に日に悪くなり、ベッドから起きられない日も増え――俺は妄想にかられるようになった。いっそのこと、イェシュカの記憶をすべて書き換えてしまえば?


 イェシュカに引っ叩かれた朝、俺はそんな暗い考えに取り憑かれて、ひとり、城にでかけたのだった。そのときのイェシュカの泣きわめく顔が、生きている彼女の見納めの姿になるなんて想像もせずに。


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