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#67 クラウシフ 逆波にはなれず

 ヨルク・メイズのパーティーに参加して一月経った。その日は、ユージーンの二歳の誕生日だった。

 家で祝ってやりたいと思っていたが、あいにく仕事で、夜にならなければ帰れそうになかった。その見通しも甘く、自宅の玄関ホールに到着したのはとっくに幼児が眠りに就いた夜半。


 双子の寝かしつけをしながら眠ってしまったイェシュカの隣に、ユージーンも眠っていた。そのよっつの額に口づけ、寝室から出ると、顔をくもらせたアンデルが廊下で俺を待っていた。


「ようアンデル、こんばんは。ユージーンはケーキを喜んだか?」

「ぱくぱく食べて、僕のも半分食べたよ。ところで兄さん、相談があるんだ。夕食の席で話してもいいかな」

「もちろんだ」


 背は伸びたが相変わらず華奢な棒きれのような体を、シンプルなシャツとパンツに包んで、アンデルは先に食堂へ向かう。いずれ声変わりもするだろうが、たぶんあいつはずっと細身のままだな。母親が違うとこうも変わるのか。父親似の髪や目の色彩だけが同じだ。


 連日の疲れがあって、食欲は減退気味だったが、食べなければ体力が落ちると思い、機械的に口にものを運ぶ。味が薄いと感じるから、風邪気味なのかもしれない。

 アンデルはしばらく黙っていて、俺がスープ皿を空にしたのを機に、声をだした。


「昼間、ユージーンの祝福を受けに、教会に行ったんだ。ちゃんと本部に行ったんだよ、誕生日の特別な祝福だから」


 六歳までは、子供は毎年教会で祝福を受ける。といっても、金属にほどこされるあれではなく、健やかたれという願いをこめて祝杯をもらうのだ。祝杯の中身は祈りを捧げた特別な、と教会側は主張するたぶんただの水。

 六歳のあとは、節目節目に、願掛けで教会へ行くことになる。プーリッサ建国以来、チュリカから引きずっている、風習のひとつだ。俺は面倒くさくて、成人以来行ってないが。


 先週、子守で忙しいイェシュカのかわりに、アンデルとバルデランがユージーンの祝福に同伴してくれると決まった。


「ありがとうな、大変だったろう」


 俺が笑みを作ってもアンデルは沈鬱な表情だった。


「それが……問題が」

「問題?」

「ちょっと長くなるけど、いいかな」

「いい。話してくれ」

「実はね、ちゃんと受付したのに後回しにされて長く待たされて、確認したら受付されてないと言われたんだ。だからもう一度受付したけれど、また同じことになって、繰り返したんだよ。

 そのうちユージーンが飽きて泣き出して、迷惑だから外に出てほしいと言われたんだ。それで、順番がくるまでバルデランに待っていてもらって、外を散歩したりしていた。

 夕方、最後の枠で祝杯を受け取れたんだけど、受け取った祝杯の様子が変でね、ユージーンが口をつける前に確認したら……虫が入っていたんだ。羽虫じゃないよ。その……なめくじが」


 俺だったら、二度待たされた時点で責任者を出せ、と怒鳴っている。


 教会は、国費でその運営費の約八割を賄われている、ほとんどお役所みたいな組織だ。だから普段、気遣いなんかは期待できない。


 だがしかし、祝福を受けるためには別途、お布施を持参するのが通例だ。国費以外の、教会の収入源、教会が自由にできる金だ。

 金額は『お気持ちで』ということだが、当然、相場ってもんがある。家格と見栄と付き合いと。アンデルに託したのはかなりいい額になってるはずだ。シェンケル家のお布施なのだから。俺が教会と政治的に対立しているとしても、そこはきちっとしておくべきと判断した。そして金を受け取ったなら、その分の仕事をするのは当然だ。たとえ代表者が、当主の代理の子供で、まだ成人していないとしても。


「それで」

「なめくじはさすがにまずいだろうと思ったんだ。それに、祝杯の中身の水が入っていた(かめ)は他の人も一緒だろうって。だからつい、一緒に祝杯を受け取った出席者に『なめくじが入ってるから飲んじゃだめっ』って大声で言ってしまって……大騒ぎになっちゃったんだ。他のひとたちのにはなめくじは入ってなかったんだけど」


 アンデルは、ますます困ったような顔になった。まだ続きがあるらしい。


「その場の担当者がとんできて、僕に『こんな自作自演で業務妨害するならしかるべき手段をとります』って怒るから、大変なことになっちゃったって血の気が引いて……僕、なめくじの毒性をわかってもらわなきゃって、その場でつい、説明しちゃって。その、なめくじについてのあらゆることを。


 僕はなめくじのことをよく知ってるのに、まさか甥っ子にこんなもの飲ませない。もちろんあなたがたが故意にこんな危険なことをしたとも思ってない。もしかすると祝杯用の(かめ)の保管状況が、なめくじが繁殖しやすい温度湿度になっているかもしれない、確認しないと大変ですよ、うっかり飲んだりしたら、って言ってしまった。考えなしだったんだ、焦ってた。教会の人の立場を考慮しなかったんだ。


 そしたら出席者のひとりのおじいさんが、祝杯の(かめ)を見せろって騒ぎ出したんだ。管理体制がなってないって。元気なおじいさんだったんだ、止める間もなく裏の準備室に突撃して、――そうしたら瓶の内側、……いや、ちょっと思い出したくない。ユージーンが飲まなくてよかった。僕、前に飲まされたけれど元気でよかった。


 あ、それでみんなが怒って教会の人ともみ合いになって、……ごめん兄さん、僕は『出入り禁止』って言われてしまった」


 弁解のために早口でまくしたてたアンデルは、言葉が終わるとしょんぼり肩を落とした。


「アンデル、お前のとんちはヨルク・メイズのよりかは面白いよ」

「なんで笑うのさ、兄さん。僕はもう教会に行けないんだよ」


 情けない顔で、アンデルが怒る。これで笑わないわけがないじゃないか。


「別にいいだろう。あっちから願い下げだって言うなら、うちだって気を使って布施を納めることはない。気にするな、ただの嫌がらせだよ」

「嫌がらせ……」

「お前だって、うちと教会の関係があまりよくないことはわかっているだろ? それでも、政治的立場とそれ以外は別だと俺は割り切ってきたが、あっちはそうではなかった。それだけだよ」

「兄さんは、あれが故意だと思ってるの?」

「ああ。受付で金を渡したとき、身分を証明したんだろ? それでその扱いだったら、そういうことだろうよ。覚えてないだろうが、先代のとき、お前の六歳の祝福の日には頼んでもいないのに、あちらから迎えが来て、待ち時間なしに個別に応対されて、教会の特別室でひとり、司祭から祝福を授けられた。俺の成人のときもそうだ。それだけ、関係が深かったんだよ。

 それが、今はもう違うってことだな」


 少し沈黙していたアンデルが、深いため息をついた。


「大人げない……」

「だが、否定はできないだろう」


 また沈黙する。きっと、俺と一緒に城にあがったときのことを思い出しているんだろう。マルート鋼の輸入制限の緩和の調印式あたりから、わかりやすく俺に敵意を剥き出しにしてくる……名前がわからない教会の男たち。成りは大人だけれども、だからといって行動まで大人とは限らない。


 まあ、わからないでもない。


 祝福のギフトの質を維持するため清らかたれと、基本的に妻帯は許されず、つまり一生女を知らず生きていくことを強要されている連中なのだ。妻帯できるのは、てっぺんの数人だけ。

 そんなのただの建前で、同じギフトを使える連中が増えると、利益の配分が減るから、構成員の数を調整したいだけなのだ。


 質の良いギフトの継承のため、という名目で作られた子供たちはみんな()()()とか()()()で、幼いうちからあらゆることを極端に制限されて育つ。

 そんな教会だけがすべての奴らからしたら、その教会の飯のタネをとりあげようとしている俺たち宰相派は極悪人に見えるはず。しかも議会という同じ場で並び立つシェンケルに対しては、自分たちが支持してきてやったからこそなのに、と思っているに違いない。俺の態度が気に食わないのはうなずける。末端構成員のバカがわかりやすくちょっかいをかけてきたんだろう。それが上の立場を悪くするなんて思いつきもしない、直情的な阿呆が。


 だとしても、俺たちがそれを甘受する必要はない。敵意を剥き出しにしてくるなら、こちらも自衛すべきだ。


「このこと、イェシュカには?」

「言ってないよ、びっくりさせちゃうだろうからさ、さきに兄さんに報告しようと思って」

「そうか。じゃあ俺から折を見て話すから、お前はこのことは黙っていてくれ」

「わかった。

 ごめんね、せめてお布施を返してもらうように言うべきだったよね」

「気にすんな。手切れ金を渡したんだと思えよ。それよりアンデル、よくユージーンのこと守ってくれたな、ありがとう」

「……うん」


 拳を掲げると、アンデルははにかんで頬を緩め、俺のそれに自分の拳をぶつけてきた。


 食事を終え、身を清め、床につく。

 ベッドの上で暗い天井を眺めて、考える。


 問題は、アンデルが教会に出入り禁止になったことじゃない。

 

 教会は、チュリカの国教をプーリッサ風に変化させて失敗し、建国直後ほどの支持はもうない。構成員の身分だって、特別なものではない。役所に近い存在であるが完全に同一ではなく、大抵のことはちゃんとした役所の方を通せばなんとかなる。利便性が下がるがそれだけ。

 だから、こちらが一方的にへこへこしなければ、生きていけないようなこともない。


 だが困ることもある。子供が産まれたら教会を通して戸籍の登録をしてもらうことになっているし、六歳から八歳までの初等教育は地域の教会で受けるのが通例だ。節目節目で教会に子供の成長具合を報告しておかなければ、初等教育の門戸は開かれず、初等教育を受けた証明ができなければその先の学舎に進めない。


 学舎にあがってからも、度々、教会に連れ出されて、必要なことを学ばされることがある。一月ほど教会で寝泊まりして、心身を鍛えるという宿泊学習がその一例だが、――今日の嫌がらせのことを考えると、心配になる。


 アンデルに関して言えば、もうとっくに初等教育は修了しているからいい。問題は俺の子どもたちだ。たとえば病気などの事情のある子は、家庭教師を雇って、特別に初等教育の修了を認められる。その方針でいくしかないか。

 

 もしアンデルがユージーンのことを注意深く見守ってなければ、ひょっとすると大変なことになっていたかもしれない。相手方の悪意があったと仮定して、警戒しておくべきなのはもちろんだが、そうなるとこの先のことを慎重に考えなければいけないだろう。


 ユージーンのこと、双子のジュリアンとジェイドのこと。

 ……ため息がでる。味方は少なく、敵は多い。守るべき対象が増え、仕事だけではなくするべきことも増えた。頭を抱えていた父の後ろ姿をぼんやり思い出してしまった。


 先日のイェシュカの精神的な不調のこともある。少し、落ち着く時間が必要なのかもしれない、うちには。

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