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#48 イズベル とある女の日記

 十四のときでした。わたくしがその方の元へ送られたのは。本家の敷地から離れた場所にある、別宅です。陰気な、一人の住まいにするには広すぎる家です。

 自らの運命は母から聞きました。

 魔族と化したご先祖の慰めとなることは、子を産めぬ女としては破格の待遇だと。なにせ英雄様の妻となるのだから。


 実は、娼婦とかわらないのに。


 両親は、できのよい長兄を可愛がっておりました。女でありながらギフトを受け継いだわたくしは名誉を産めぬということで、あらゆることで彼とのあきらかな差をつけられました。他の家でもあることなのかもしれません。

 ですから、わたくしは、魔族に下げ渡されると聞いても「ああ、仕方がないこと」と思ったのです。

 祖父の妹が同じようにその魔族に下げ渡され、交接のあまりの激しさに絶命したことは聞いておりましたので、いずれわたくしも同じ運命をたどるのだと覚悟しておりました。


 ところが。ところがです。


 はじめてお会いしたその方は、眉目秀麗、気さくで優しく、お話も面白くて、なにをされても我慢するようにという両親からの忠告の意味があるかと疑うほどに、紳士的なお方でした。


 いつこの男は本性を出してわたくしを辱め殺すのかしらと疑いながら、わたくしは毎夜地下室へ向かい、その方のお世話をしました。お世話と言っても床の世話ではありません。食事を日に三度トレーに乗せて運ぶだけ。他のことは信頼できる下男にすべて任せているのです。


 半年ほどそのような生活を続け、わたくしは受け入れていた自分の運命が、もしかしたら両親のただの脅し文句だったのではないかと思い始めていました。

 前線に赴くだろうから二子では心もとなく、三子目も男であればと嘆く両親からしたら、わたくしは母の子宮を痛めつけ次の子を望めなくした不要な子でしたから、身も心もいたぶってやろうと思っていたのかと。


 半年の生活でわたくしは、恐怖心をほとんど忘れてしまいました。むしろ、地下室にお茶とお菓子を運び込み、その方の長い冒険譚を、低くふしぎな響きを持つ声で語ってもらうことを唯一の楽しみに思うようになりました。

 

 わたくしは、そのときは無垢な処女(おとめ)でしたから、他の男性にかけられたことのないような甘い言葉――美しい、とか、可愛らしい、とかそういう容姿に関する褒め言葉だけではなくて、気が利くだとかお前と話していると無聊を慰められるとか、笑ってくださるかしらと期待した冗談を面白いと言ってくれたという他愛のないものですが――にすっかりほだされ、……胸をときめかせるようになっていました。だってその方はわたくしを蔑まない。栄えあるユーバシャールの家に産まれながら、落胆のため息と日陰しか与えられなかったわたくしに、枯れていくのを待つだけだったわたくしの心に水を与えてくださった。


 わたくしは一年後に、自らの気持ちと覚悟を話しました。

 たとえ痛みを伴うとしても、あなた様のものにしてほしい。どうしてわたくしに触れてくださらないの、やっぱりわたくしが子供っぽくてお嫌い? と、つい気が急いて責めるような口調になってしまったのです。その方はそれを咎めたりはなさらず、含み笑いで受け止めてくださいました。


 さてその真相をその方が話してくださったのは、さらにそこから一年の月日が経ってから。

 それまでは、力強くも優しい抱擁や、小鳥がついばむようなキスのみをお与えくださった。わたくしもそれをなによりのご褒美と思い、受け入れてきました。


 その方は傷ついていたのでした。

 その方はけっして娘たちに無理強いをしたことはありません。情けを請われはじめてその体に触れるというのです。というのも、ご自身の力が人を凌駕し、簡単に傷つけるようになっていることをしっかり自覚しているからです。興奮してくると戦場でも閨でも力が抑えきれなくなってしまう。魔族の血のせいなのかはわかりませんが。

 自らを好色と言うだけあって、どのような娘も愛おしく思う、抱きしめてみたいと思うのだが、いつも待っているのは悲しい別れ。思いが通じて抱きしめればいつか耐えきれなくなって相手が死んでしまう。

 それでも、と求められるのは嬉しくも悲しく、そしてその方も求めずにはいられないほど、どの娘も愛してきたのだと。


 多情であることを認めつつ、もう娘はいらないとは言えない。このさき何百年続くかわからない孤独な地下生活で、話し相手もいないことには。発狂さえ許されぬ自分の(ギフト)が恐ろしい、と。


 数十代に渡って相手してきた娘の名前と生まれ年、それから没年を諳んじてその方は寂しげに笑うのでした。誰ぞ、我が愛を受け止めきれる娘はいないか、と。 

 

 わたくしです。あなた様の愛を受け止めるのはわたくしにほかなりません。


 そう大きくて青い手を握りしめた夜、わたくしはその方のものになったのです。身も心も。


 この方の傷ついた心に寄り添い、その愛を独占できるのは、わたくしだけ。ほかのいかなる娘がその大役を務められるというのでしょう。

 わたくしははじめて自分のことを誇らしく思いました。

 あの方が望むままに尽くし、あの方はわたくしが望むままに愛し。そういう関係を続け、いつしかぴったりと心が寄り添うのを感じたのです。


 そうして十年、十五年と時が経ち、その日が来ました。


 順当に当主となった長兄の、五子で長女のハイリーが力見の儀式を受けまして、なんと、わたくしを凌ぐ力を持つと判明したのです。

 そのときのわたくしの衝撃をどう表現すれば?


 嫉妬――自分よりも若く力に溢れ、上に十分な兄たちがいるから石女にして可愛がられ、あの方の地下室に送り込まれることを誰からも哀れまれている――。

 焦燥――汚れを知らぬ心と体で、あの方に憧れているからかあの方の好むものすべて、たとえば図々しいまでの向上心だったり無邪気さ無鉄砲さを持ち合わせている、それつまりあの方の寵愛をわたくしから奪い去るに足る存在――。

 憐憫――親に愛され祝福されておきながら、ただ一点望まれぬところがあるからと私と同じ道をたどることが約束された、哀れな娘。しかもそれはわたくしを蔑んだ長兄の愛娘――。


 複雑な想いが胸中にうずまき、わたくしはその場で笑いました。

 

 そしてわたくしは思いついたのです。

 もしあの方が、好色なあの方がいつも口にする「お前だけ」という言葉が誠であれば、あの方はこのハイリーを愛さない。誠であるはず。

 ですから申し上げたのです。


「もしわたくしへの愛の言葉が本当であるなら、ハイリーの愛までほしがらないでください。あなたさまが一番愛しているのがわたくしだと、あのなにも知らない小娘に教えてあげて。それであの娘があなたさまの愛を請おうとも、お与えにならないで」


 愛を試すようなその言葉を、その方は笑いもせず、それでお前が満足するのならと承諾してくださったのでした。


 果たして、ハイリーはあの方の寵愛を受ける機会を自ら投げ出し、血みどろの戦場へ赴くと決めた。ああ。ああ。哀れな娘。あの方の愛を知らず、魔族共と斬り合うなんて。


 しかしその話を聞いてからあの方はハイリーを鍛え上げるなどといい、頻繁に自分の部屋に呼びつけるようになったのです。あの方なりの、子孫への激励――あんな目にあわされておきながら、あの方は顔も似ない末裔たちを血縁それだけで愛してくださっているのです――だとはわかっておりましたが、心中穏やかにはいられませんでした。


 ある日突然、愛に満ちた生活は終わりました。いつものように愛されたあと、わたくしは出血が止まらず高熱にうなされ、数日生死の境をさまよいました。

 わたくしのギフトは、魔力が枯渇してしまったのか、すっかり消え去ってしまったのです。普通の人間より少しだけ身体の丈夫な、つまらない女に成り下がったのでした。


 鏡の中には、年相応になってしまったわたくしの姿がありました。美しいと褒められた髪も肌もぼろぼろで、いっきに二十も年をとったよう。

 死んでしまいたいと、――しかし死ねばもうあの方に会うこともできないと嘆く日々。

 

 幾日、ベッドの中で泣いてはとろとろとまどろんでという生活をしたでしょう。

 下男が食事や薬を運んできたり、たまに医師がくる以外に誰も訪れやしないこの部屋を、よく通る声で名乗りをあげノックしたのはハイリーでした。

 今や女盛りで完成された美しさを誇る姪の顔など、見たくはない。しかも彼女は、国内に名を轟かせる人気の武人になったのです。わたくしが必死で守ろうとしたものなど、歯牙にも掛けず踏み越えていった。会いたくなるわけがない。


 無視を続けていると、彼女は去り……しかしまたしばらくして部屋のドアをノックしたのです。


 手紙を持ってきたと。あの方からの手紙を。


 何日も聞いていないあの不思議な声音が脳裏に反響し、わたくしはベッドから転げるように降りたのです。そして、憎たらしいほどに美しく育ちきったハイリーから手紙をひったくった。


 ――哀れな娘よ。お前のそのすべてが愛おしい。己の不幸を嘆くならその声もオレが貰い受けよう。


 あの方は、最早役目を果たせなくなった、老いさらばえたわたくしにも手を差し伸べてくださる。その隣に居場所を作ってくださる。

 それだけで、もう、わたくしは十分でございます。


 一刻も早くあの方のもとへ。

 そして地下へ向かうとき、わたくしはハイリーの前を横切り、その顔を久々によく見たのです。

 彼女はわたくしを蔑んだりはしていませんでした。

 むしろ……。

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